プロが教えるわが家の防犯対策術!

もうすぐ54歳になる男性です。
父は56で亡くなりました。
私は今のところ、健康ですが
「私も56で死ぬのかな」
と考えることが多くなりました。

他のかたより何倍も紆余曲折の
人生でした。振り返ると
よかった年が28年、ひどかった年が
26年でした。結局、神様は
死ぬときには、人生をチャラにくれるの
でしょうか。

50歳までは、死ぬのは怖かったです。
当たり前ですが。
しかし父の死んだ歳に近づくにつれて
何となく覚悟ができてきました。

私には子供がいないのも、大きな
理由かもしれません。

50オーバーの方、死を意識し始めてますか。

A 回答 (12件中1~10件)

「臨終」とは命終わりの時に臨むことで、生命の終わるときをいいます。


「正念」とは正法を心に思うことです。念とは、常に心にとどめて忘れないことをいいます。
 
すなわち、「臨終正念」とは、命終わるときに臨んで、迷いの心を捨てて、安らかな心を得ることをいいます。
 
仏法では、すべての事象は「生死の二法」または「生滅の二法」に括られると説きます。すなわち、この世に表れたあらゆる事象は、永遠にその事象が存在していくのではなく、常に変化し消滅の方向へ向かっているのです。
また、消滅した事象は時間の経過を経てまた世に表れてくるのです。
簡単にいえば、生まれたら死に、死んだら生まれるということです。
 
このように「生死の二法」は普遍の法則です。ゆえに、私たちも生まれた以上死ななければなりません。それを、自分だけは永遠に生きることができるのではないかと錯覚して、生きることばかりを考えて行動をするから、貴重な人生を誤ったり、また、死のなんであるかを知らないために、死の苦しみを味わなければならないのです。
もちろん、今生の人生は一度しかありません。しかし、「生死の二法」から見てみますと、死は次に生まれてくる生のはじまりです。ゆえに、今生の生しか考えないのは誤りです。
 
このような意味から、臨終は人生の最後の締めくくりとして、また、次の生を迎える大切な一瞬といえます。
例え今生が不幸な一生であったとしても、臨終を心安らかに迎えることができれば、次の生はおおいに期待できるのではないでしょうか。
 
日蓮大聖人は、
『人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし』(妙法尼御前御返事1482)
と、仰せられています。
 
私たちの吐く息は、すぐ、吸う息に変わってしまいます。いつまでも吐き続けたり、吸い続けることはできません。吐く息も吸う息も瞬時の存在でしかないように、人の命は無常です。
そして、草の葉についた小さな露は風が吹けば落ちてしまうように、はかないものです。
賢人も愚人も、そして老若男女を問わず、死は必ず訪れてくるのです。故に、臨終のことを真剣に考えて、それから生きることを考えなさいと、説かれるのです。

http://www.jihonji.net/oko196.html
    • good
    • 2

私は、三歳の時に交通事故で死にかけました。

記憶はほとんど
ないのですが、心の底に残っているものがあったのでしょう。

20代の時に、心臓発作で死を覚悟し、その後何回かそれほどの
ことでもないのに死を覚悟したことがあったのは、幼いころの
記憶がそうさせたのかなとも思っています。

死んだ後のことを明確に知り、確信する人がどれほどいるので
しょうか?
本当に死ぬその瞬間の心境は、生易しいものではない気がしま
す。

№9の方に賛成です。できるだけ安穏な死を迎えられるよう、後
悔のない人生を。
    • good
    • 0

家の親も、病死した親の年齢の時に気にしていました。


自分も同じようになるのではないかと。
祖母も、たしか56か57でしたね。

結果、平均寿命はとっくに過ぎて
このまま世界一でも目指して欲しいですね。


死は常に人のそばに有るもの。
それは、子供の時も今も変わりません。
明日生きている保証は、誰も持たない。

だから今日を、そして最後まで生き続け 生き抜く。
終わりがあるから今に力を注げるし、そうやって
今が輝くと思い過ごしています。

経験が積み重ねられるから、昨日より今日
今日より明日が、より充実させることができます。

死を意識してから、長い年月が経ち
自分と向き合う中で、死の問題は越えました。

本当に死にかけた者は、生の大切さを体感で知る。
涙を流してでも超えた者は、生きている事実だけで
希望を手にしていると知る。
    • good
    • 0

父親と顔つきが似ていればその可能性は高いかもしれませんが・・・


寿命は宿命であって宿命も遺伝し易いからですが・・・
私はなるべく死にたくないので(笑)その努力はしていますが。
    • good
    • 0

僕は、30才前にサハラ砂漠をチャリで横断(1,600km、17日間)


した時、50℃をこえる高温に日々全身がしびれ、リカオンに襲われ、
強盗に身ぐるみはがれ、毎日、夜明け前にオアシスを出る時、その
夜明け前の闇の向こうに、自分の死を(具体的に)見つめていました。

人はいずれ死ぬ。
生きる事は、死を避けた結果ではなく、より良い死を目指す事だ。
「もうすぐ死ぬ」の回答画像9
    • good
    • 1

全ては運命ですよ。

何年何月何日の何時何分何秒に産まれて死ぬのかは…先ずはお父さんの年齢を超えるのを目標にして、次は60才を目標に…お互い長生きしましょう。俺も今年54ですし、何歳まで生きていられるか一応心配していますが…気にするのはやめましょう。チャラにするには酷い年がまだ2年も残ってますから気にしない気にしない。
    • good
    • 0

死ぬ覚悟を決めているなら、身の回りの整理をしよう。


それをしない人に神様は人生をチャラになんてしてくれないだろう。
    • good
    • 0

迷いの解消は理性に訴えるよりも、感情に頼る方が有効だと思います。



理性としては№1がベスト。
感情からは、母親の御胸の中の幼子のように、神仏の懐に入ることを目標とするのが良いと思います。
これが出来れば“迷い”はなくなるはずです。

そのためには念仏、あるいは祈り、が必要になるでしょう。
    • good
    • 0

私は数十年前に一歩間違っていたら死んだかもしれないことを経験しています。

意識がもどったからいいものの、もどらなかったらそのままあの世だったかもしれないのです。
その時から人間明日死んでも不思議ではないのだと覚悟しました。つまり常に死は意識しています。
死を意識するからこそ今生きていることを思い切り楽しもうと思えます。

人間、貧乏でも金持ちでも生まれてきたら必ず死ぬことだけは平等であり、誰にも変えられないのですから、生きている時間をできるだけ楽しみつつ死を当然のこととして受け入れることでひとつの人生は完結すると思っています。ひどい経験も死ぬ時には生きていたことを証明する事例の一つになるのです。
    • good
    • 0

人生50年。


50過ぎたら儲けもの。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す