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伊能忠敬











伊能忠敬はなぜ日本地図を作ったのか?

A 回答 (1件)

それは西洋列強が植民地支配を強めてきており「領土」が


・そこの場所を正確に測量し、報告を最初に出したもの
の所有になるように変化してきていたからです。

ちなみに今でこそ日本の領土になっている小笠原諸島はアメリカ人が測量して学会に報告し、最初に入植したのはハワイからの移住者でした。1817年にはフランスの学術誌に掲載され、1823年にはイギリスの捕鯨船が島に名前を付けて発表しています。
日本人が小笠原諸島を発見したのは1670年とされおり、1675年には日本の政府(江戸幕府)が島に役人を派遣して日本の領土としていますが、ヨーロッパ人からみえば「関係ない」ことだったわけです。

そういうヨーロッパの動きを知り、またロシアが不凍港を求めて北海道や千島に出没し始めたという情報を聞いた伊能忠敬は、幕府に対して「北海道の領地を保全するために、地図測量を行いたい」と申し出ます。函館など一部は幕府の役人がいますが、北海道のほとんどの土地は未開発であり、樺太と地続きかどうかもよく分かっていなかったからです。

これらの測量を行うと同時に、各地に「日本領土」という看板を立てることで、ロシアの進出を阻む狙いがありました。
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