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変な質問ですが、人を信じないようにしたいです。
何度人を信じても、上手く行きません。結局は裏切るし、私も自身のためなら他人は捨てます。
辛いことがあった時は、もう信じられない!となるのに、暫くすると落ち着いて少し信じてしまいます…。(勿論、段々信用はなくなっているのですが)
もう期待して傷つくのは嫌です。
人を信じないようにしたいです。
信じた方が良い!などの意見は御遠慮ください。

A 回答 (5件)

変な話ではなくて、そちらの方が(昔から)当たり前ですよ。



気分転換に、少し発想を変える話をします。


秘密を打ち明ける時は、

「誰にも話さないで欲しい。他の方が知っていたら、私は貴方が話したと疑うと思う。

 また、その場合は、貴方から聞いたのかどうか? この事を知っている方に聞くことにする。

 そして、もし貴方が話したと確認できた後は、

 貴方をけっして信用してはいけないと、他の人に話す権利を私は得る。」

と警告するべきです。

もしこの様に言われたら、

「いや、自信がないから、聞きたくないな。」

と言う人も多いはずです。私ならそう言いますね。

他の人と話題にして欲しくないものを、誰かに打ち明けられたら困りますよ。

コミュニケーションは、情報を齟齬なく伝達させるためにあります。

大人として用心するならば、拡散して欲しい内容以外を発してはいけないはずです。

信用した後も、秘密を伝える前に、その伝達範囲や報復についても伝えるべきです。

これらの警告は数秒で済みますし、お金も掛かりませんし、嘘ではないんです。

物臭はだめですよ。


仕事の中でよく登場するもので、守秘義務契約(または守秘事項)と言うのが有ります。

しかし、契約を守らず、報復されても気にしない人が多数います。

こういう方を信用できない人といいます。

その場合は、契約をするどころかお付き合いをしません。

そのため契約の前には、

予備審査と言うのがありまして、企業や相手の人物をチェックします。

また相手の方が善意であっても、賠償責任を担う実力が無い場合があります。

一般にはこの実力を信用と言います。


善意であるか悪意であるか? と言う次元に信用と言う言葉を使いません。

企業は黒字でも倒産する場合があります。

企業が扱うお金は信用取引で行われています。

相手からの支払いを当て込んで、他の人の支払いにあてることが普通に行われます。

自転車操業が一般的なんですね。

このとき、自分と仲の良い企業が、

たまたま誰かに騙されて、予定していた収入を得られない場合があります。

こうしたとき、その企業をあてにしていた自分の企業も倒産し、

自分を信用してくれていた、他の企業も倒産し、連鎖的に倒産が続くことが良くあるんです。

どこかで誰かが堪えて、吸収しないといけません。

その企業がクッションになるわけですね。

そうした資金力(内部留保)を潤沢にもつ人を中心に据えないと、

幸福であった関係が一瞬で全滅するものなんですよ。

全滅する企業の殆どは良い人なんですから、

大人の世界に、良い人悪い人などと言うものを持ち込んでしまう人は間抜けです。

当然ながら、皆さんがいう事は、

「おいおい、何で簡単に騙されるかな・・・。

 皆が作り上げた関係が無駄になったじゃないか。」

騙した人が悪いのは当たり前ですが、

皆が協力をして騙されないようにしたり、グッと耐えてクッションになることが必要です。

この強さを信頼と言います。


さて、私たちは赤ん坊から大人へと成長していきます。

このときに、責任と言う概念を覚えます。

これには個人差があり、責任の範囲について、各自の考え方が違います。


しかし最も大きいのは、子供時代と大人時代では飛躍であり、乖離です。

この乖離を超えられませんと、真に大人社会に所属した感覚がしないでしょう。

超えられない壁と言うヤツになります。

ご自身や友人、または社会的に信用されているという人を観察しましょう。

必ず以下の二種類(子供時代、大人時代)に分かれるはずです。


●子供時代

・自分が傷ついたときは相手が悪い、悪い人が責任を取る。

・自分は何も(道徳的に悪い事をしていないのに)被害にあったのだから可哀想。
 傷ついた自分か被害者なのだから、助け(補償)を得られるはず。

・助けてくれなくてもいい。ただし同情もしない人は冷たい。
 ★A)そんな人を友達にしてはいけない。

●大人時代

・自分が傷ついたときは、予防に対して物臭が無かったか、仲間から責任を問われるはず。
 なぜかと言うと自分も社会の資産であり、自分に対する監督責任があるはずだから。

・傷ついた後の自分は仲の良い人に迷惑をかけるようになるはず。
 この迷惑部分の責任は加害者として責任を取り、賠償しないと仲間から排除されるはず。

・簡単に傷ついたことで仲間の不安を煽ってしまったはず。
 より重要な共闘では、信用されず、重要な役割を与えられないだろう。
 如何にして、反省したかをアピールするか?
 対策の効果を報告し、真剣であるかを示さないと、二度と普通に扱われることは無いだろう。

・上の三つの事が分ってない人を仲間に紹介したら、自分の仲間に迷惑が掛かる。
 また、誰かの良心や、頑張るとか、注意する、とかの精神論をあてにした対策を練る人は、
 問題の原因を独力で取り払えないだろう。
 ★B)けっして友達にしてはいけない。

契約書と言うのは、大人時代の感覚で作成されています。

ですので、これらが身についている人にとっては、普通の話です。

そうでない場合は、非常に厳しく感じて、怖い感じがします。

何とか口約束で解決しようと思う人が多いでしょう。

また、

実力があっても、賠償責任の事項を見て、急に怖くなる人がいます。

これを怖がって取引から逃げる人が沢山いるのをご存知ですか?


労働と言う作業(雇われて行うもの。時間給)がビジネスと違って、

単価が安いのはこのせいなんです。

責任を怖がって逃げる以上、

責任を取ると言って手を挙げた人に、利益の殆どを持っていかれるのは当たり前です。


凄いスキルがあっても、

「これが失敗すると一生がすっ飛ぶくらいの損失が出る。

 上手く行くと、一生遊んで暮らせるくらいの富が手に入る。

 さて、失敗したときの責任は誰が取る?

 今から希望する人を責任者にして、その人の考えで利益の配分を考えるのはいかがか?

 これが公平だと思う。」

とやられますと、

どんなにスキルがあっても、

悩んだ挙句に、怖くなって逃げ出したくなります。

そして最後は、

「責任は取りたくないですが、一銭も貰えないのも嫌です。

 何とか成りませんか?」

と責任者に頼むことに成り、

「じゃあ、俺に尽くせ。」

とやられます。


この二者の壁が二極化を生みます。

つまり、子供時代の感覚と大人時代の感覚の差が二極化に結びつくんですね。

先ほど述べましたが、

どちらの最後も、★A)、★B)で互いを友達にしないと結論しています。

ここで付き合いの分断ができてしまい、両者が交流することがなくなるんです。


そして、後者の責任を取りたい派にもライバルがいます。

それぞれが、自分がどうやって責任を果たし、賠償できるからをアピールします。

その中でもっとも信用できる内容を皆が選ぶわけです。

生き方の次元がまるで違います。

この両者が第三者に比較されるときは、やはり後者を優遇します。

選ぶときは、自分の都合ですから。


という事は、自然と以下の様に成ります。

・子供時代の感覚を持つ人同士で友人を形成するグループと
 大人時代の感覚を持つ人同士で友人を形成するグループに分かれ、
 両者が互いを嫌いあって交流が為されなくなる。

・しかし、モノを買ったり、相手に期待するときは、大人時代の感覚の
 グループを選ぶ。このため富が後者に偏る。

・更に、前者の責任を回避するグループ内では、責任転嫁ばかりが行われ、
 事件が起きるたびに、喧嘩や吊るし上げが生じ続ける。
 誰も自分がクッションに成ろうとしない。殺伐とする。

・両グループの世界観(世界の見え方)に差が生じる。
 前者は世界は争いと醜い心に満ちていると言い出す。
 後者は未来は、自分の手で切り開けると言い出す。
 子供はどちらの意見も聞く事に成るが、鍵となるのが責任であると知らない。
 そのため、自然と前者のグループが増えてしまう。


ご相談の内容は、こうした成長の過程で誰もが苦しむものなんです。

簡単に言えば、今いる自分の交友関係が宜しくないんですよ。

それすら自分の考え方に原因があるんです。

傷ついて、世界を見捨てるのではなく、

事件が生じたら、自らがクッションとなろうと、積極的になることです。

これを当たり前として褒美を求めないことです。

更に責任を担おうとして競っている人達がいますから、そのグループを見つけて加わることです。

これにより、瑣末時で争ったり、傷ついたりする機会が減ります。

そのためには、

自分の考え方について、

先ほど述べた大人の考え方と対比し、チェックを続け、思考の習慣を作ればいいんですよ。

これを一生かけて、のんびりやるんです。


自分が騙されたり、傷ついたりすると、

自分の精神が参ってしまい、それにより他人に迷惑をかけるのが殆どです。

辛いときほどグッと耐えて、自分が正常に振舞えているかをチェックしましょう。

そこをしっかり頑張っている人が多くいます。

そういう人を普段から見つけて友達にしないといけません。

自分が選んだ方がそうでないと知ったら、自分がクッションに成らないといけません。

相手の方と親密になったという責任が自分にあるからです。


以上、ご参考に成れば。
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僕は、嫌いになった人間さえ仲良するお人好しなんで上手く言えませんが信じる度合いを下げてみてください。


信じてもうまくいかないのは、人に対する期待が高いからだと思います。
この人は最高の友人だ。ではなく
この人はいつか裏切るクズな存在だから少しずつ様子を見よう
そんなレベルからやって裏切られたら捨てればいいのですよ
自分を裏切ることさえしないで自分を成長させてくれることがあれば
その人は友人になるべき人間なのでしょう。
あと、お人好しな性格なのかと文章を読んで思いますので
信じないことは信じるより難しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!
自分でも、騙されやすいと自負してきます…。すぐに信頼するのではなくてゆっくり関係を築こうと思います。

お礼日時:2016/11/13 01:32

あなた、人を信じるんじゃなくて、人を「こうあって欲しい人」に勝手にしてしまっていて、「こうあって欲しい人」ではない事を知ったときに、裏切られたと思ってるのではないでしょうか。



憧れのアイドル歌手がいて、へもしないし、運子もしないし、鼻くそも掘らないしと思っているのと同じレベルですよ。
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この回答へのお礼

実は、友人にバイセクシャルという秘密を何人かにばらされていたんです…。
でも、「こうあって欲しい人ではない時」に裏切られたと思っていた時もあったと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/11/12 07:32

疑ってかかるのはあまりよくありませんが、相手の話は半信半疑ぐらいでいいかと思います。

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人とかかわらなければよい。

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