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あくまで一般的な話として、よく絵画や音楽等、芸術一般で言われる事だと思いますが、時代や国を超えた普遍性があるものが評価されるといいますが、それは具体的にはなんなのでしょうか?

芸術自体が感性的なものなので、言葉で説明するのは難しいかもしれませんが、絵画だと色使いとかになるのでしょうか。
また普遍的といいますと何か抽象的な気がきますが、俗的な物との違いはなんなのでしょうか?
一般的、世俗的ではない普遍的なものとかになるのかな?

よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

普遍性について答える前に、「芸術とは何か」という事から考えてみたいと思います。



私個人は、芸術はコミュニケーションの一種だと思っています。会話が双方向性であるのに対し、芸術は作者から作品を通しての一方通行のコミュニケーション。受け取る側は、作品を鑑賞する事で作者の意図を読み取ることになります。この作者の意図、伝えたい事がより多くの人に伝わり、かつ技巧に優れているものが名作と呼ばれるのでしょう。

では、国(地域)や時代を問わずに人が人に伝えられるもの=普遍的なものとは何か、と考えると、これも私見ですが、「人間の感情」だと思っています。喜怒哀楽をベースとした様々な感情、または感情と分類されるまでには意識の上部に浮かび上がってこない、もやもやとした何かも含めて。優れた作品に接すると心を揺さぶられるというのは、作者の伝えたい感情がダイレクトに心に響き、作者の想いに同調するということなのでしょう。

古代ギリシャの彫像等は、多くは「神をたたえる」という目的で制作を発注されていたのでしょうが、実際に石像に鑿を入れた石工は「美しい像を作りたい」と願って作っていたはずです。すでに神殿は無くその神を信仰する人も皆無となった現在だからこそ、その彫像としての純粋な美しさのみが我々の心を打つのだと思います。
この例で言えば、「彫像の純粋な美しさ」がおそらく普遍的なるもので、古代の神殿に安置され信仰の対象とされていた時に人々がそれを見て感じたであろうものが世俗的と考えていいのかもしれません。
もっとも、世俗的という言葉は対義語として霊的、神的があげられるように、普通の人々の猥雑な普通の生活という意味合いが大きいので、これは普遍性の一部と重なりはしても対立するものではないと思われます。

いまいちまとまりに欠けましたが、美術の末席に存在した者の一意見として読んでいただければ幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

普遍と世俗は必ずしも対ではないという事なんですね。
>>「人間の感情」、「彫像の純粋な美しさ」~対義語として霊的、神的~
なるほど普遍については、つまり真善美という究極なのでしょうか。作家の思いが作品となり普遍的な何かが伝わる、なんてことかな。

一般的な作品において、低俗⇔高尚、普遍⇔特殊と、おおざっぱにこの前提で作品を位置づけている事が多いと思います。
現代は様々な価値基準があり、俗的なるものでも価値を見出したり(日常の中にある普遍的な価値みたいなもの)
ましてはダダ、シュール系、前衛となってきますとそもそもの評価基準がグラグラしてきます。作家自身がそうしたかったのでしょうが。

様々ある作品全てに通低している普遍的な価値があるとすれば、やはり作家の思いや、作品としての美しさ、なんてとこに落ち着くのかな~。

本当のところ、そこに近代批判に対する回答があるのではないか?と思っていたのでこういった質問をした次第です。
この質問の根底の意図は、相対化されるデザインと普遍化されるアート、といったデザインとアートの違いから見えてくるもの云々・・
ただこれはとりとめがなくなるのでこういった質問をさせていただきました。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2017/05/11 18:15

>> 自由、平等、博愛が普遍的なことだとすると、それは世俗的ともとれます。



ご尤もだと思いますね。
僕は20代の頃、善と偽善の違いが分からないと感じていた時期があります。

ただ、言葉では説明できない、作家の想いの強さの違いというのは、作品に表れてしまうと思いますよ。

質問者様がお好きかどうか分かりませんが、今思いついたのは、
ジョン・レノン、ヨーヨーマなんかからは、普遍的な愛情を、僕は感じますね。
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この回答へのお礼

作品を鑑賞する時に感じる思いというのは大切だと思います。

>>善と偽善の違い
ともすればその思いが本物かどうか?なんて事が普遍性と世俗的なるものとの隔たりなのかも、とも考えられますね。

ご回答有難うございます。

お礼日時:2017/05/10 18:40

こんにちは。

ギタリストさんですか??

個人的な見解ではありますが、評価されるのは、普遍性というより、
作家独自の歴史やストーリーなど、制作背景が、作品に表れているか否かだと思います。

例えば色というのも、現在ではRGBでモニターに表現される色はいわば全て「等価」ですが、
昔の人は、鉱物や植物、動物などから顔料を採って使っていたので、
地域独特の色とか、希少な色というのがありました。
(今だって絵の具の値段は色によって様々でしょう。)

そういったものを始めて発見したり、組み合わせを試したことに、
作家の人生の中で、何らかの必然性があると、評価につながるのだと思います。

ただ昔においては、そうした行為が偶然であっても、突き詰めれば必然だったとして、評価されていたと思います。
ところが現在においては、例えば日本人がアイルランドの音楽を始めたって、
Webで簡単に情報は手に入るし、先駆者はいっぱいいるし、
必然性を感じることは無いでしょう。

俗っぽいというのは、必然性が無く、
「他者に安易に影響されている感じ」ではないでしょうか。
しかしながら現在、そのような批判を受けずに作品を制作するのは、
大変難しいかと思います。

それでも、今の自分のルーツを地道に古典から辿って、
自分の立ち位置をハッキリと語れる人が、
一流の人には多いと思います。

彼らは、最初から目指すものが割とハッキリしていて、
それに向かって必然的な模索をして、
作品を完成させている気がします。

「古典」をないがしろにすると、作家独自の歴史もストーリーも無いので、
「俗っぽい」と言われそうですね。

例え今現在たくさん共感を集めても、それが後世にも残るかどうかは、
その辺りが境界のような気がします。

・・・「普遍性」という話とは少し違いましたね。
雑談的な感覚で参加いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

作家独自の歴史、ストーリーからくる必然性というのは面白いですね。

世俗的、普遍的なるものって抽象的な表現でその違いを考えるとどんどん曖昧になって同化しちゃいます。

例えばよく言われる、自由、平等、博愛が普遍的なことだとすると、それは世俗的ともとれます。
そうなってくると違いはあるのかな?同じことなのかな?なんて疑問がでてきてしまったのです。

その程度の事なのであればそれでいいのですが。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2017/05/10 16:18

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