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幕末から明治へ、帝国主義を振り回し欧米のコピーをしながら領土拡張策をとり侵略戦争に走り日清、日露、第一次世界大戦から軍国主義へ。第二次大戦で敗戦国になると、軍事力を米国に任せて経済大国へまっしぐら。平和憲法を盾に金儲けだ。しかし、もしも北朝鮮から一発でもミサイルが畑や山の中、富士の樹海でもいい、撃ち込まれたら一気に憲法改正、自衛隊は軍に護憲派は改憲派に変わり、本気で核武装を論じるようになるだろう。何故なら、この国の歴史を観ればわかるように突然かわるのが特徴だ。異論があれば聴きたい。

A 回答 (8件)

質問者様に全面的に賛成です。

これほど変わり身が早く、そして一気に変化する国民性は日本国と日本人の特性であり、他に類を見ないものだと思います。

これは司馬遼太郎氏や山本七平氏なども書いていたことですが、日本には「恐ろしく早く変化するもの(価値観)」と「ほぼ不変と言っていいもの(価値観)」があると思います。

まだ新進気鋭の作家だっだ猪瀬直紀氏は「ミカドの肖像」という本の中で、皇居は不変の象徴で、その周辺のドーナツ部分はめぐるましく変化する、と書いています。不変の核があるから、それ以外がものすごいスピードで変化しても「日本人」という同質性を維持できる、という考えで、同様なことは司馬氏や山本氏も著書に書いています。

また、日本人の特徴は「一旦方向性が決まったら恐ろしいスピードで全員が同じ方向を向く」というところでしょうか。

最近も面白い動きがありました。それはADSLや光ファイバーのインフラ整備です。
ネットがまだモデムを使って電話回線でつながっていた頃、ADSLが普及し始め最初は遅れをとっていたのですが、ソフトバンクが無料配布すると一気に普及しました(問題も多数ありましたね)、同様に光ファイバーが優勢になると一気に普及しましたし、iモードはすぐに日本中を席巻し、写メールと他社の同等なサービスも世界に先駆けて日本だけ一気に普及しました。

こういうように、日本ではなんでも「一気に普及する」のですが、世界ではそうでもありません。
携帯電話なんか日本ではすでに3G世代が終わりを見せ始め、5Gの普及が始まっていますが、世界的にはまだ2GのGSM携帯を普通に使っているところも多数あるわけです。

また東日本大震災後の電力不足も日本人特有の「団結力」で乗り越えましたね。これは神風特攻に通じる日本人の精神であり、外国がもっとも恐れるものです。

>もしも北朝鮮から一発でもミサイルが畑や山の中、富士の樹海でもいい、撃ち込まれたら一気に憲法改正、自衛隊は軍に護憲派は改憲派に変わり、本気で核武装を論じるようになるだろう。

その通りだと思います。むしろ北朝鮮はそのことを日本人以上に熟知しているでしょう。だから領海ならともかく、日本領土には絶対にミサイルを撃ち込まないと思います。もし、北朝鮮がミサイルを撃ち込んだら、数年のうちに北朝鮮は地図から名前を消すでしょう。日本人が怒り狂って憲法改正から再軍備、そして一気に北朝鮮に攻め込むからです。


日本人はある意味「瞬間湯沸かし器」です。日本国の存亡がちょっとでも危うい、と思うと一丸になって危機を乗り越える特性をもっている国であるといえます。だから中国もアメリカもイギリスあたりでも「理解不能」であるし、キッシンジャーや周恩来の危惧は現実にはなりませんでしたが、電力不足の乗り切り方をみるかぎり「やっぱり日本人は日本人」なんだと思います。

あ、そうそう、この日本人の国民性の発端はどこかと考えると、個人的には「白村江の敗戦」なんだと思うんですね。白村江で負けた倭国は「百済の次は倭国に唐が攻めてくる」と青くなったでしょう。その結果、倭国中の資本力を一気に投下できるように大宝律令を整備して、唐に対して「日本」という国号まで改めて宣言してしまうわけです。

学校の歴史では「天皇が中国皇帝を差し置いて「皇」と名乗ったから煬帝が怒った」と習いますが、この「日本」と言う国号自体が「もう白村江で負けた倭国じゃないよ、日本国は準備ができている。侵略しようとしたら痛い目に合うよ」という強烈な宣言に他ならないわけです。

結局、その後、明治維新や日清・日露戦争を含めて「外敵」は全部排除したのが「日本」なんですね。唯一の負けは(と言うほど対外戦争してないが)太平洋戦争で、でもGHQというある意味とってもラッキーな相手(新興国で勝者の権利に疎いアメリカ)だったので、これも「神風」だったのかもしれません。
 
その結果、日本はエコノミックアニマルになって一時は世界2位のGDPまで上り詰めたわけです。今はちょっと落ち込んでいますが、国内情勢も国際情勢も煮詰まってきている今は明治維新の前夜と同じ時期なのかもしれません。

今後20年ぐらいでまたガラッと、日本は変化するんじゃないでしょうか。私は20年後はよぼよぼの爺になっていますが「新維新」があるなら、それを見てから死にたいです。
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この回答へのお礼

私は既に70歳を前にしたジジイですが、パンスケのお姉ちゃんを見た記憶があります。長じて日本の歴史を振り返ると、貴方のおっしゃる通りだと思います。日本人は信じられないほど変わり身の早い民族だと思います。

お礼日時:2017/08/15 19:17

過去はその時代に生きていないのでなんとも言えないけれど、現代で考えると国民自体が流され易い中道が多数で、何も考えていない平和ボケ。



選挙の投票すら行かない、テレビのニュース見ても何も感じない不感症。
流石に民主党政権の時は生活が苦しく成りすぎて、コリャいかんとなった訳だが他のことには関心がない。

極一部で、右だ左だと右往左往してますが、自民党で安倍さんしか知らない人沢山いるだろうし、野党なんて誰も知らないかもしれない。
だから、小池さんみたいな人が大勝ちするんだと思う。
日本ファーストなんて知らないと思いますよ。
投票率上げたければ、携帯で投票できる様にすればビックリするくらい投票率上がると思う。

戦時中の様な強制的な教育をしない限り、個人的な事だけの考え方でバラバラでしょう。
昔の様に日本は強いはないですね。
それで良いのか、ダメなのかは私には分かりませんし、変えることなんかできない。
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この回答へのお礼

対米戦の前は大正デモクラシーの延長でハチャメチャ、ハレンチな文化が日本中を取り巻いていました。しかし、突然かわるんです。この国は。

お礼日時:2017/08/24 23:14

この国は国民の意思で突然変わったことはありません。

黒船がそうですね。憲法は戦後も実質的には何も変わっていません。明治憲法下でも天皇に実権はありませんでした。と言うより天皇は大和朝廷いらいマツリゴトとのような穢れたものに関わらないのが伝統です。明治憲法の統帥権も実質的な権限はありませんでした。国事行為のようなものです。

だから政治機構も明治以来継続しています。民法、商法、刑法その他主要法令もほとんど明治期にできたものを踏襲しています。政治機構改革はどの国でも武力により改革します。突然変わるというのは革命によって変わるという事でしょう

憲法ですが9条は単に武装解除を命じた占領憲法に過ぎないところ政局に利用され改正されないでいます。
農耕民族ですので日本は伝統的に重要問題を協議して強引に多数決で決めるのは苦手なのです。
政治的に重要な問題は必ず足して二で割る方法がとられます

9条は質問者様の言われる通り外圧がなければ変える事が出来ないと思います。できれば核が落ちる前に自衛の手段として核武装して核攻撃を防いでほしいものです。憲法改正は今のマスコミを見ていると間に合いそうもないでしょう。
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核廃棄物が捨てきれんほど有るから、常任理事国狙いで国民をだまして、議席数の数にものを言わせて作るだろうね、日本はアメリカ合衆国のパシリ、かいらい、奴隷、日本にはメリットはない、アメリカの飼い犬になった忠犬ハチ公日本、アメリカに頭なぜられてるから、信頼関係はある、和と洋との考え方は異なる、日本国民は迷惑だけど、日本はアメリカに出し抜かれ追い抜く頭はない。

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変わり身が早いのは確かだと思いますが、変わった後それから抜け出せないで行き着く所まで突き詰めてしまう律儀潔癖なクセがあり、そのため大失敗して来ました。


ミサイル一発で、憲法改正、核保有にまで走るとすれば、その失敗の反省ができていないからでしょうし、そういう民族なら最期まで付き合う以外に仕方がないです。
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この回答へのお礼

反省という言葉はよく耳にするが、当時の価値観では裁量の策と考えられたもので必ずしも反省が適切かどうかは再考すべきだと思います。日本は欧米の真似をしただけではないですか?

お礼日時:2017/08/19 22:14

お礼ありがとうございます。


お礼に書かれている内容は、急に変わると言うより、変わっていないと思っているから脅威に感じているのでは無いでしょうか?
国連において、敵国条項が撤廃されないのも、その為でしょう?
外国への進出も、江戸時代の前なら、豊臣秀吉の朝鮮出兵もあったわけです。
江戸時代は、徳川幕府の政策により、外国への干渉と、日本への干渉を避けるようにしました。
明治維新は、国内から、生まれたわけでは無く、国際情勢の変化により、日本まで外国の干渉が進んだからです。
それが、柔軟性です。
回答では、日本が変化しないとは書いたつもりはありません。
外国からしたら、変化しているようで、日本の本質が不動のように見えるのが脅威では無いかと書いたつもりです。
日本独自の核武装や、侵略目的の戦力の保持は、憲法以前に、国連憲章及び、そこに記載された敵国条項により不可能です。
また、NPT条約においても、不可能です。(国際法としてあり得ないので、そのような道に進んだとしたら、日本は世界の敵国として、再度裁判にかけられる事になるでしょう)
現行の状況としては、日米安保条約及び、許容される集団的自衛権の範囲における、自衛隊の行動及び、米軍の日本への核配備です。(これは、日本が核を行使できる事を意味するわけでは無く、米軍が戦略的に日本が攻撃された場合に、核攻撃を行使する可能性を保持すると言う事です)
これらは、現行憲法でも許容範囲です。(憲法では、核配備を禁止する条文はありません)
非核3原則は、あくまで、日本の政策として実施してきた事であり、米軍の核配備はその政策として、配備をしないでくれと頼んでいるだけであり、米軍が戦略的に配備する事を禁止する事ではありません。
そのような政策は、自民党では以前から許容範囲と考えていますから、自民党にとっては、なんら変化していません。
また、日本国として、NPTによる、核軍縮の決議を国連に提出し、決議も得ています。
それに、反する事を行ったら、単なる嘘つきでしょう?
もちろん、中・ロにしても、日本が単独で核武装したら、すぐにでも、制裁行為に入りますよ。(敵国条項により、国連決議無しに制裁を行えます)
アメリカの周辺国に対する核配備は、中・ロも脅威には感じるでしょうが、自分たちも同じような事はしているのですから、表だって非難は出来ません。(ヨーロッパでは、ドイツなどにアメリカは戦略配置を行っています)
政策は、情勢によって変わるのは当たり前です。
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江戸時代を国際関係のギャップと考えるから、急に変わったように思えますが、江戸時代の幕藩体制の確立による中央政権政府の発展の後に明治維新があったと考えれば、世界(特に西欧)に比べても、遅れていたのはせいぜい100年位ですよ。


そうでなければ、急速な近代化(これ自体がある意味誤りで、元々の技術力はある程度はあったと考えるべきです)は、無理なわけです。
西欧にしても、17世紀は魔女狩りをまだしていた位で、18世紀の産業革命以後のアジアの帝国が力を失った事に乗じて、植民地政策を進められただけです。
日本は、江戸時代に中国・オランダとだけの交易だけを行い、西欧諸国の植民地政策に巻き込まれなかったので、質問文にあるような状況を呈しただけだと思いますよ。
西欧にしても、第一次世界大戦以前は、群雄割拠の戦国時代のような状況で、国と言う概念も列強以外は、確定していなかったわけです。
その点は、日本は戦国時代以後は、中央集権国家として安定していたのは、幸運だったと言えるでしょう。
実際問題、明治維新にしても、西欧列強は、日本国内の勢力を分断して、植民地化もしくは、傀儡国家の成立を狙っていたのは、確かでしょう。(イギリス、フランスはそのように動いていました)
何故か、徳川幕府は、大政奉還を行い、明治維新は、幕府軍との極地的な戦闘はありましたが、速やかに進展しました。
その後の西南戦争にしても、短期間で決着し、日本は植民地化も傀儡政権国家になる事もありませんでした。
大東亜戦争後も、アメリカの世界戦略もあるでしょうが、島国と言う特殊な条件から、日本は分割される事も無く、基本的な国体は護持されたわけです。
むしろ、外国から見たら、これだけ変わらない国も珍しいと思いますよ。
大東亜戦争で敗戦して、東京裁判で主要な国家要人も処刑もしくは、公職追放を受け、原爆投下や、幾たびかの大震災、原発の破壊などの災害を受けながらも、日本は一切揺らいでいないように見えているはずです。
逆に、柔軟性を持ちながら、基本的な国体や国民性が変わらない事は、外国からしたら、脅威なんじゃないですかね?
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この回答へのお礼

確かにご指摘は理解できますし、その通りだと思いますが。しかし、ミニスカートは大正時代に出てます。かなり自由奔放な気風があったようです。大東亜戦争になるとガラリと変わります。しかし、戦後もガラリと変わりました。GIとジープで走り回るヤマトナデシコ。変わり過ぎだと思いませんか?古い話ですがキッシンジャーと周恩来が密かに会談した時、周恩来は又日本が攻めてくるのではと本気で心配していたようです。二人の間で共通したのは日本は突然、変わるということでした。

お礼日時:2017/08/15 14:48

まぁ考えたくない話だが



歴史的には書かれたように、流れに任せるというか、流れに棹さすような
国民性はあるからなぁ
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この回答へのお礼

この国の歴史の流れ方は極めて早い。例えば大政奉還。1867年、真珠湾攻撃が1941年。つまり、武士の世から真珠湾をゼロ戦が飛び回るまで74年。銀座のクロネコのモボモガの大正デモクラシーから、あっと言う間にモンペに防空頭巾、戦後、鬼畜米英から米兵に抱きついてジープで走り回るパン助、信じられないスピードでの経済成長。この国の価値観はネコの目のように変わる。こういう特性はキッシンジャーも指摘している。中国が恐れているのもこれだ。周恩来も恐れていた。

お礼日時:2017/08/14 15:37

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