A 回答 (17件中1~10件)
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No.17
- 回答日時:
ケント紙に鉛筆で精緻な図面を引いたとしよう。
あなたはこの図面には鉛筆の粉が付着してるのだから、この図面には質量があるのだと考えるべきだと言う。また、この鉛筆の粉はケント紙に付着してるのだから、それから考えてもこの図面には質量があると考えるべきだと言う。
さて、このように考える人が、この精緻な図面の意味を理解できるだろうか。
答えは否である。
彼は鉛筆の粉やケント紙に気を取られていて、図面の意味など全く気にかけていないのだから。
脳に重さがあるとか、電気が通っているとか、エネルギーを使っていると言うことは、この図面が鉛筆の粉とケント紙でできていると言っているに等しい。
要するに、精神のことについては何一つ、興味の欠片さえもないのである。
もう一つ例に取ろう。
我々は音声によって言葉を発する。
さて、音声を聞く人は、言葉を理解する人であろうか?
答えは否である。音声を聞くと言うだけでは言葉を理解することは出来ない。音声は耳があれば聞こえるものだからである。
しかし言葉は聞く耳、すなわち心の耳が無ければ理解することは出来ない。
さて、ここまでを一つの回答としたい。以下は、読みたいと思えたなら読むべし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
音声に囚われる人というのは、プロポーズの言葉を聞いて、ごめん、声が小さすぎて、、、とか、声質が好みじゃないんだ、、、とか、的外れな事を言うようなもので、事とシチュエーションの重大さを全く認識していないのです。
精神に重さやエネルギーがあるか?と尋ねるのは、プロポーズの言葉は音波であるか?と尋ねるくらい、意味のない事なのです。
しかし今日は、更にあなたの奥底の疑問に答えるために、もう一つ例を取ろう。
人は死んでも精神は残るか?
人生とは何か?
と言う問いの答えである。
喩えば小説家が、原稿用紙と鉛筆で小説を書いた。しかし、途中で紙と鉛筆が尽きたとしよう。この事で、彼の考えた物語は終わったと言えるであろうか?
答えは否である。紙と鉛筆が足されれば物語はまた続いて現れるだろう。彼が小説を書くのを辞めない限り。
人も、生まれるのを辞めない限り、人生が続いていくのである。
しかしあなたは思うであろう。足せる鉛筆も原稿用紙も無ければどうなるのか。即ち新たに生まれる肉体など無いのではないか?と言う疑問である。それは別に、砂と枝でも良いのである。パソコンでも良いのである。また、音声だけでも良いのである。
そして更にあなたは問いたいだろう。そう言う、物質的なもの一切が無ければどうなるのかと。それは、世界がもう現象しないと言うだけのことである。世界が具体的に現象しない世界においては、何ものの存在も証するものはない。しかし、何ものも存在しないと言う事も出来ないのである。
更に、別の側面から問題を見てみよう。
それは、小説家自身が物語の登場人物である場合である。世界と言う大きな物語があり、登場人物達がその中で小さな物語を綴っている場合である。さて、この世界と言う大きな物語の中で、Aという登場人物が生き、そして死んだとしよう。さて、今後Aは再び復活するだろうか?と言うことについて見てみよう。答えを言うと、Aそのものは復活しないが、必要に応じてAのような人物はまた現れる。即ち、人は無我ということである。同じ役柄を別の俳優が演じるようなものである。また、同じ俳優が別の役柄を演じるようなものである。ただ、この世界と言う大きな物語に束縛されない人だけが、二度と現れる事のない唯一無二の人生を送り、終わるのである。
人生に意味を求める人は、命というものに拘ってはならない。それは、血肉によって人は出来ていると言っているに等しく、精神の存在など認めてはいないのである。
勿論これは、簡単に死んだり、生命を軽んじて良いと言う事ではない。
もっとわかりやすく言えば、命はお金のようなものである。
一万円は、使って初めて価値を発揮する。問題は何に使うかである。騙されたり、欲しくないものを買ったり、自分を差し置いて自分の為にならない他人の為に使う事のないように。
命は人生を生きて初めて価値が出来る。ただ生きているだけでは価値は生まれないのである。問題は、如何に生きるかであり、言うなれば哲学はその問いに関わっている。哲学は、一万円で何を買うか、何処で買うか、いつ買うかを思案するようなものである。命を何に使うか考えるようなものである。哲学が無力であると感じるのは、自分の本音から目を背けているからである。
考え、感じ、悟り、思い、人は心に決めて人生を歩むのである。一万円は紙で出来たお札だから物質である、なんて事を言っていてもお金の価値を理解した事にはならない。その様な事からは早々に卒業して、真っ当な思考の対象を掴むべきであろう。
ちなみに、あなたの言いたい性質とエネルギーの話では、精神が性質、エネルギーが肉体という事になろう。図面の話で言えば、性質が図面であり、エネルギーが鉛筆の粉やケント紙にあたる。
さて、あなた自身の性質はなんであるか?
これを問うてこの回答を終わりにしたい。
No.14
- 回答日時:
二元論と一元論の狭間ですよね。
例えば「精神A」と呼ばれるものに「物質(=エネルギー)とは別の何か」を想定したとします。
「精神A」は「物質(=エネルギー)との相互作用を一切行わない」とします。
もし、そうであれば、「精神A」は、キーボードを打つことも、会話することも、肉体を動かす命令としての電気信号を脳から発するように「意識」することもできなくなるでしょう。(たとえ、受動意識仮説を信じていたとしても、定義から脳の電気信号が、意識として「精神A」には届かなくなります。)
「そんなことはない」となるなら、「精神B」は「物質(=エネルギー)と相互作用を行う」と、考えるべきでしょう。
そうなってくると、「いやいや、精神Cという概念があって、それは物質(=エネルギー)にしか過ぎない」という方もおられるでしょう。
「精神A」と「精神B」と「精神C」と、それら「概念」の何れもが、「精神」という概念に重ね合わされては、人々の思考に影響を与え続けている。
すなわち「概念」としての存在(私の言うところの「窓ガラス」ないし「知的切断面」という「認識論的な存在」)はある。
でなければ、永年に渡って、論じる対象にはなり得ない。
「窓ガラスがはめ込まれたのは、何処なのか?」
「知的に切断されるところとは、また、何を切断するのか?」
精神という概念、心という概念、魂という概念、神という概念
これら「知的に論じうる概念」は、認識主体と相互作用を行う外部との狭間(「窓ガラス」,「知的切断面」)にて、「言葉・記号」として存在している。
外部と認識主体が相互作用を行うのであれば、それは、いつから切り離され、いつから自己を自己として認識し始めたのか? いつから自己を自己として認識しなくなるのか?
永遠なる過去、ないし永遠なる未来に、「混沌」と呼びうる状態があるなら、分離しているとも捉えられる、「それら」は、「全体・総体」から分離・派生し、いつの日にか、元の「全体・総体」へと還っていくのでしょうね。。。
図は、「二元論と一元論と。。。知的切断面と総体と。。。」(http://jinen.exblog.jp/4044620/)より。。。
No.13
- 回答日時:
宇宙の真理の方程式は非常にシンプルだそうですね。
」←そうですよ・・一言で言うと「愛」なので・・
それが 宇宙の始まり・・
No.10
- 回答日時:
No.7です。
「精神と言うものはエネルギーや重さを伴うものか?それとも精神とは飽くまで脳とは違う存在か? と言う所でしょうか」
⇒それによって、何が違ってくるのでしょうか。
その裏に、haru27さんが他に云いたいことがあるのではないでしょうか?
つまり精神というものはエネルギーや重さのない存在と思われてる事がありますが
精神も脳の様々な反応というエネルギーや質量のあるバックがなければ実現しない
我々はそこまで勘定に入れて「精神」を考えているだろうか?
と言う事です。 言いたいのは存在とは全て 性質とエネルギーの両方で成り立っているという事です。
No.8
- 回答日時:
こんばんは。
精神は、ドイツ語ですとGeist(ガイスト)。ボルタ―ガイスト(Polter-Geist)のガイストです。ですから、精神(Geist)は幽霊(ドイツ語のGeistには幽霊という意味がある)のように掴みどころがありません。
また、哲学用語としての精神は、「こころ」、「こころの働き、機能、作用」くらいの意味。そして、「こころ」とは何かと言えば、「心的作用の集合、心的作用の統合体」などの意味ですから、「こころ」とは何かと問えない構造になっています。
ここで、精神からいったん離れます。
コンピュータがあります。コンピュータは、計算をする能力をもっています。そして、コンピュータを使って計算をするためには、電力、電気的なエネルギーが必要です。しかし、コンピュータの計算をする能力、はたらき、機能は、エネルギーの存在を必ずしも必要としない。コンピュータが壊れていなければ、そのコンピュータが壊れていることを知らなければ、電源が入っていなくても、コンピュータが計算する能力を持っていること、コンピュータに計算する能力が存在することを疑わないでしょう。
このコンピュータを脳、計算する能力を精神になぞらえれば、エネルギーを必要としているのは脳であって、精神ではないということもかのうでしょう。そして、エネルギーがなければ、計算はできない。しかし、電気がなくて計算ができないから、そのコンピュータ、脳に計算能力がないということには必ずしもならない。つまり、エネルギーがなくても、計算能力、精神は存在しうる、ということになるんじゃないですか。
では、ここで逆に質問しますが、コンピュータが計算する能力は、コンピュータが生まれる前に存在したのでしょうか。
アリストテレスの四原因説に従えば、コンピュータの形相因(プラトン流の言葉で言えばコンピュータのイデア)は、宇宙開闢の瞬間、あるいは、それ以前に存在していたのかもしれない。質料因、動作因、目的因を欠いていたために、この世界に物質的な存在としてのコンピュータは存在できなかっただけかもしれない。
何とでも言えますよ。
☆あなたは精神や意識、概念に脳を含めて呼びますか?脳の活動も含めて精神と考えているでしょうか?
◇唯物論的な考え方をすれば、精神や意識は脳の活動の結果、現象として出現するといえるのでしょう。そして、この意味で、脳が意識や精神を生んだということは可能でしょう。しかし、あくまでも「この意味で」ですよ。
コンピュータの計算能力は、コンピュータが生まれる前に存在しうるんですから。そして、この能力の存在は、物質やエネルギーを必ずしも必要としない。そんなものはなくても、計算能力は存在しうるんですから。
ところで、エネルギーの定義を知っていますか?
物理学でいうエネルギーは仕事をする能力のこと。
仕事をする能力ですよ、能力!!
能力ですから、エネルギーの実在性は、精神の実在性と五十歩百歩で大差がないと思うんですが。
エネルギーは、物理現象を説明するために人間が勝手に設けた1つの概念、説明原理にすぎないんですがね〜。なのに、エネルギーの存在は、無条件で認めるんですね。
理系で言うエネルギーとは熱エネルギー、電気エネルギー、電磁エネルギー、運動エネルギー・・・・
質量もエネルギーの一緒だというのが今の定説でしょう
脳には質量があります。神経伝達物質にも質量があります、ニューロンにも質量がります
そして脳内では質量の他にも化学エネルギーや電気エネルギー等があります
我々は精神を その様なエネルギーとは別にあると考えてきたのではないでしょうか。
だから精神の定義を作らなければならないと思います。
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