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よく悪いことをすると言う言葉「必ずばちが当たる」。
これって本当なんですか?
私も人に嫌な事をされたりすると「神様は必ず見ている。コイツは必ずばちが当たる」と思い我慢し、今までがんばってきました。が、ばちが当たった様子もなく思えて人にグチってみると「いい死に方しないから」なんてななぐさめられますが。なんだかたまにずる賢い方が得な人生なのでは?と考えたりします。ばちって本当に当たるものなのでしょうか?ばちが当たった人を見た事があれば教えてください。

A 回答 (10件)

> ずる賢い方が得な人生なのでは?



 何を以って『得』と言うのかは議論もあるでしょうが、こと『お金』や『処世』に関しては、その通りだと思います。

> ばちって本当に当たるものなのでしょうか?

 神の存在を信じている人には当たるのでしょうが、存在を信じない者にはあたりませんね。大体、まじめに?『ばちが当たる』なんて考えている人のほうに『ばちが当たる』もんなんでしょう。

> ばちが当たった人を見た事があれば教えてください。

 半世紀以上生きてきて『ばちの当たった人』は見たことありません。“ばち当たり”な奴はたくさん見てきましたが、シャアシャアと生きています。勲○等なんてもらったのもいます。

 社会が狂っているんですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
ものすごく納得です。私も“ばち当たりな奴”はたくさん見ました。
人生損得で生きているわけじゃない、と思いたいところですがそれはやはりきれいごとであって、ずる賢く生きたほうが得をするんですよね。
そんな世の中ならどうしようもないですね・・・。なんだか悲しくなります。

お礼日時:2010/01/08 17:48

こんばんは。

因果応報、この言葉を聞いたことはあるでしょう。

我々が生きている今生では、目的があって生を賜っています。簡単に言えば
魂、言葉を変えればエネルギー体の進化の為です。今の自分の体は単に入
れ物でしかなく、経験している世界も言い方を変えればバーチャルです。

そしてその魂は地球時間にして数十万年レベルのものまで千差万別です。そ
の中での今生の数十年とは一瞬のごときですね。

そして貴方の質問にある”バチ”とは言い換えれば波動調整みたいなものでカ
ルマと言われるものでもあります。全ての事象には原因があり結果が伴います。今生の短いスパンで現れる場合もありますが、次生での営みに現れる場合もあることを知りましょう。

輪廻転生説を否定する方には相容れない事でしょうが、これが真実です。そし
てずるがしこく生きているから自分も・・・と言う生き方も間違いではないですよ。それは貴方の感性が決める事であり、結果はその行動に伴っていずれ現れるだけのことです。

貴方はエゴや欲望のトラップに嵌りたいですか?不快感や違和感が生じるなら
ばそれは魂レベルの叫びと思って間違いないです。表向きの幸せとは魂は癒せ
ません・・・。
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 「ばち」が当たるかどうかはさて置き、「気に食わない奴にバチが当ってほしいと願う心理」について、はたして、それはどうなの?と少し疑問も感じます。


 どういうことかと言いますと、競合関係にある場合(たとえば恋敵)、相手の失敗はこちらの利益になります(ふつうは恋人は一人ですので)。しかし、相手にバチが当ったからと言って、自分が幸せになる訳でもないのに、あいつに「ばち」が当ってほしいと願うのは、ノイローゼ的であると言えなくもありません。人間ですから、不合理な感情があって当然ですが…。
 「ばち」は本当にあるのかどうかより、そちらの方が重要ではないかと…。。。
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神なんて存在しませんし、バチもありません。


自分を慰めるために考えられたものです。
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「ばち」が当たっていないような人も結構いると思います。


ずる賢いほうが得なのかもしれないって思うことも沢山ありますよね。


「ずる賢く得して楽して生きること」より、「真面目に苦労して生きること」のほうが、辛いですよね。
でも後者のほうが、立派で尊敬できる生き方だと思います。


しかし、私の周りにこの人は「ばち」が当たったのかも!?って思う出来事もありました。
以前の職場に障害者をバカにしたり障害者を気持ち悪いだの言っていた人がいたのですが、
結婚して子供を産んだら障害児でした。


あと、とにかく他人のことを「あの人は太っている」だの「あの人は顔が大きい」だのと、
ルックスにばかりケチをつけていたナルシストな男の人がいたのですが、
その人が事故で顔に大やけどしてしまいました。


偶然かもしれませんが、
これって「ばち」があたったんじゃないかなぁって思います。


実際に「ばち」が必ず当たるものではないかもしれませんが、
因果応報を肝に銘じて、自分の行動には気をつけて生きていきたいなぁって思います。
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罰が当たったかどうかは・・・本人の受け止め方だと思います。


「これがあの時の罰だ」とか昔良く思いましたし、「あいつに罰が当たればいい」と思った事もありましたが・・・本人が、罰だと思わなければ・・・罰ではないのでしょう。
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「ばち」は真っ当な人には当たるのではないでしょうか。


ここで言う真っ当な人とは、悪い事と良い事の分別が付
く人のことを指します。
普通の神経の持ち主ならば、悪い事をしたら後ろめたさ
や罪悪感を感じるでしょう。
そして、その事によって、精神バランスが取れなくなり、
通常の生活リズムを崩すことになると思われます。
しかし、悪事を働いておいて、なんとも思わないような
人は、鬼畜としてそのまま世にはばかります。
これは隠れていられるまでの期限付きの通常です。
なんだか哲学的になってきましたね。
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世の中には本当に「ばち」があったたら良いのにと思う出来事がありますね。



それはさておき、日本人は悪いことをした時など「罪悪感」を持ちます。
その「罪悪感」を持って生活して行く間に、ちょっとした不運に遭遇した時
「あ、これはあの時の「ばち」が当たったんだ」と思ってしまう。
逆に「罪悪感」を持たない人の場合、不運にあっても「運が悪い」「何で自分がこんな目に」としか
思わない。更にひどい場合その不運を無関係な人のせいにすることもあります。

「ばち」と同様に「呪い」も同じようなスパイラルになると考えられます。
人にうらまれていると感じる→ちょっとした悪いことが起きる→「これは呪いか?」→何か不運に会う
→「やっぱり呪われている」→・・・・・
といった感じです。
気にしない図太い、あるいは無神経な人には感じないことではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
考えてみたら図太く無神経な人にほど「ばちがあたればいいのに」と思ってしまうような気がします。少しでも「罪悪感」を持ってくれればそんなふうに思えないのかもしれませんね。

お礼日時:2010/01/08 17:21

ずる賢い人は一見得をしているように見えますが、その人の行動や人となりは神様でなくても周りの色んな人が見ています。



上手く立ち回ったとしても嘘やズルをしていれば、必ずその埋め合わせをする時が来て、嘘には嘘の上塗りをしないと辻褄が合わなくなります。
象徴的なものでは昨年末の詐欺女の事件。全うに生きていない人は必ず暴露されて表に出るか、そうでなくても心に「善」の部分があればヤマシイ思いに駆られて荒んだ人生を送る事になります。このような人は腐る程います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
悪いことをした人がヤマシイ思いにかられるならまだしも、何にも思わない人もいますからね。みんながそうゆう思いになってくれればいいのに、と思います。

お礼日時:2010/01/08 16:03

太鼓のバチでたたかれた人がいました


これさておき
法律で犯罪と定められている悪事を働くと法律によるバチが当たります
先日暴走行為をしていた男が農業用水に落ちて重傷を受けました
バチも当たるときと当たらないときがあるようです
公平に当てて欲しいですね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
あまり人にばちが当たれ、なんて考えているとそれに対してばちがあたりそうなので、自分自身にあたらないように正当に生きたいと思います。

お礼日時:2010/01/08 16:01

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