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龍馬伝(NHK)の桂小五郎の名前について

昨日放送の龍馬伝にて、桂小五郎の名前が「木戸貫治」となっていましたが、
私はずっと「木戸孝允」という名前で覚えていました。
Wikiによると貫治は通称となっていますが、通称で覚えてしまったら
歴史の試験とかで困るのではないのでしょうか?
なぜ正式の名前で放送されなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

幕末期の更に末期は、志士の活動はまさに命がけです。


倒幕派と佐幕派に別れて、血で血を争う戦いが起こります。特に京都では   
佐幕派の人間(新撰組や見回組など)が血眼になって倒幕派の志士を捕らえ
ようと必至になります。そこで、倒幕派の志士たちは変名を用いるように
なります。

今回の場合だと、佐幕派からみれば大奸物の桂小五郎というテロリストが
京に忍び込んだ情報をキャッチします。桂という名前は、すでに知れ渡って
いるので、自分は桂ではなく「木戸貫治」という人間になり、京に潜伏
するのです。桂の変名は、明治以降、そのまま本名になり「木戸孝允」と
いう名に落ち着きますが、他には「広江孝助」「新堀松助」「臼田幸助」と
いう変名を用います。薩長同盟の時期には「木戸貫治」と名乗っていたの
で、忠実にその名前が使われていたと思いますよ。

ちなみに、龍馬は「才谷梅太郎」という変名が有名ですが(才谷は実家の
豪商の名前で、梅太郎とは勝海舟の子供の名前でから付けてます)堂々と
関所などを歩いていたことから、西郷に頼み込んで、西郷の縁者のものと
して「西郷伊三郎」と名乗っていました。街を歩いている際に、今で言う
職務質問に合い「藩名と名前を言え!」と言われた際には、「薩摩藩士の
西郷伊三郎どす」と応えれば、「あの西郷吉之助の縁者の者ですか、これ
は失礼いたしました」ということになります。

蛇足ですが、明治に差し掛かる前には、形勢が逆転し、佐幕派の人間が
倒幕派に追いやられる形となり、新撰組なども変名を用いて行動します。
新撰組の局長である、近藤勇は「大久保大和」と名乗っていましたが、
倒幕派に投降する際に、「わたしは大久保大和だ」といって、生き延び
ようとしますが、捕縛した側に近藤の顔を知っている者がいて、「こいつ
は新撰組の局長、近藤勇だ!」と見抜いたことから、斬首になります。
いかに変名を用いようとも、相手に顔を知っているものがいれば意味
なしです。そのため、変名を用いていても怪しければ、引っ立てられて
顔を知っている者がいないか吟味するのです。

変名はあくまでも、保険程度の効果しかなく、激動の時代に日本中を
行動することは、正に命がけの行動だったのです。
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この回答へのお礼

詳しいご説明ありがとうございました。
なるほど、薩長同盟時には貫治という名前を使っていて、“こっちの方が歴史とおり”ということになるわけですね。

お礼日時:2010/09/02 13:34

『孝允』は正式な名前ではありますが、諱なので、普通は呼ぶのをはばかります。



桂さんの場合、36歳以降、自らその名を公に使うようになりますが、それまでは公には使われず、『貫治(33歳時の通称)』など様々な通り名を使用しています。(当時の長州藩の状況的にも様々な偽名を使っていましたし。)

そうした歴史的な事実に基づいて作られたため、龍馬伝では『貫治』を使っていたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/02 13:32

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