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今回、同性愛が理解される一方で小児性愛者が理解されないのはなぜかということを相談したいと思っています。

昨今、同性愛者はテレビやCMにも顔をだし、社会的にはまだまだでしょうが社会的に認知される機会が増えてきたと感じます。
それに伴って、異性愛者へのカミングアウトという言葉も頻繁にききます。
昔は、同性愛者であること自体がタブーであり、それを言うことで精神病などのレッテルが貼られ、同性愛者であることを社会や他者に否定されてきました。
今は、その傾向も昔と比べると若干同性愛の社会的認知が増え、理解する人々が増えてきているように私は感じます。
またクィア理論などの登場によって、セクシュアリティのあり方も次第に変わりつつあるように感じます。

では、小児性愛者はどうでしょうか。


小児性愛者は人々から変な眼で見られ、もし彼らがカミングアウトしたものであれば人格を疑われるのではないでしょうか。
また、小児性愛者は精神的に何かおかしいと思う人もいると思います。
彼らは昔の同性愛者が体験した状況と同じ様に、精神的におかしい人と認識される立場に今現在いると私は感じました。
とすると、小児性愛者は同性愛者と同じように社会から認知され、理解されるように将来なるのでしょうか?
クィア理論では、セクシュアリティに普通はないことを前提として説明されています。
それは、すなわち小児性愛も同性愛者も異性愛者も、一般的な枠に嵌ったセクシュアリティではなく、差別されようのないセクシュアリティのあり方と理解することもできます。
中東では、年齢的、社会的立場の違う男性の同性愛行為の存在を確認できます(具体的には、親子の差ほどの年齢同士)また、昔の日本にも存在しました。

もし、小児性愛者のセクシュアリティが否定されるのであれば、同性愛者はどうなのでしょうか?
もちろん、パートナー関係が大人/大人、か大人/子どもというところで年齢的、社会的な立場は違います。
同性愛者を含むセクシュアルマイノリティの人々は小児性愛者も擁護する運動を行っているようには思いません。また、小児性愛者は何らかの行動をした結果、社会に認知され、法的罰則を与えられ、管理されるようになるのではないでしょうか。

今の社会は同性愛はよくて小児性愛はなぜだめなのか。そこから派生して、社会から受け入れにくい現状の中、カミングアウトは果たして必要なのでしょうか。

うまくまとまらずすいません。

A 回答 (8件)

質問の趣旨からは外れてしまうかもしれませんが、皆さんが理由を挙げて回答していらっしゃるように、小児性愛は現代の価値観に合わないものなのだろうと思います。



現代がどのようなものを正常として、どのようなものを異常とする動きになっているのかは詳しく知りませんが、どの時代でも「異常」は存在します。

小児性愛が異常とされず、人々もそれをおかしいと思わなかった時代もあるようですが、現代では小児性愛を異常と位置付けています。
現代の先進諸国の方針と、小児性愛が相容れないのだと思います。

小児性愛を異常と思う現代の人々の価値観はメディアによってある程度左右されていますし、小児性愛を社会的に厭う傾向の理由は、この時代と合わない、ということだと思います。

対して、同性愛者はこの時代と相容れることができるので受け入れられる。
要するにそういうことだと思います。

国の方針が変わり、小児性愛と相容れるような時代になれば、人々の価値観も変わり、小児性愛者を受け入れるのだと思います。



質問の趣旨と違っていましたらすみません。
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小児性愛者と言いますが、実質扱いはレイプ犯ですよね。


小児性愛者=強姦趣味という図式が暗黙の了解としてあるような風潮がこの問題の本質であると思いますがどうでしょう。

同性愛者同士が手を繋ぎデモを行ったように、小児と大人が手を繋いだデモ行進が行われれば世間の目もまた違ってくるのかなーとは思います。



あとそれ以前に単純に疑問なんですが、小児性愛者の恋愛は成り立つのでしょうか?
例えば(現実的に希な例だという事はともかく)10歳の彼女ができ清い交際を続けたとします。
しかし、その後10年、20年と経つと自動的に小児でなくなるわけですが、その事実に対して小児性愛者はどう向き合うのでしょうね。
どうやっても報われない性癖のような気がします。
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「小児性愛者は何らかの行動をした結果、社会に認知され、法的罰則を与えられ、管理される」、私はこのような事に遭遇しました。

私は男性同性愛者で、高校生の男の子が大好きで、相手は高校生ですから小児とは異なり少年から青年への中間だと思っています。地元のプールで県高等学校水泳大会があり、受付でビデオ撮影の許可証を頂き、最初は競泳を撮っていたのですが、やがて飛び込みの選手(男子)を遠くからアップで撮影していました。暫くして、競技役員が来てビデオテープをストップさせ、その場で再生を命じられました。画像はその男子だけでしたので、テープを没収されました。その競技役員は「出るとこ出るぞ!」と言ったので私は「撮影者にも人権はある!」と言ってあくる日、法務省人権擁護委員に申し出、県の水泳協会との電話でのやり取りがあり、又、擁護委員は男子を撮影したのだから、このテープの売買という事は考えにくいし、撮影者は映像が動き変化する事を楽しんでいる訳だから撮影者に悪意は無いとの見解で、テープは戻って来ました。テープ没収は
その競技を見ていた父兄が申し出たとの事で、私の名前はすでにブラックとして協会に載っており、あれ以来一切撮影に行っていません。これが今の日本の現実なんです。未成年者に何らかのアクセスをすれば「未成年者淫行」なんです。「小児性愛者のセクシュアリティの否定されるのであれば同性愛者はどうなの?」、「同性愛者はよくて小児性愛者はだめなの?」、全然、水と油で次元が全く違う事なんです。ですから貴方は別にカミングアウトの必要も無いし、日本では平然として、余裕があればタイでも行ってそういう子達と遊んではいかがですか?

この回答への補足

具体的な事例を用いて丁寧に説明して頂きありがとうございます。
私は同性愛者であり小児性愛者ではありません。それを踏まえてこれからお話していきます。

未成年者に対してアプローチをかけること自体が苦しいと思います。また日常/非日常との境目が曖昧(具体的には、プールという公の場で、私という小児性愛が表出してしまう)な状況は非常に同性愛者のそれと似ているように思えます。
そして今の社会で小児性愛者は市民権を得られないため海外に行き、自信のセクシュアリティを解放することができる。そのことは、賛否両論あると思いますが、小児性愛者のアイデンティティを確認する場にもなっているのだと思います。

補足日時:2011/02/03 21:24
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子供の頃性犯罪被害に遭った同性愛者として回答させていただきますと、同性愛は誰も傷つけずに成立しますが、小児性愛が成立するときはかなりの確率で子供が傷つくのではないかと思います。


私に性的行為を行った大人は顔見知りで、当時小学生だった私はすごく嫌だったけど言い出せませんでした。だって怖かったから。
その大人のことは好きでしたが、そんな気持ち悪いことしないでって思ってました。
子供は大人にノーと言えません。大人になって同性から告白されたときは、ノーと言えます。

支離滅裂で申し訳ありませんが、ご参考までに。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

確かに良く分からないことに遭遇すると、身体が強張ってしまいなんもできなくなります。
そのような状況であれば、誰でもNoともYesとも言えなくなると思います。
子どもであればなおさらでしょう。
同性愛における性行為は相互の承諾がある前提では傷つかず、小児性愛における性行為は、相互の承諾がなくてもあっても互いに傷つくのだと思います。

補足日時:2011/02/03 21:07
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大人は自分で判断出来ますが、小児は出来ません。


だから問題なのです。
大人と大人では、同意の上であったとしても、大人と子供では違います。


私には子供がいますが、大人は怖い存在です。
そして、子供は弱い。力では絶対かないません。
大人が守っていかなければならない存在です。
子供は大人が怖いから、従ってしまいますよ。そうやって、小児性愛者の被害者が生まれると
思います。
社会に認知されるわけがない。
子供は、自分で判断出来ない存在ですからね。

子を持つ親として小児性愛者は怖い相手です。
もし、近くにいたら絶対子供は近づけさせません。
子供は、大人にかなわないですからね。

カイミングアウトしたら、その後どうなると思います?
まず、まわりの人達は離れていき友達はいなくなり、白い目で見られ要注意人物になるのは間違いないですよ。
今のご時勢ネットで噂は広まりますし、生活していく場は限られていく、社会的立場さえもなくなるかも。家族がいれば、家族も失うでしょう。
何かも失う事になると思います。
そこまでしてカミングアウトする利点はないでしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

確かにおっしゃる通りです。小児性愛の大人は自分で判断できますが、その性的対象となる子どもは判断しにくい状況にあると思います。また、カミングアウトに関しても小児性愛者は自分のセクシュアリティを他者に伝えるだけで社会から隔離される可能性が高いでしょう。

セクシュアリティの多様性を論ずる中で、今の社会では多様性の限界があるように感じてます。セクシュアルマイノリティとしての同性愛者は、社会に位置づけられる(もしかしたらそう思っているだけなのかもしれませんが)ようになる一方で、小児性愛者を含む、他のセクシュアルマイノリティ(例えば、動物に性的興奮を覚えたり、もしくは非生物:車や機械など。に性的興奮を覚える人たち)はどのように自分たちのセクシュアリティの在り方を見いだせばいいのでしょうか。

補足日時:2011/02/03 21:00
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基本的に同性でも大人どうしであれば双方の同意の元であるなら、他人がどうこう言うべき問題では無いですが、性的対象が子供となるとそうはいかないでしょう。



なぜなら、子どもが冷静に未来を見越した判断が出来無いからです。
一時の感情で行動した結果、その子供の人生が大きく変わってしまうリスクは大人として避けるべきです。
子供=判断能力の欠如=法的無能力者
である訳ですから、その判断能力に劣る子供を性的対象としているロリコンが社会的に受け入れられないのは当然です。

生物として、妊娠の可能性の高い若い女性に興味がわくのは本能として正しいのかもしれませんが、やはりロリコンはまずいです。断じて社会的に受け入れられるべきでは無いです。
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございます。
No,3さんのおっしゃる通りだと思います。
子どもは善悪の判断がつかないために、彼らを性的対象と見る小児性愛者と性的接触を持つかもしれないですね。そのため、法律で規定し、善悪の判断のつかない子どもたちを守るのは当然です。
ただ「法律でそう決まっているため」と断言するのは、私は少し安易に思えます。もうちょっと深く突っ込んだら、ではその法律はどのように作られたのかということが重要になってくるのではないでしょうか。

法律が国によって違い、グローバル一元的な基準が未だに採択されていないように(1990年代には子どもに国際的基準の権利:児童の権利条約。が叫ばれ、日本でもそれを1994年に採択しましたが)、国民国家の中で法律が制定される背景には、様々な社会的・文化的要因があることも否めないと思います。

小児性愛者は、自分たちのセクシュアリティをカミングアウトすることもできず、クローゼットに隠れたままです。恐らく、今の社会でしたらインターネットを介した彼ら独自のコミュニティを創造し、そこでセクシュアル・アイデンティティを確認することが出来るでしょう。

ただNo1さんの補足でも書きましたが、同性愛者を認めて、小児性愛者を認めないことは法律だけの問題ではないように思えます。
非・同性愛者が抱くホモフォビアは、小児性愛者へのそれと同じではないでしょうか?ホモフォビアという性的な気持ち悪さは、直接的に法律的な問題と絡んでくるでしょうか?
具体的に言うと、「あの人、法律に違反しているから気持ち悪い」って普段思うかどうかということです。

すいません、言葉たらずですが。

お礼日時:2011/02/03 20:44

補足ありがとうございます。



なるほど質問者様の質問の趣旨がわかりました。


価値観や性癖や好みなどは多様です。

でも、それは世間は解っていると思いますよ。

認知が進まないのは、少数でしかも声を上げて運動しないからですよ。


今までも、同性愛者の人達は世界的に運動して同性愛者間の婚姻などを、欧米諸国で認めさせてきました。

しかし、児童性愛者は世界的に犯罪行為と認定されている事もあり、声をあげれば犯罪者予備軍の扱いになってしまいます。

基本的に、児童は判断力や自己責任能力を認められていないのですから、それを性行為の対象にしてしまう、児童性愛者は余程の事が無い限り、市民権を得る事は無いでしょうね。


基本的に同性愛と児童性愛を同列に論じる事自体に無理があると思いますよ。


同性愛はお互いの合意を前提で成立しますが、大人と子供の間ではお互いの合意自体が、成立しない事になってますからね。
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法律や条例で決まっているからですよ。



極端な話をすれば、法律で殺人が禁止されていなければ、仇討ちのような殺人も、英雄視される。

簡単です。

同性愛は法律で禁止されていないのです。男どうしのセックスも、法律で禁止されていません。
当然、女どうしもです。

しかし、十八歳未満との性行為は一部の例外を除いて、基本的に禁止されております。

児童ポルノも法律で大いに規制されております。

児童性愛に理解が必要とお考えならば、国会議員になって児童性愛許容党でも作って、法律を変えるしかありませんよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
法律の観点からいうと、そのように考えられるかもしれません。
しかし、日本では同性愛を法的に違反していると昔から捉えられていません。
そうではなく法的に違反はしていないものの、社会的タブーと認識されてきました。
おそらくそれは、小児性愛者の状況と同じではないでしょうか。

私は、そういう社会の中で育ってきたので小児性愛は望まれる姿ではないと感じています。
しかしそれは同時にセクシュアリティの多様性を否定することと同じように感じ、同性愛者である私自身が否定されるように感じたためです。だからといって、同性愛を擁護するために小児性愛を理解するのかというと違います。

うまくまとまりませんが。。。

補足日時:2011/02/03 04:04
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