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半年前に、喧嘩を売られた相手から「パクリばっかのくせに」「下手くそは感想なんかもらえないし、感想もらえるのは上手い人だけだし」という言いかがりに近い陰口を叩かれ、それ以来、創作に全く手がつけられなくなりました。

今は、それを言われた悲しみとかは薄れてきてはいるのですが、やはりペンを持ったり、キーボードに向かったりすると、腹痛が起こり、なかなかできなくなるという状況に陥ってしまいます。

元々、絵や小説は、下手の横好きだったので、今まで周りに笑われても平気で書いていたのですが「パクリだ」という言いかがりが結構響いてしまったみたいで。
なんと言いますか。1から一生懸命考えて書いた物語や、自分が今まで培ってきた小さな努力が、全否定されてしまったみたいな感じで、酷く辛かったのです。

この気分を消し、再び創作に戻るには、どうしたら良いのでしょう。

曖昧な質問で申し訳ございません。回答を、よろしければ、お願いいたします。

A 回答 (8件)

「元ネタを勉強し、自信をもつこと」でしょうか。



>1から一生懸命考えて書いた物語
1、2、3、4と考えても、「0」は、すでにあるんです。
完全なオリジナルは存在しないと言ってもいいくらいで、ストーリーや絵は、先達がすでにやっていると考えた方がいいです。
「6」の物語を『5'のパクりだ!!』と言われても、(パクってはいないけれど似たような物語だったとしても、)「0」を知っていれば、怖いものはありません。

小説だったら、ギリシア、北欧神話。日本神話など。
あと聖書とか、まさにバイブルとなるストーリーを覚えるんです。

またイラストだったら、装飾的な、クリムトやミュシャ。シーレの人物画のポーズとか。

オオモトになる創作を覚えてしまうんです。
そうすると、「○○のオマージュ、○○をリスペクトして作った」と言えるようになります。

「0」から考えるのは、トラウマがなくなってからにしたほうがよいと思います。
私たちは、過去の作者の上に成り立っている人間だと自覚すれば、「パクり」なんて言われても平気になりますよ。
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すべて独創ではなかなかですし、材料はどこかでかりないといけないので


多かれ少なかれ参考にした文献であるとか、影響を受けた文献などはで
てくると思います。

パクリ発言については、自分なりに消化して用いた場合であるとか、ごく一
部の借用であれば、気にしないことが一番かと思います。

みずからをふりかえって、本当にパクリがおおいのであれば、ぱくらずに
創作することそのものをしたことがないということになり、パクリといわれて
創作ができなくなるというのは、十分にありえます。

そうでないなら、公園に散歩にでもいって、気分転換した後でまた創作に
向かわれたらどうかと思います。

基本、歩くと脳が活性化されるので、おすすめです。
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蛇足かもしれませんが、いわゆる創作意欲というのは、実は現在の自分を模倣する気力のことのようです。

この気力というのは、現在の自分(一種の作品ですね)を見て自分ならこう変えるという意思のことのようです。つまり自分という作品でなくほかの人の作品でも自然の風物でも、何かを見て自分なりに何かをはじめるというのが既に模倣であるということだと思います。また向上心などというものも、飽きずに自分を模倣し続けることだと思います。プロの楽器演奏家の資格の一つは、素人ができないような退屈な練習を飽きずに続けられることであるという話を聞いたことがあります。楽器演奏の練習というのは文字通り自分の技量の模倣ですね。他の方が既に書いておられることの模倣がほとんどですが、自分の考えも少し整理された感じがいたします。これも模倣でした。むしろ個性というのは模倣が100%行えない結果に出てくる元作品とのズレのようなものなのかもしれませんが、漱石の吾輩は猫であるの中に、泥棒の顔が作中人物にそっくいりであるという猫の感慨の中に面白く表現されています。また漱石は小説の続きがどうしても思いつかない時に他の人の小説を読んでみると続きが書けるようになうということをどこかで言っています。原典を思い出せないのですが、確か漱石はこれを人工的インスピレーションと呼んでいたと思います。また漱石の作品の中に「鉱夫」というものがありますが、これは漱石が、ある青年の実体験を聞いて書いたものだということです。
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私もほかのサイトでの小説の人物の姓が同じだけで第三者から「パクリ」と言われたことがあります。



↓のサイトなどを見てかなり助けられましたよ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/6974/
一番良かったサイトは消えちゃっていましたが。。。
そういうことあったのすごい昔でしたから。。。

要するに「パクリだ」と言う人は勘違いしており、「パクリ」というのは間違いであること。
馬鹿の一つ覚えの負け犬の遠吠えなので、無視すること。

それでも執拗に嫌がらせしてきたり、精神的苦痛が酷いのなら弁護士に相談すること。

あとは憂さ晴らしに美味しいもの食べて、いっぱい遊んで、いっぱい褒めてもらう。
特にいっぱい褒めてもらうことが大事かも。


日本語で書かれた作品・文章はどうしても既存の作品にて使われた名称や表現が出てしまいます。
それで「パクリ」と言われたら、誰にも読めない作品を書かなくてはいけません。
もちろん「パクリ」というのも既に誰かが使った言葉であり、「パクリだ」と言ったその人物も「パクっている」ということになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。しかし、姓が同じだけでパクリとは、相当ですね...

サイトの方を見て、何やら頭が混乱しました...何でしょうね、言いかがりが凄まじい。
後ほど、もう一度キチンと見ていこうと思います。まずは、先にお礼を申し上げます。

褒めてもらう、ですか。あれ以来、創作するのが怖くて、投稿しても批判されるだろうという思いが強いんです。
けれども、少し勇気を持って、頑張らないといけないですね。

最後の文章が目からウロコなんですが...確かに。そういう考えにもなりますね。

回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/12/19 01:01

>この気分を消し、再び創作に戻るには、どうしたら良いのでしょう。



私もパクったと言いがかりをつけられたことがありますから
そういう悶々としたお気持ち、よくわかります。
う~~~~~ん、難しいですね。
今のあなたはご自分を全否定していまっているのでしょう。

ただ、他の方も書いておられるように、
どんな創作もまずは他者の模倣から始まるものです。

私はイチからオリジナルなんてものは、ほぼ存在しないと思っています。
模倣を元に創意工夫が大きくなったものがオリジナルじゃないかと。
たとえば画なら初めて遠近法を使った人だけがオリジナルで
以後の作家は全部パクリでしょうか?

作品の巧拙だけが作品の価値ではありません。
表現の何かに価値を見出せれば、それでいいのです。
それにその批判的な人の判断基準は何に拠っているのでしょうか。
その人個人の考えなら、それが世界のスタンダードじゃないことくらいお判りでしょう?

剽窃行為は論外ですが、好きな作風を真似してみたくなる。
これはごく自然なキモチだと思います。
パクリじゃなくオマージュの習作なんだと、前向きに考えてみませんか?

それと表現方法を問わず、意識的にたくさんの作品に触れてみてください。
ものの見方・考え方の幅が広がると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。もう、今まで自分が創作に費やした時間や紙、インクやそういったもの、全て無駄だったのではないかと、思っています。

他者の模範、確かに私も、誰かの作品に影響されて創作を始めました。
それを元に、自身のオリジナルが作られていくのですね。

その批判的な人の判断基準は、何でしょうね。わからないです。
けれども、それが世界の基準でないことはありますね。何故、こうも落ち込んでしまったのでしょう。始めてだからでしょうか。

パクリじゃなくてオマージュ、そのような考えもあるんですね。そう考えたら、気持ちが楽になりました。

そうですね。今は、勉強する期間として、今まで避けていた分、他の作品に触れていこうかなと思います。

上手くお礼が言えないですが、本当にありがとうございます。
喧嘩した人の判断基準が、世界の基準ではないということが私にとっては救いになりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/19 00:50

相手に「何処が?」と聞いてみては?


自身ではオリジナルのつもりでいても、これだけ多種多様な作品が世に出ています
プロが創作きた物でも『あれ?』と言う物が多々有りますよね

きちんと原因を突き止めなければ自身の中で納得出来ていない部分が残っています
それと同時に『もしかしたら…』と言う不安も気付かぬところに有るかもしれません
だから、どの作品の何が誰の作品の何に似ているのか?…を
はっきりさせ、自身で確認し→納得し→それに対しての対策を考える
等しなければ堂々巡りだと思いますよ

パクリが当たり前の人、わざとする贋作ではなく
自信を持って作ってきた物達だっただけにショックだったのでしょうし
それなりに自画自賛(これは悪い事ではない)してきた経緯が
物づくりをする人には有ります
だからこそ、ハッキリとさせる事が大切です

後は一人で悩まないで誰かに話す
話せばヒントやアドバイスが貰えますよ
私も物を作る類の人間です
少なからずも波は有ります
また精神的なものは大いに関係が有ります

余談ですが精神的にヤバイ時が一番、良い物が出来ますけどね

頑張るしかないよp(^-^)q
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

申し訳ございません。せっかくの提案なのですが、その喧嘩した方とは、もうお話ができない状況に陥ってしまっているのです。
精神的に(思い出すだけで、腹痛と吐き気を催します)という意味でもありますが、繋がりがもう完全に断たれていまして...申し訳ございません。

友人には、何度か話を聞いていただいているのですが、流石にもう申し訳がなく、こちらへ悩みを投稿したのです。

精神的にやばい状態というものに陥っていますが、どうやっても暗い話しか書けず、それも悩みの一つです。

けれども、そうですね。頑張るしかなさそうですね。

せっかく答えをくださったのに、的外れなお礼文で申し訳ございません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/19 00:38

パクリという言葉は模倣ということでしょうが、ピカソは模倣の天才だったという説があります。

創作はすべて模倣であるということです。パクリといっているのは嫉妬心か無知のなせる業です。むしろ創作の本質を知ったと思ったらよいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これを気に、創作を深く知ることができたと、思う方がよいのでしょうか。
確かに、こう落ち込んでから、色々考えたりはしましたが...全て模範ですか、なるほど。

話がズレますが、どうにも、パクリと模範、後者の方が良いよう聞こえるのは気のせいですかね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/19 00:30

そんなことを言われてモチベーションが下がってしまったという気持ちもわかりますが、一方でちょっと解せない部分もあります。


「1から一生懸命考えて書いた物語や、自分が今まで培ってきた小さな努力」と言うのなら、明らかに「パクリ」ではないのですよね? ならそれ以上のことはないのでは。
zukisyuyouさんの作品が「何たるか」を決めるのは、まずzukisyuyouさん自身であるべきで、その相手でも他の誰でもありません。

有名である「クリエイター」である程、あることないこと言われ、作品が叩かれることからは逃れられません。そういった時に、本当の意味での自分の中での確固たる「信念」が無いと続けられないのではないでしょうか。

作曲家ドビュッシーは西洋音楽の近代化の扉を開いた革新者として知られています。
彼は若い音楽学校時代から反アカデミックな音楽語法を積極的に試していました。よりによって名門音楽学校のようなまさしく「アカデミズム」といった場でです。それは当時としては他に誰もしていないことだったので、さぞ孤独な戦いであったはずです。ドビュッシー自身は元々才能のある生徒で学校でもそれは認められていたのですが、そういった音楽に対する姿勢から、アカデミーからは散々駄目だしされ異端児扱いされ、「期待株」にも関わらず賞で落ちることも続きました。
でもそれでも決して彼の信じる「美意識」「理論」というものをやめなかったのだそうです。時には強い口調で反抗的になることも少なくなかったそうです。彼の手法に抵抗を持ちながらも、彼のやろうとしていることを次第に認めざるを得なくなる者も出てきました。で、じきに彼は当時のヨーロッパで1,2と言っていい程の「最先端の有名作曲家」になります。

そして今、彼の「美意識」「理論」は、近代以降の西洋音楽の標準になっていると言っていいと思います。
彼が確信していた「音楽のあり方」がそのまま「後世の標準」になっただけなのか、偉大な作曲家である彼の影響力のおかげで「標準」になったのか・・・自分は前者のような気がしています。彼は何も「革新者」になろうと何かをしていたのではなく、彼の信じる「美」の世界を、彼は信じるまま追っていただけ。後の人達がごく自然に「良い道」を選択したら、彼がやはり「正解」だったというだけ。


zukisyuyouさん自身がその相手の言葉に対し、「これは私の力で培ってきたものであり、私の信じる世界。何もわからない者が何を言うのか。」と思えるのなら、それが一番の正解。
「そういう部分もあるかも」と真に受けてしまったのなら、やはりその程度の作品ということで、それも正解でしょう。
・・・果たしてどちらですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

信念ですか。パクリと言われた悲しみのあまり、それさえも忘れていました。

私自身、誰かの作品と被らないように、自分らしさを出せるようにと、頑張っていた節があったので「1から~」といった言葉を打ってしまいました。よくよく見れば傲慢ですね、失礼しました。
ただ、自分自身、自信を持ってきた作品であったからこそ、「誰かの真似事だ」と決めつけられたことが、悲しくて仕方なかったのです。
そうまでして言われるほど、自分の作品はまだまだであると同時に、酷く言われるものなのだと。
初めて云われたから、耐えられなかったというのもありますが。

今は、どうやったらパクリと言われなくなるかしか考えられなくなり、自分の書きたいものとか、信念とか、忘れてしまってました。

もう一度、自分の心と向き合ってみることにします。

本当に、良い回答を書いていただいたのに、こんなお礼文で申し訳ございません。どのように言ったら良いのか、わからないのです。

ただ、自分がどうして創作を続けてきたのかと、見直そうとする目覚ましとなりましたと。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/19 00:25

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