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以前質問したのですが、すぐベストアンサーを押してしまい、回答者にその後の質問ができませんでした。もう一度、質問させてください。
 童謡「花」の歌詞で「見ずやあけぼの 露あびて」は文法的には「見ぬやあけぼの 露あびて」が本当ではないのですか。

A 回答 (4件)

私がこれまで書いたことは、「見ずや」の「や」は間投助詞では。

反語と解釈もできるが「見ずや」で問題ない。
文末の「や」は終助詞とする考えなら「見ずや」で問題ない。係助詞と解して係り結びがなされているとしても「見ずや」に矛盾はない…でしたが、
これ以上のお話は私のレベルではそろそろ限界ですね。
私は国文学専攻ではなく、あくまで知識として学んだ範囲でしかお答えできず、議論することは能力を超えてしまいます。これ以上は国文学専攻の回答者様にゆだねたいと思います。

係助詞、係り結びについて、高校の参考等では『係助詞の係り結びの注意事項』として、
『結びの省略』『結びの語の消去』『逆説用法』『挿入文』『上に疑問・反語の意を持つ助詞「いかで・いかに。など」のある時』とともに『文末の用法』というのをあげています。
それは、係助詞が文末に用いられる係り結びの場合、『「ぞ」は体言・連体形に、「や」は終止形に、「か」は連体形につく』で、この例が「ありやなしや」です。
さらに別の著者の学参では、文末でも疑問・反語なら係助詞としてその例も「ありやなしや」でした。
古典の授業的に品詞分類すると、ラ変動詞「あり」の終止形+係助詞「や」に形容詞「なし」の終止形+係助詞「や」という成り立ちです。係り結びですが終止形につくのです。
一方、文末の「や」を係助詞としつつも「終助詞的用法」とか「文末用法」といって係り結びは無いと解釈する説もあります。

逆に、文末にある反語の「や」は終助詞の立場の人の書いた別の学参では、係助詞「や・か」の項では「や」は疑問・反語があり、
疑問の用例に「蓑笠やある。貸し給へ。」をあげ、係り結び「やーある(連体形)」、反語の用例には「近き火などに過ぐる人は、しばしとや言ふ」をあげ、表現ー肯定、結論ー否定。
そして、『係助詞「や」「か」が文中にあると、係り結びで、連体形で文を結ぶ。(疑問・反語どちらも係り結び)』などの公式をあげていくのですが、
『疑問・反語の「や・か」は文末にある場合もある』という公式もあげていますが、『文末にある「や(やは)・か(かは)」は文末の「ぞ」と同様係助詞の一つと見る説もある』とあり、
それはあくまで一説だからと文末の用法は終助詞のところを見ろと書いてありました。で、終助詞のところを見ると、「や・やは」「か・かは」の項があります。
終助詞「や・やは」、活用語の終止形につく。疑問の用例「生まれけむ年は知りたりや」、反語の用例「その時悔ゆとも、かひあらむや。」どちらも最後に、『文中→係助詞/文末→終助詞』と。
その本の反語の説明には「か・かは」「や・やは」などの助詞によってあらわされるとし、文中にも文末にもある場合があるとし、さっきの係助詞・終助詞のところ参照とあります。

そう学んだ身では、どちらの説にしても同じ解釈ができ歌詞に問題はないとしか考えられません。それ以上の考察は私にはできかねます。。

質問者様のあげられた徒然草の一節『…わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。』
最後の「や」が終助詞か係助詞かはありますが、解釈すれば「…わずか二本の矢、師の前でその一本をいい加減に射ようと思うだろうか、思うはずがない。」となりますね。
最後の「や」が係助詞とすれば、「や」のついている「ん」は推量の助動詞「む」の終止形ですね。「見ずやあけぼの」同様「係り結びの文末の用法」にかなっています。


これ以上はもはやお力になれそうもありません。大変申し訳ございません。
かなり深く興味をお持ちのようですし、ネットだけではなく文法関係の専門書や、論文集をあたるべきではないしょうか。
大きな図書館や、一般公開されているできれば国文学部のある大学の図書館で文献を調べた方がより納得がいき、より質の高い知識が得られるものと考えます。
ひょっとすると質問者様のお考えと近い議論が既に学界では行われているのかも知れません。
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この回答へのお礼

大変ありがとうございました。
 「や」が感動詞・間投助詞・係助詞以外に終助詞に分類される場合があることを初めて知りました。係助詞が文末に用いられ終助詞的に扱われて、係りが消え終止形に接続するようになり、倒置されて文中に来ても係りが復活しないケースが出て来て、終助詞と判別するようになったようです。
 文法的に理解できました。大変ありがとうございました。
私としては終止形に接続してることで「呼びかけ」にも解釈できることから、連体形に接続して「反語」として明確に表現した方が日本語として美しい気がします。

お礼日時:2016/12/12 04:59

なるほど係り結びではということですね。


通常「や」の係り結びを文末に用いるときは終止形につきます。(例「ありや、なしや」)

文法の話とは別に、武島羽衣が作詞する際に間違ったのか?という疑問が。
係り結び自体はとっくに廃れていても、今日より文語表現が身近な明治時代にあって間違った歌詞を書き、誰も正さなかったのでしょうか?
もし直せない事情があったにしても、そのようなエピソードは誰かによって語り継がれているのではないでしょうか?

あえて直さないままでも文法的な説明がつき、解釈も変わらないのではと考えますが。
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この回答へのお礼

「や」が文末にあっても係り結びは発生します。
①〔疑問〕…か。
出典土佐日記 二・四
「『たまならずもありけむを』と人言はむや」
[訳] 「(まさか)珠というほどでもなかったろうに」と他人は(かげで)言うだろうか。
②〔問いかけ〕…か。
出典古今集 羇旅・伊勢物語九
「名にし負はばいざ言問(ことと)はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
[訳] ⇒なにしおはばいざこととはむ…。
③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。
出典徒然草 九二
「師の前にて一つをおろかにせんと思はんや」
[訳] 師匠の前で(先に射る)一本を粗略にしようと思うだろうか、いや、思わない。

語法(1)係り結び(結びは連体形)(2)「結び」の省略 「や」を受けて結びとなるはずの語句が省略されて「や」で言い切った形になる場合がある。たとえば、「あやし、ひが耳にや」(『源氏物語』)〈変だ、聞き違いだろうか。〉では、「ひが耳にや」の下に「あらむ」(「む」が結びで連体形)などが省略されている。


 ご紹介文例の「ありや なしや」は②にあたり、「や」に対応する動詞「思はむ」が省略されている形だと思われます。
 童謡「花」の場合③にあたり係助詞「や」に対応する「見ず」は係り結びにより「見ぬ」とならなければならないはずです。

お礼日時:2016/12/10 01:15

No.1です


♪見ずや あけぼの露浴びて われにもの言ふ桜木を
♪見ずや 夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を
メロディーは違いますが字にするときれいに対句になっていますね。また「桜木を見ずや」「青柳を見ずや」を倒置にしてありますね。

直訳で「見ないの?朝露を浴びて私に話しかけるような桜木を」で、見ることを勧めているという解釈でいいとおもいます。
「ず」は打消なので「見ない」「見ぬ」です。「見るな」というなら禁止の「まじ」を使う必要がありますね。
「や」を呼びかけの間投助詞ではなく、反語の係助詞が文末にある場合と解して「見てないの?(見るべきだ!)」と解してもいいかと。

『見ぬや』の「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形とのことですが、連体形とは「体言」に「連なる」形ですから後に体言が続かねばなりません。
例えば、『年月は人をまたぬものぞ。』の「もの」や、『京には見えぬ鳥なればみな人見知らず』の「鳥」です。
助詞は体言でも用言でもない付属語ですね。連体形には続きません。
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この回答へのお礼

早速の返答ありがとうございます。
 私も「桜木を見ずや」は反語の係動詞「や」が文末にあって「見るべきだ!」と解するものだと思います。係助詞が存在する場合、対応する動詞は「係り結びの法則」で活用が変化するのではないでしょうか。つまり「ぞ なむ か や」の係助詞が文中に存在すると対応する動詞は後に体言が続かなくても連体形になると思います。したがって、この場合「見ずや」は「見ぬや」と変化するのではないでしょうか?
 【例】 師の前にて一つをおろそかにせんと思わんや。(徒然草 九二)

お礼日時:2016/12/09 19:15

♪見ずやあけぼの露浴びてわれにもの言ふ桜木を♪



「見ずや」の「ず」は「見る」の未然形につく打消しの助動詞で「見ない」、助詞「や」は呼びかけ。
つみり「見ないの」、転じて「見てね」ということです。
否定で呼びかけるのは今でも「~しないの」といいますね。英語でも「Why not ~」とか。

ですから「ご覧なさい朝露を浴びて私に話しかけるような桜木を」ということでしょうね。

「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形か、完了の助動詞「ぬ」の終止形です。文法的に説明がつかないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
 大昔、学生だった頃「仰げば尊し」の歌詞「今こそ別れめ いざさらば」の「別れめ」を「分かれ目」だとばかり思っていましたが、授業で係結びを教わり、間違いに気づきました。以後何十年、「ぞ なむ か や こそ」を見つけては考えています。
 先日「花」を歌う機会があり、「や」の意味がわからずモヤモヤしておりました。「や」が呼びかけの間投助詞ということなら理解できますが、それなら「見るな!」という意味になりませんか。「見ないの」転じて「見てね」という意味なら反語の係り助詞になりませんか。その場合、打ち消しの助動詞「ず」は連体形の「ぬ」にはならないでしょうか。
 小生、無学な還暦男です。恥をしのんで質問させていただいております。よろしくご教授お願いいたします。

お礼日時:2016/12/09 11:23

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