プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ふと疑問に思ったことがあり、投稿させていただきました。

私は、映画やドキュメンタリー番組、アニメなどを観ると、
感動したり、悲しいシーンだと感情移入してすぐに泣いてしまいます。
たぶん、泣かない作品の方が少ないです。

ですが、卒業式や送別会、結婚式などでは全然泣けないんです…。
どこか他人事のように感じて、現実味がないというか…
大げさに言うと、「へぇ」みたいな感じで冷静に、淡々と見てしまいます。
そのような場で泣いてる人が居たら、「本当に性格が良い人なんだな」と感じます。

映像の中の人物には思い入れを感じるのですが、リアルの人間関係ではあまり
人に興味が持てず、距離を取ってしまうことが関係しているんでしょうか…><

↑のような場面で泣けない自分は、性格が悪く、冷たくドライな人間なんだろうな、と感じます。


泣けない・泣くではどういう心理の違いがあるんでしょうか…?

とくに気にしなくても良いことかも知れないんですが、教えていただけると幸いです。

宜しくお願いします(^^)

A 回答 (4件)

「泣く・泣かない」の違いは、他人に感情移入出来るか否かだと思います。


映画やドラマなどは、現実のものではないので、すんなり感情移入が出来るので、思い切り?泣けるのではないでしょうか?
現実の世界の他人に感情移入出来ないのは、主さんの言う通り「人に興味が持てず、距離を取ってしまう」せいかもしれません。

ただ、だからと言って「性格が悪い・冷たい」というのは早計だと思います。
小さい頃から、誰かに甘えたり、依存したりせず、自分ひとりでキチンとやる生き方をしてきた人は、
誰かを自分のココロに入れる事に慣れていないので、無意識に「ココロのバリケード」を張って人と接するようです。
そして、自分というものを、さらけ出す方法もわからないから、人と関わることに慎重になるわけです。

主さんの場合、それが冷静に人間を観察するカタチで出ているようで、自分に対してもどこか冷めた目で見ている感じがします。

人に興味を持つために、私がしていることを参考に、ここに記します。

今の姿は、今日までの、そのひとの人生の結果です。どんな人生を生きてきたのでしょう。
それを知る方法の一つが、「名前をほめること」です
名前って、生まれて初めて、両親がくれるプレゼントなのです。
その贈り物を、その人がどう受け止めて生きて来たか・・
「ステキな名前ですね」そう問いかけた時の反応で、その人の人生が垣間見えます。
愛されて幸せに生きて来たか、何かわだかまりがあるのか・・・
笑顔で、「父がつけてくれたんです」って答えてくれたらその人は愛されて生きてきたひと。
そうでない人は・・・
どんな人生だったのでしょう?自分の名を好きになれない経緯と理由が気になります。
知りたい、そう思ったら、もう他人だからと無関心を装っている自分とは違う存在になります。

そこから始めてみましょう。

ちなみに、我が子の卒業式は感動してウルウルしましたよ。
これまでのいろんな出来事が走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えて・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、泣ける泣けないを左右するのは「現実のものではない」のが影響しているような気がします。
また、映画などの映像は観る物として完璧(完璧までいかなくても完璧に近く作り上げられている)だから、観やすくすんなりと受け入れられるのかな?と思いました。

yuripinoさんの回答が、まさしく私の性格を言い当てられていて驚きました…。
「人に興味が持てず、距離を取ってしまう」とか「自分に対しても冷めた目で見ている」とか…。昔から、自分のことさえも客観的に見てしまうクセがあるからでしょうか。

それに、小さいころから親が共働きで兄弟も居なかったため、「誰にも頼らず、一人で生きていかないといけない。」と思って、困ったことや悩み事があっても、誰にも言わずに一人ですべて解決してきました。

いつも友達には解決してから事後報告をしているのですが、
友達からは「そんなに悩んでたんだったら、なんで相談してくれなかったの?」と言われるんですが、その気持ちは嬉しいんですが
ずっとそんな生き方なため、どこで人を頼ったら良いのか、分からないんですよね。笑
本当に不器用な人間になってしまったな、と思います。。

距離を取ってしまうのは、おそらく傷つきたくないからなんだと思います。
深く関わらなければ、裏切られたときに被害も最小限に済む、そう考えてしまうのだと思います。

アドバイスいただいたように、人のことをもっと興味を持てるように
会話術など磨きたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/08 09:22

感情移入や共感の問題。


送別会などの場合は、終わってしまう日々や人間関係をどれだけ大切に思っていたかの問題だと思います。
そんなに深い結びつきがなかったり、ただただ不快な関係や日々だったなら、せいせいすることはあっても泣くことはそうそうないでしょう。
結婚式ならそのカップルが自分にとってどれだけ重要な関係だったかとか、結婚に至る経緯を知ってるかによって変わってくるでしょう。
様々なハードルを乗り越えての結婚だと知ってるなら泣けもするのでは。
(説明するスピーチかなんかでお涙頂戴なあざとさを感じてしまったら無理ですが)

あとは映像作品の出来の問題。
泣けるとされるシーンに突っ込みどころがないならすんなりと泣けもするでしょう。
あったら当然ながら泣けません。
・悲劇的とされる展開が自業自得にしか見えない
・利害の衝突があるはずなのに適切に描かれておらず、ご都合主義とか被害者の泣き寝入りを考えてしまう
etc

例えば障害児が普通学級に通って色々トライする光景、泣けますか?
様々なサポートやインフラ整備の負担がバカになりません。それを支援学級に回せばどれだけ充実させられるか。
支援級なら適切な教育を受けられ適性に合った進路を進めるのに、普通級に通ったばかりに残念な展開になる可能性があります。

徒競走などの勝負ごとに参加するとしたら?
真剣勝負を望む子は実力出しづらくなるでしょう。

お手々つないでゴールインなどといった平等を持ち込まれたら、運動会ならヒーローになれる子とか、足遅いのバカにした奴を見返してやるため特訓に明け暮れた子の活躍の機会が潰されます。
恥かくのが嫌だから雨天中止を願うような情けない子が大賛成して称賛されるといった嫌な光景まで目に浮かびます。

更には、健常児や軽度な障害や病気を抱えた子に対する説教の引き合いに出す光景まで目に浮かびます。


無条件で感動してられる人と違い、物事を多角的に見られるからこそお粗末な映像作品なら泣けないと思います。
性格が悪い、というのとは違うのではないでしょうか。

質問者様の場合は突っ込みどころのない優秀な映像作品を多く見る一方で、リアルでは突っ込みどころのある光景を多く見ているのでは。
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泣けなくなったら人間お終い。

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泣く人は色んなことを思い出して泣くようです。


また卒業式の場合では、もう毎日喋ることができなくなる人間もいますから、
寂しくて泣くこともあるみたいですね。
 私も卒業式送別会結婚式では全く泣けません。
私の人生において大切な存在であれば、連絡を取り続けますし
連絡を取らなくなったらその程度の存在だったと思ってしまいます。

 関わってて自分の人生観が変わったり、考えさせられる刺激のある人間が周りにいないんじゃないですか?
私もドラマや映画が大好きです。
映像の中の人物は基本的に人格がクリアに見えるので、違和感を感じずに感情移入しやすいのだと思います。
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