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音便化が始まる前の日本では、物語等を原形の日本語を使って書いていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

証拠がなければ、断言できません。

古事記が書かれた八世紀までは部分的な記録があるだけです。然も(漢字だけの)。音韻については一部の子音に後世とは違う発音があった(例 ハ行がP音)。母音に現在(5母音)とは違う8母音があった(上代特殊仮名遣い)ことなどが分かるだけで、その他のことはあまり様子が分かっていません。論理的には、音便には原形があっただろうと考えるだけです。しかし、音便の記録は残っていないのです。
 「古事記」や「日本書紀」は漢字だけで書いてあり、「万葉集」の一部と合わせていわゆる「万葉仮名」が使われた部分のみが「日本語の面影」を残しているだけです。
 現代われわれが読んでいる「古事記」「日本書紀」「万葉集」は歴代の学者が判断してここはこういう読み方するだろうと推定したものの内、最も合理的なものが「読み方」の例として残されているだけです。
 一例を挙げておきましょう。

東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡   万葉集 巻一 (0048番)
[訓読]東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
 これが現在読まれている読み方ですが、江戸期の著名な学者「賀茂眞淵」(かものまぶち)は「東(あずま)の野 炎(けぶり)立ち立つ…」と読んだのです。
 こういう状態であったので、仮名文字が成立して音便などが克明に記録できたのは、平安時代の「古今和歌集」「土佐日記」「竹取物語」などより以後の事です。これらですと「音便」の例を拾い出すのは簡単になります。
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この回答へのお礼

凄く分かりやすかったです。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2017/10/25 02:24

蝶々を昔は「てふてふ」と書いていた (言っていた) ということを言っているのですか。

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この回答へのお礼

そうではありません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/25 02:24

原形の日本語を使っていたと思います。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/25 02:23

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