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今日電車で韓国人の女の子同士の会話を耳にしました。
まったく意味がわかりませんでしたが、あらためて、母音が豊富で、話すのに難しそうだなぁと感じました。それに引き換え、日本語の母音の少なさはどうしてなんだろうかと疑問になりました。韓国語のような言語と比較すると、言葉の音的要素を楽しむということは、現代日本語では難しいように思います。もちろん、英語でもフランス語でもドイツ語でも(スペインイタリアは少ないのであまりに明瞭な感じがしますが)豊かな音声を持っているのに、そういう音声面では日本語は弱いなぁと改めて感じ入ります。

これは、どういう理由によるのでしょうか。
古代日本語は、それなりに豊かな音声を持っていたが、それが消滅していったのでしょうか。それとも、古代から他に比して、やはり音声面では貧弱さを持った言葉なのでしょうか。民族性(演説とか議論を好まない)からくる簡便さなのか、それとも、明瞭なのが好まれるのか、はたまた発音器官が他民族に比べて制限があるのか。いろいろ想像しますがどうもわかりません。

A 回答 (5件)

日本語の母音が、「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」の5つに集約しており、子音もこの5つの母音と結びついて「か」行以下の文字を構成していることは、大変合理的で、発音もし易く、わかりやすい言語だと思います。

外国語のように、「あ」にも色んな「あ」があったり、ドイツ語のウムラウトのように「い」と「う」の間の音などがあったりするのをみると、なぜ外国語はこうもへそ曲がりなのかと思います。それは率直な感想です。そう思われませんか?
母音の数が少ないことを以って、「音声面では日本語は弱いなぁ」と感じられる気持は、私には理解できません。
もっとも、英語や欧州各国語を聞いて、そのサウンドが流麗で美しいな、と感じることはあります。

しかし、中国語や韓国語を聞いて、正直言って美しいとは思いません。理由は、どうも「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音が耳に付くことです。フランス語も同様で、昔は美しく感じましたが、「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の音が非常に気になります。その点日本語は、特定の音に偏らず非常にバランスのとれた言語に聞こえます。
しかし、日韓両国以外の外国人に言わせれば、日本語は韓国語と非常に似ていて、「カチャカチャ」というふうに聞こえるそうです。私にはどうしてなのかよくわかりません。

まあ、これは個々人の趣味や感覚の問題なので、議論してみても仕方のないことだと思います。

私は、日本語は非常に温和な、たおやかな言語だと思います。母音を基調とした抑揚のない発音を持つ日本語は、英語や他の外国語に見られる、子音を基調とした、強弱を際立たせた発音を持つ言語と違い、気持ちがせかせかせず、穏やかな気持ちにさせられる気がします。日本人が農耕民族で、島国で、陸上で他国と国境を接することなく、他国との戦争もなく、同じ民族の中で、「和の精神」でやって来られたことが、このような温和な民族と抑揚のない母音を基調とした言語を育ててきたような感じがします。

言語と風土(気候・地勢など)の関係を研究された学者さんはおられないのでしょうか?
和辻哲郎の名著に「風土」というのがあり、風土と人間の行動様式の関係に関する研究をされていますが、私は、言語と風土の間に何らかの関連性があるのではないかと思います。
又、風土は、体格やあごや口の形にも影響を与え、言語にも影響を与えたのではないかと推察します。日本国内をとってみても、東北のズーズー弁は、寒くて口が開かないのが原因ということをいう人もおりますし・・・。(すみません、東北の方をけなしているわけではないです。私も先祖が東北の出身です。)
(ご参考)世界の言語の成り立ちについて・・・。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa551648.html

日本語の美しさについては次の本をお読みください。
黒川伊保子「日本語はなぜ美しいのか」集英社http://books.livedoor.com/item4087203743.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
たいへんよくわかりました。
「何々の言語が美しい」とか決まり文句的に言われていますが、本当に身近に接した経験がないと、そんな断定的に言えるものでもないし、大体「美しいって何?」という抽象論になってしまいます。その点ご回答者様の論理はたいへん実感がこもっていて、同感です。
やはり、地理的因果関係はあるのではと思いますね。日本の方言からしてもそうです。
あらためて、日本語は明快で落ち着くという意味では美しいといえる気がします。

お礼日時:2008/01/19 20:26

通訳です。


日本語は母音だけでなく子音も少ないです。
たとえば「コウセイ」とパソコンで打ってみましょう。いくつもいくつも選択肢があります。
でも日本語は短歌や俳句など表現力があり、美しい言語です。わたしに言わせれば発音は単純であるが、語彙に富み表現力に優れた言語だと思います。
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この回答へのお礼

子音も少ないでしょうね。わざわざ「ヴ」とか言うくらいですから。やはり発音が簡単な言語だと思います。なので、外国語学習のの苦労が多い。しかし、美点もあり、しゃれが多い?逆手にとって同音異義を短歌俳句に活かせるとか。

お礼日時:2008/01/16 20:05

言語の世界では、残念ながら「○○語に○○があるのはなぜ?」「○○語が○○という性質をもつのはなぜ?」といった疑問は解決しないことが多いようです。

母音の数や子音の数は、ランダムとは言わないまでも、予測力のある説明をつけることはまずできないでしょう。
もちろん、民族性や人種とも一切関係はないと思います。「民族性」と「明瞭さ」の関係なんて、どうにでもこじつけられますしね。議論嫌いだから母音を少なくして話すのか、それとも逆に雄弁な人のほうが母音の少ない「明瞭」な言語を話すのか…。そもそも言語と民族は一致しないことのほうが多いですし、この手の言説はだいたいこじつけだと思っていいと思います。

また、日本語の母音は特に多くも少なくもありません。
5母音体系や7母音体系は世界の言語の中でも典型的な母音体系で、5母音の言語は掃いて捨てるほどあります。4母音や3母音の言語も珍しくありませんし、カフカースのアブハズ語という言語には母音が2つしかないという話もあります(真偽のほどはわかりません)。

「発音器官が他民族に比べて…」というのは、科学的には完全な間違いです。たとえばアラビア語には母音が3つしかない方言がありますが、そういう言語の話者を親にもつ子供でも、フランス語を母語として育てば10以上の母音をもつフランス語をちゃんと習得します。ようは環境の問題なのです。

要するに、母音の数が言語によって違う理由は言語学者にも分からないし、たいした必然性があるとも思っていない、ということでしょう。「なぜ私は一重まぶたなのに、あの人は二重まぶたなのか」と聞くようなものなのだと思います。
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この回答へのお礼

大変納得できます。じじつそのとおりなんだと思います。世の中には、まことしやかな説明って多いですから。ランダムに選択されそれが定着したんでしょうかね。しかし、こんかい前の回答者の方の指摘とあわせて、アラビア語というのがもっと母音に関して簡略であることがわかりました。日本語はそれほど貧弱な音声ではなかった。韓国語とか多い代表としてフランス語などが、これも理由はわからないがランダムにそうなったということにしたほうがいいようですね。別に雄弁な民族とも?言えないわけですし。

お礼日時:2008/01/16 20:03

日本語は母音が5個とはいうものの、どの母音も長短の区別ができます。

母音の長短の区別をしない言語、母音によっては長短の対応のない言語も結構ありますよ。また日本語では、言葉の意味を区別するアクセントを語のどの位置にでも、母音の長短と関係なく置くことができます。こういう言語はそう多くないのでは。

日本語は母音の数を多くしなかった(あるいは多く残さなかった)代わり、母音に関してはこういった性質が発達して音声の豊かさを得てきたという側面もあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

音声の少なさを、違うバリエーションで補っているというところもあるのですか。普段意識しない長短アクセントも、実は多様性の元だったのでしょうかね。

お礼日時:2008/01/16 20:00

奈良時代まで遡ると, そもそも「日本語の母音はいくつか」がはっきりとはわかっていないようですね. 一般には 8個とされてますが, その他いろいろな説があるようです.


ちなみに朝鮮語でも母音は減りました (1個だけですが).
アラビア語だと母音は本質的に 3個しかありません.
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この回答へのお礼

アラビア語はそんなに明瞭な言語なのですか!聞いたところ、かなり複雑でとても発音できないなぁと思ったのですが、あれは子音のおおさなのでしょうかね。かならずしも日本語が音声的に貧弱なのではないかもしれません。でも多くの外国語学習では発音に苦労します。

お礼日時:2008/01/15 19:28

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