プロが教えるわが家の防犯対策術!

空しい大金持ちと言うものを想像するのは難しくないと思います。これは一つの人間像の典型でしょう。たとえ夥しい財を所有していて、数多の者を養っていたとしても、彼の心は満たされない。それは何故でしょうか。本当の豊かさとか、心の豊かさと言われるものは一体なんでしょうか。
彼は、散財したり人に奢ったり(財や食物を与えたり)することが豊かさだと思っているが、実にはただの一円さえも完全に使い切ることが出来ないでいる。

質問者からの補足コメント

  • 皆さま、ご回答ありがとうございました。
    今回の質問はこれで締め切らせていただきます。質問したことで、より深く、自分の理解が進み、また分かってないことが明らかになった様に思います。有意義なQAになりました事、お礼申し上げます。

      補足日時:2018/01/26 19:27

A 回答 (18件中1~10件)

マルクスに《物象化》という切り口があります。



勤勉志向から おカネを増殖するという目的に片寄り ガリ勉
志向に成る。そして さらにはそこから ガリ勉至上主義に特
化する。

そうしていると じつは おカネの自己増殖といった観念とそ
れに忠誠を誓ったような意志への特化が 出来てくる。

つまり ほかでもなく おカネの自己運動に自分の実存を合わ
せる。つまり 人間の生が おカネという物象に同化する。

疎外の問題を超えて 人間の物象化という事態になっているの
ではないか? という議論です。



ただですね。お話――ここでのお話合い――を聞いて思うので
すが たとえばこっちのスーパーよりあっちのスーパーのほう
が安いと見て その安価な商品を求めるという行動。これも
じつは おのれの生活が 物象化しているのではないでしょう
か?

つまり 大金持ちと庶民とは 資本主義社会にあって その生
活態度は あまり変わらない。のではないか? とも見られる
のですが・・・。

大津波をかぶってそう成っているだけなのだから 仕方がない
とも考えられますが。庶民の場合はです。どうお考えになりま
すか?

つまり 《欲求・欲望・欲楽》の区別も 大きくはツナミをか
ぶってしまっている。のではないか。


つまり:
★(№17お礼欄) お金の多寡の問題ではない、と言う見方
ですね。この見方をされる回答者さんは他にもおられます。
空しいかどうかは金持ちであるかどうかとは関係が無い。
☆ といった見方のほかに 基本としておぎなう内容は まだ
見つからないのですが。


維摩詰の場合には むなしさは感じられない(№18お礼欄)
のですよね?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなのですが、まだその基本となる他の見方は探し中であるという事で。その為の質問ですし。維摩詰の場合は空しさを感じず清々しさを感じるというのも、これは感じ、であってはっきりとは理解できていないので言葉にするのが難しいのです。確かに維摩詰は、無所有の僧、比丘尼、菩薩らに対して悉く教えを説いているのですが。。

一方、物象化の話はむしろお金について考えるにあたって、様になった見解であると思いました。参考になります。
大津波を被った人々が、金持ちであれ貧乏であれ、生活態度は実は変わらないと言うのは説得力を感じます。
私が知りたいのはむしろ、大津波を堪えた人々の生活態度です。
或いは、大津波に乗っているとか、その大津波のメカニズムを知っているとかの、人々のお金に関する考え方でしょうか。

或いは精神的に大津波を避けている人々でもいいです。

お礼日時:2018/01/24 00:34

お応えをありがとうございます。



★(№20お礼欄) ・・・そうなのですが、まだその基本となる
他の見方は探し中であるという事で。その為の質問ですし。
☆ 貨幣論は いくつか出ていますが――かなり広い範囲にわたり
詳しく研究されていると思うのですが―― いまひとつしっくり来
る理論や解説に わたしも 出会っていません。



★ 維摩詰の場合は空しさを感じず清々しさを感じるというのも、
これは感じ、であってはっきりとは理解できていないので言葉にす
るのが難しいのです。確かに維摩詰は、無所有の僧、比丘尼、菩薩
らに対して悉く教えを説いているのですが。。
☆ 了解しました。



         *



(松下幸之助は そんなに財産を貯めてどうするのですか? 死ん
だらあの世に持って行けないでしょう? と問われて あの世にも
持って行くのだと答えたとか・・・。

余談ですが それなりの充実感があったかも分かりません。

もっとも そこまで強気の発言をしなければならないとしたら や
はりむなしさが漂うことを否めないとも感じられます。

さらにただし このような《充実感と空虚感》とは けっきょく庶
民の場合にも 資産家と同じように漂わせることをまぬかれないか
も知れません)。

(その意味では 財産の多寡にかかわりなく ふるい言葉で世の中
にある人間としての無常感は まぬかれないのかも)。


      *


★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方、物象化の話はむしろお金について考えるにあたって、様にな
った見解であると思いました。参考になります。
大津波を被った人々が、金持ちであれ貧乏であれ、生活態度は実は
変わらないと言うのは説得力を感じます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ マルクスの歴史観あるいは暴力による政治革命の必然性の議論
などについては 距離を保ちますが 疎外論やこの物象化論につい
て 目をつむっているわけには行かないと思っています。




★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が知りたいのはむしろ、大津波を堪えた人々の生活態度です。
或いは、大津波に乗っているとか、その大津波のメカニズムを知っ
ているとかの、人々のお金に関する考え方でしょうか。

或いは精神的に大津波を避けている人々でもいいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ たしかに大問題ですね。《大金持ちのむなしさ》に焦点が当て
られていると思って その入り口から入ったときには そこまで考
えませんでした。

成案は わたしにもまだありません。


   *


ひとつ思い浮かんだことですが 書いてみます。
☆☆ 【Q:拝金主義についての宗教学的一考察】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9198768.html
☆ で扱ったことですが 《勤勉とガリ勉》の問題があるかと思い
ます。

より詳しくは 《怠惰と勤勉》が まづあります。
勤勉からは 人生全体にわたる〔人柄にまでなったものとしての〕
勤勉志向が形成され さらには――人びとの中には―― これを勤
勉志向主義にまで持って行く場合があります。つまり ガリ勉です。


おそらく資本主義〔的人間〕となると ガリ勉至上主義にまでその
論理と努力とを高め(?)かつ深めた(?)ことになるかと。

一般にこのガリ勉資本家が 近代の世界を――経済の分野では―― 
引っ張って行っているものと思われます。また その思考形式がで
す。




問題は この《大津波》の荒れ狂う世の中で とにもかくにもその
過酷さ――たのしみもあったでしょうが――に耐えて むしろその
社会一般的な意味でも成長・発展に寄与した人びとが えらいとい
うことだと思います。

中間層と言いますか 基本的に〔きわめてではないですが〕勤勉志
向の市民が 社会の基礎には居て 社会を支えたのだと思います。


勤勉が 大事。まじめが 大切・・・かも。



         *


ですが ガリ勉資本主義は 世の中のあらゆるものごとを商品とし
て模様替えし その資本の論理の大通りに誘い込んで来ました。

いのちにも値段がつきますし おカネがあれば愛でも何でも買える
と――顰蹙を買いつつも――宣言されました。そして世界の果てま
で・また地球の外にまで 資本の手は伸びます。


たぶん《ニート》は そこまで世界の隅々にまでおカネのメイキャ
ップをする必要があるのか? といぶかって やってらんねえよと
言って 引きこもってみたのでしょう。(未来社会の先駆けになる
かも知れません)。


草々にて。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ガリ勉ですか。
資本家たちがそのように真面目かどうかは人によるのだと思いますが、真面目さは大切ですね。

この質問はこれで締め切らせていただこうかと思います。(十分にご回答いただけたのと、私の抱える質問が増えて来たので)
ご回答ありがとうございました。
また、何かの折にご意見いただけるとうれしく思います。

お礼日時:2018/01/26 19:25

「欲楽」という言葉は分かりやすくていいですね。



つまり、必要があっての「欲求」と「快楽に流されること」の対比ですね?
言うまでもなく、前者は必要なものであり、後者は抑えられるべきものです。

繰り返しになりますが、私は人間の「欲望」というものは心の最奥にある「生命力」
そのものではないかと考えています。
その原型はモンスターのようなものではないでしょうか?そしてそれは文明の中の
「教育」の力によって調整されるものである、と。

「カネ」というものに焦点を絞って考えると、カネというものの本質は人間が利益を
得るために存在するモノ、ということになると思います。

ですから、これを大量に独占するということは、必要をはるかに通り越して、所有す
ることによる快楽に流されているということになるでしょう。
自由主義経済ですので違法でも何でもないのですが、経済システムの中の強者が弱者
から搾取をして成り立っている、と私は考えます。

だから、後ろめたさもあって、幸せではないのでしょう。

もう一つ言えることは、カネに価値があるという価値観が間違っているということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

欲望についてのデヴィッドさんの見方は、納得できるものがあります。

お金についての見解は、私がお金について理解をしようとしている最中なので何とも言えないのですが、文明とお金の関係ならまた別の非人間的な見方が可能であるでしょう。(しかし今回はあくまで人間にとってのお金とは何かですので、この見方は置いておくとします。)

責を難なく果たす資産家や財産家もあるとは思います。しかし彼らがお金の意味を本当に分かっているかは別の話です。お金を扱う事に長けているとか、財に関して器の広い事が、お金の本質に通じている事とは関連が無いかもしれない。貧乏人であっても、世の中のことをよく知っている人は、お金の何たるかについてもよく把握しているのでは無いだろうか。。

お礼日時:2018/01/24 00:18

哲学的に大変重要な問題であり、私の中でも確たる回答の出ていない難しい問題


でもあります。

人間としての真の豊かさとは、真の幸せであり、その内実は「欲望の充足」とい
うことではないかと考えられます。
人間は欲望が満たされた時に幸福を感じるものなので、結局こういうことだと思
います。

問題は、この欲望というものを深く考えることであると思います。

例えば、食欲・性欲・睡眠欲などの本能的欲望は、適度のものを得れば満足し、
一旦消えます。
しかし、人によって、また、時としてこれらに執着し、度を過ぎる場合があり、
その場合は、身体を壊したり。堕落したり、社会性を壊したりします。
それを防ぐために、適度のところで満足するという心身のシステムができている
のでしょう。

その他に文明が作り出す欲望というものがあると思います。

これは、金欲・物欲・権力欲などです。
これらの欲望は、文明によって欲望の源泉というべきものが刺激されてできたもの
なので、人間の心身においてシステム化されていないのではないかと考えています。

しかし、金や物や名誉などを得たことにより、満足感・幸福感があることは事実で
あります。
だけれども、これらのものを得てしまった後は、満足感・幸福感は次第になくなっ
てゆくもののようです。むしろ、もっと欲しいとか、もっと持っている人がいる、
などの思いから、不満足すら感じるようになると言います。

このことは、人間が金・物・権力などを「得ること」に満足を感じないことを示し
ていると思います。

このあと、どう考えるかですね。

1.欲望を捨てるべきなのか。

2.ほどほど(中庸)がよいのか。

3.あくまで欲望を追求するべきか。

私は、冒頭に申し上げた通り3です。
つまり、欲望を向ける先が重要であるということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の場合には、言葉の用法として、欲求と欲望を分けて使います。
睡眠欲とか、食欲とか、性欲など生存に必要な欲求は、これを満たすべきだと思います。一方で、惰眠、貪り、愛欲、など、これらは欲望は離れるべきものとなります。つまり、欲求と欲望の違いは次のようです。
お釈迦さん曰く、
肉食するのがなまぐさいのではない。
美味を貪るのがなまぐさいのである。
と。
前者は欲求であり、これを持つ事は認められているが、後者は欲望であってこれを持つ事は認められていないのであります。

この分別に従って、トラッドな教えに同意して納得し、その生き方を尊重するなら、
1.欲望は離れ捨て去るべきである
となるでしょう。

教えを引用せず、自己の見解を述べるとするならば、一言で言うなら卒業ということかと思います。世間における欲楽を卒業して、自由で清らかな生活を為すなら、それは人としての満足を生じると思われるのです。

大金持ちの話に戻りますと、
お金と言うある種厳格な、社会のルールを人生に適用して私達は生きているわけですが、この大金持ちは、この世間の軛を財によって超えているのか?と。
私は、彼もまた大金持ちというだけで、世間の軛を超えてはいないのだと思うのです。お金があれば色々と保障されるのが世の中です。その保障によって、彼は普通の人が受けられない多大な恩恵を受けているはずなのです。満たされているはず、なのに、意識上に結ばれる彼の像に空しさが漂うのは何故か。
仏教には、世間から脱した道の人であり、かつ大富豪である維摩詰と言う長者の話が存在しますが、彼の像には清々しさを見ても空しさは見て取れないのですね。

言葉にできないものを、言葉にする必要などないのかもしれません。しかし仏教ではそれを種々の言葉と喩えによって説明しています。それで、経を湧出する者には明らかな智慧があることが、知られる事になります。

今回は、仏教的な事に偏ったお礼となってしまいました。

お礼日時:2018/01/22 20:25

ちょっと出しゃばります。




問題は その人と互いに人間としての話し合いを 《心のむなしさや
満たされなさや ゆたかさや 満ち足りた状態や》について自由にお
こなうことが出来るかどうかではないでしょうか。

つまり 大金持ちであるかどうかは 二の次になるのでは?

互いにおカネの稼ぎ高を二の次に出来ることが 問い求める課題とな
っているのではないですか?





以前に次の質問をしたことがあります。
【Q:拝金主義についての宗教学的一考察】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9198768.html

まったくの不評でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お金の多寡の問題ではない、と言う見方ですね。この見方をされる回答者さんは他にもおられます。
空しいかどうかは金持ちであるかどうかとは関係が無い。
一つの正論かのように思えるのですが、事はそんなに単純だろうか?と思えもします。
例えば、友人が金の無心をしに来た時に、無条件で、人は快くそれに応えられるものだろうか?と考えます。

お金と言う、ある種厳しいリアルな枠組みを、どう捉えたら良いのか、模索中です。

お礼日時:2018/01/21 17:05

途中で送信してしまいました…


逆に「うらやましい金持ち」もいますよね
良い家族や友人がいて満たされた生活している…
(でも、金持ちに限らず、側から見て幸せそうでも、本当のところはわからないですけども…)
お金がないよりは、あったほうが余裕が出来て、幸せになりやすいのが本当だとは思うんだけど…

あ、リアルに幸せじゃなそうなお金持ち、いた
親の会社を継いでいて、結婚もしてる
(うまくいってはいないみたい)
「みんな自分のお金目当てに寄ってくる」と、友人に話したそうなんです
でもその友人は、その人にお金をもらったり奢ってもらったりはいないんだそう
そういう友人に「みんなお金目当て」とか言っちゃうような人だから
幸せになれないんじゃないかなーって感じはしますね
そんなこと言われたら
「でもそこまで金持ちなのか?」って言いたくなる(苦笑)

お金があるなし、とは違うような気もするんですよね…

お金持ちではなくても、威張ってて自慢ばかりで友達いないおじさんとか
飲み屋にいっぱいいますもん
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お金も無く年取っただけで人格に優れない人もいますね_:(´ཀ`」 ∠):
しかしそのような人こそ真の友を必要としているのでしょう。彼はそれを友として見る事はできないかもしれないが、思うところは生じるかもしれない。

お金と言うのは影響力の大きいもので、お金持ち設定にすることによって、衣食住と言う生存にまつわる基本要素の要請を捨像する意味もあります。今風に言えば、ベーシックインカムによって人の生活は向上するのか、それとも堕落するのか、でしょうか。また、衣食住にまつわって起こる苦悩から、果たしてお金持ちは心理的に逃れられているのか?と言う観点もあるでしょう。

今回の問いを、お金の問題では無く人格の問題であると見る人は、お金に困ってない人でしょう。お金に困るとはどう言うことなのか、その難しさを知る人が、空しい大金持ちの空しい理由を知る人なのかも知れません。
お金を便利なものだと考えるのではなく、怖いものだと見る人の方が、お金の本質を分かっているでしょう。

お礼日時:2018/01/19 19:25

「お金持ちじゃなかったとしても別の方法で、気持ちを誰かに渡す方法を見つけている」


ほんとそうですよね

「空しいお金もち」
ですけど、リアルにそういう人が周りにいるかなーって考えてみました…
でもこれ、
本人が「空しい」と感じているかどうかは、わかんないですよね
こちらから見て「うらやましくない金持ち」はいるんだけど
そういう金持ちが自分を不幸だとか空しいと思ってるかどうかは、わからない…
    • good
    • 0
この回答へのお礼

空しいお金持ちは、人間像の典型ですので、リアルに探すのは難しいですね。抽象的なものですから。
本人が空しいと感じているかどうか、確かにこれは問題で、私は、彼自身は空しさを感じていない故に、空しいのではないのかと思います。

お礼日時:2018/01/19 19:11

金持ちだから、人が寄って来ると、自分が思ってしまったら、その瞬間から人間不信になりますからね。

大金持ちが、そのお金を生きてる使い道をしていれば、それなりの人間が寄ってくるハズです。
要は、人格ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お金の生きてる使い道、他の解答者様も仰ってましたが、これは一つのポイントなのでしょうね。

人格ですか。お金持ちは、そうでない普通の人々よりも生きるのが難しい面があるのかも知れないと思いました。

お礼日時:2018/01/19 13:46

お金や権力では買えない、人の本当の優しさや、無条件の愛に飢えているからでわ…?


大金持ちはあるいみ才能の1つだと思います。お金で人を動かせます。だけれどお金ばかりを使う方法で人を助けても人々は大金持ちである彼に感謝するのであり、お金の向こうにいる本当の彼自身に対する感謝は100%では無いからじゃないでしょうか??

個人の意見です…(^.^)
    • good
    • 2
この回答へのお礼

お金を見られて人格を見られないということでしょうか。お金の壁はあるかもしれません。お金って何でしょうね。

お礼日時:2018/01/18 23:55

金持ちはいつでも貧乏人に成れるが、貧乏人が金持ちなることは困難。



つまり、金持ちの方がエンタルピーが大きいって事じゃないかなぁ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

お金持ちは不安定。。
私の友達は貧乏から成り上がったのですが、ハングリーによる例は少ないのだろうか。

お礼日時:2018/01/18 16:51

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す