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目の前に水とジュースがあるとします。

水が飲みたい
水を飲みたい

どちらも選択肢から1つを選んだことになりますが感覚として同じではないような気がします。いろんなサイトをみて調べてみたのですがよくわかりません。自分の好みで好きな方を選べばよいのでしょうか。

A 回答 (10件)

「水を飲みたい」の「を」は他動詞「飲む」の目的であることを表わし、そこに目的を実現するそれなりの過程があることを示しています。

しかし、過程を短絡し、媒介関係にあるものを直接的なものとして扱うことは、我々の思惟の習慣となっており、「砂糖は甘い。」「塩は辛い。」「これはいい味だ。」のように「は」を使用し媒介関係を短絡し属性扱いしています。

「水が飲みたい。」も「水を飲む。」という過程的構造を無視し、水を「飲む」の直接的対象である属性として扱い、格助詞「が」を使用した短絡的使用法です。このような表現には、日常生活では単純化された直接性をうったえ、緊迫感を表現するというそれなりの有用性があり使用されます。

現実の過程的構造を示す、論理的な表現の場合は「水を飲みたい。」という表現になります。■
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どだい格が違う、格下相手に何しとんねん、格別の計らい・・。


どちらが間違い、正しいの問題ではなく、確かに。
>感覚として同じではないような気がします
その通りだと思います
水が→主格、水を→目的格、文字通りどだい格が違う、なんです。
私は水が飲みたい→能楽でいえば、シテ=水、ワキ=私、ツレ=飲みたい
私は水を飲みたい→同じく、シテ=私、ワキ=水、ワキツレ=飲みたい
ただこれだけと言ってしまえばそれまで。
受け取る側の日本語の感性遺憾の問題です
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逆に考えることも・・・


私は水を飲みたい
私は水が飲みたい
どちらも、主語は「私」述語は「飲みたい」、何を(目的が)「水」
水が目的、に対し、一方は目的格を使用、もう一方は主格で待遇。
私は水を飲みたい→主語があり、目的語があり、述語がある・・・・つまりごく普通の平文。
私は水が飲みたい→目的語なのになぜ主格で待遇か?。
文法がすべてではない、とは言うものの、文法を体系つけた人のすばらしさを改めて感じます。
確かに「が」→格助詞の中でも主格とは・・・・・まさに。
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「が」の基本的な用法は、次の2つ。


1.主格の特定。
・あの花が一番美しい。
・春が来た。
2.希望・好悪・能力・新事実の発見などの対象の特定。
・りんごが食べたい。(希望)
・ピーマンが嫌いだ。(好悪)
・英語が話せる。(能力)
また、「特定」とは「特に定める」という意味であり、基本的に、主格や対象を強調的に(あるいは排他的に)明示したい場合に使われます。

【水が飲みたい】は、「わたしが飲みたいのは水です!」というニュアンスで、飲みたいという希望の対象(=水)を強調的に表現している。
一方、【水を飲みたい】の「を」は、「飲みたい」という希望の対象として、水が単純に、あるいは淡々と示されているだけ。
大砂漠で道に迷い、3日目に救助された人の第一声が【水を飲みたい】である確率は極めて低いでしょう。
あくまで【水が飲みたい】と言うのが、無意識が為せる自然な表現だろうと思う次第。
逆に、「10Lの水を一息に飲める人間はいないだろう」と言う場合は「を」のほうが比較的自然になるでしょう。
これは、「一息に飲める」という能力の対象として「10Lの水」を単純に挙げているだけであり、特に強調する必要性の薄いシチュエーションだからなのだと思います。
つまり、「10Lの水」というのは、あくまで「大量の水」という意味であり、「8Lの水ではなくて・・・」といった排他的意図は薄いだろう、ということでもあります。
むろん、強調すべきシチュエーションがあってもおかしくはありませんが、能力の尺度として淡々と示されるほうが自然な場合がほとんどでしょう。

【目の前に水とジュースがあるとします。】
本題である、このシチュエーションではどうか、を考えてみるに、「(目の前にはあるが)ジュースではなくて」という無意識的意図が発揮される場合がほとんどではないかという気がします。
なので、【水が飲みたい】と表現し、水を希望の対象として特定することで、ジュースという選択肢を排除する排他的意向を含ませるのが自然でしょう。
ただ、「が」と「を」の使い分けは極めて微妙です。
喉の渇き具合にもよるでしょうし、淡々と希望を述べたい心境であれば【水を飲みたい】と発話することでしょう。
いずれにせよ、「が」は「を」にはできない意図を表現することができる、ということが要点、ということです。
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文法だけにこだわると、形式論や意味論云々で混乱するだけです。


何を表現したいのか、で分かれます。
文法では「が」格助詞の主格→表現の中では主役の位置。
    「を」格助詞の目的核→続く動詞の目的(行動対象?)。
主語は・・・・についてはこだわる必要ありません。
水が飲みたい→表現の中では水が主役待遇。
水を飲みたい→飲みたい、の行動対象を示しただけ(水)
※「水」を表現の中で、どんな待遇するか、主格で待遇すれば表現者の主張を強く感じます。
目的格では、ごく通常の表現としか感じません。
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>いろんなサイトをみて調べてみたのですがよくわかりません



 たとえばどんなサイトを見て、そこにはどんなことが書いてあったのでしょうか。
 頑張って書いてみても、すでにお読みになった意見と同じかもしれません。あるいは、すでにお読みになったもののほうがはるかに詳しいかもしれません。そう考えると何も書けなくなります。
 
「ガ」のほうが意味が強い。「ガ」のほうが切迫感がある。
 ……といった主張はあったと思います。
 一方、「大差ない」という主張もあったと思います。
 いったい「どの程度」の「どのような」回答が欲しいのでしょうか。

 ちなみに個人的には、下記のように考えています。
 一方しか使えない場合もありますが、両方使える場合もあります。
 当方は、意味的は「大差ない」と考えています。細かなニュアンスの違いよりも、近くにある助詞との重複を避けることのほうがよほど重要でしょう。ニュアンスの違いにこだわると、不自由になるだけです。
 ちゃんと書こうとすると、非常に長くなります。リンクをたどっていただけませんか。
【「ガ」か「ヲ」か──「本ガ読める」か「本ヲ読める」か】改
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2998. …

 最近あった下記のやり取りも参考になるでしょう。
【「水が飲みたい」の主語が「水」というのは本当ですか。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10361611.html

 下記の末尾のコメント欄をご参照ください。「水{ガ/ヲ}飲みたい」に関わる重要な記述があります。
【「ガ」か「ヲ」か──「本ガ読める」か「本ヲ読める」か】改〈2〉
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965224350&owner …
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詳しくないですが



文法的には「水が飲みたい」は間違いだと思います

「水が飲みたい」は主語である「水」がどうするか、という文章であり
「水が(何かを)飲みたい(と思っている)」という意味です
そんなのあり得ないでしょ

ではなぜそんな言い方ができたか?多分ですが
「水とお茶とどっちがいい?」「水がいい!」あたりが原因なんじゃないかという気がします
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あくまでも自分の感覚の中の回答になってしまって申し訳ないのですが、



「を」より「が」の方が、より自分の欲求や意識が強いような気がします。
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前提としてそのような設定があるのなら、どちらもほぼ同じ意味ですが、「ジュースではなく」という前置きを置いて見れば分かるように、「が」の方が選択的で対象を1つに絞っている語感があります。

「を」は一般に対象を示すので、つまるところ通常の表現に過ぎない軽さ、どうしても水でなければならないというような切迫感に欠けます。
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地方によって違いはあると思いますが、関西では:



水が飲みたい: 他の物は眼中になし
水を揉みたい: できれば「水」でジュースを出されても、まあ、いいか、ってところ。

私がします。私は、します。でも同じで、「が」であれば、強調意味。
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