アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

下記の質問の続きです。
【「~あまり、~」の使い方について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10529075.html

 いろいろな問題が関係しているような気がして、「ちょっと時間を下さい」とお願いしたのですが……。
 ↑の質問を再掲します。
===========引用開始
ある日本語教育サイトの「あまり」についての例文に、
「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。」
という例文がありました。また、日本語表現辞典(アルク)の「あまり」の項に次のような例文があります。
「試験問題は易しかったのに、考えすぎたあまり、間違えてしまった。」
これらの動詞のタ形に「あまり」が続く表現には違和感があり、タ型ではなく、連体形の方がいいと思うのですが、どうでしょうか。 
===========引用終了

 結局、〈タ形に「あまり」が続く表現〉も〈連体形「あまり」が続く表現〉は同じようなものなのでしょうか。
 それともなんらかの基準で使い分けるべきものなのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    われながらバカなことを書いている。下記のように訂正します。
    【訂正前】======引用開始
    「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
    「働きすぎのあまり」にはちょっと異和感があります。
    ===========引用終了
    【訂正後】======引用開始
    「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
    「あまりの働きすぎに病気で倒れる社員が増えている」には強い異和感があります。 
    ===========引用終了

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/17 12:26
  • 質問した段階での当方の推論です。
     コーパス?に関してはグーグルで少し調べてみたのですが。ちょっと言い回しをかえるだけ結果がかわり、なんとも言えないような。
    【「働きすぎるあまり」「働きすぎたあまり」「働きすぎのあまり」 教えて!goo〈2〉】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12383507491.html

      補足日時:2018/06/17 12:49

A 回答 (24件中1~10件)

あまり歓迎される回答ではないのでしょうが、「日本語文法」では、そのような句形を示して教えた方が理解しやすいという理由でそうしているのでしょう。



 以下に辞書の説明を引用しておきます。

  [デジタル大辞泉]
〇(感情などを表す連体修飾語を上に付けて副詞的に用いる)程度がはなはだしくて引き起こされた結果として。「うれしさの―に涙が出る」「案件の成立を急ぐ―委員会が混乱した」

  [日本国語大辞典]
〇(上に行動や気持などを表わす連体修飾句が付いて)行動や気持などが普通の程度を超えること。過度になった結果。

 徒然草〔1331頃〕五三「酔ひて興に入るあまり、傍なるあしがなへをとりて頭にかづきたれば」

  [三省堂国語辞典第七版]
〇〔「…の─」の形で副詞的に〕…の程度がはなはだしくて。
「感激の━」

  [広辞苑第七版]
〇主として「…の―に」の形で「度をこして…した結果」の意に、また「―の…」の形で「度をこした…のため」の意に用いる。土佐日記「京の近づく喜びの―に、ある童の詠める歌」。日葡辞書「アマリノコトニ」。「―の暑さに食欲をなくす」「心痛の―に寝込む」「急ぐ―、失敗した」

 このように、「あまり」という体言を修飾する「連体修飾句」があれば表現出来ることで、それが過去(「タ形」)であろうと、現在であろうとあまり関係無さそうです。
関係あるとすれば、後段の言い方に反映されます。
 働き過ぎのあまり、(病気になってしまった・病気になっている・病気になるだろう)

「あまり」は「結果」に言い換え可能と思います。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

〈そのような句形〉とは、〈タ形に「あまり」が続く表現〉のことでしょうか。
〈という理由でそうしている〉とは、過去の話なのでタ形を使うということでしょうか。
 うーん。何も考えていないのでは……と思いますが。

 辞書の引用ありがとうございます。
 やはり接続の問題を考えるべきですかね。煩雑になりそうなので避けていたのですが。
 辞書の例文を見ます。
「うれしさのあまりに涙が出る」→「働きすぎのあまり」と同様でしょう。
「案件の成立を急ぐあまり委員会が混乱した」→ 〈連体形「あまり」〉ですね。これをタ形にするのは、かなりクドい気がします。
「感激のあまり」……「働きすぎのあまり」と同様ですかね。「働きすぎ」よりも名詞ですね。
「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
「働きすぎのあまり」にはちょっと異和感があります。
「心痛のあまりに寝込む」……「感激のあまり」と同様でしょう。
「急ぐあまり、失敗した」……既出。

>「あまり」という体言を修飾する「連体修飾句」があれば表現出来ることで、それが過去(「タ形」)であろうと、現在であろうとあまり関係無さそうです。
「働きすぎのあまり」の場合は後ろがタ形でもル形でもOKでしょう。
 動詞の場合はタ形の重複はけっこう気になります。下記のときの「きのうのパーティーは全員で食べ切れなかったほど料理が多かった」に近いと思います。
【続 意味の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9707240.html

お礼日時:2018/06/16 11:54

「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。


時制に関して言えば、「倒れる社員」のほうも面白いと思います。これを「倒れた」としたら時制的には正しいのでしょう。しかし一方で過去形にすると「倒れた」はカウント可能な事例として意識される、つまりはすでに確定した具体的事例に限定されます。現在形(連体形)はこれを免れて、人が倒れるほどの深刻な事態という、個別を離れた一般化抽象化が可能です。
現在形は、過去形のように「実際に起こった」事を表現しない代わりに、「そうすること・そうであること」という名詞的な意味を含みうると思います。殊にその連用形は基本過去や完了の助動詞を従え時制に敏感な活用形ですが、だからこそ逆に連用形からこれら助動詞を抜き取れば、時制の空白を強く表現でき、時制の無い品詞である体言として扱いやすくなるのでは、と思います。
「働きすぎたあまり」は具体的個別的事例を踏まえており、あるいはそのような意図からの表現であり、「働きすぎるあまり」や「働きすぎのあまり」はそれを離れた抽象的表現なのではないでしょうか。ただし表現意図と言ってもそれほど意識しているものではなく、現実の生々しさを避け婉曲的表現を好む日本文化の性格が根元にあってそれが自然と染み出たものかも知れません。違和感というのはその辺りに対するものではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>時制に関して言えば、「倒れる社員」のほうも面白いと思います。
 ああ、そうですね。
 ここもタ形にすると、どうしようもないような。
「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れた社員が増え(てい)た。」

>過去形にすると「倒れた」はカウント可能な事例として意識される、つまりはすでに確定した具体的事例に限定されます
 微妙すぎてなんとも言えません。
 当方なら、全部ル形にするかも。タ形を使うとしたら最後だけです。意味もニュアンスも無関係で、クドいからです。
 全部ル形でも、事実上は過去の話としかとれないような。

お礼日時:2018/06/16 11:58

まず、用語の問題に触れます。


タ形と連体形としていますが、活用形でいえば口語では連体形と終止形は同じです。助動詞「た」は終止形でも連体形でもあります。本の質問者が連体形と言っているのは動詞の終止形、または連体形のことになります。つまりタ形などという形式的な捉え方は誤りで、問題は、過去形で表現するか現在形で表現するかの問題です。

この点を明確にしないと問題が錯綜してしまいます。ここでの問題は、「~あまり、~」という表現の「あまり」の前の「~」を現在形で表現するのと、過去形で表現するのとの違いは何かを明らかにするということです。言い換えれば、「おめでとうございます」と「おめでとうございました」の相違は何かというのと同じ問題です。

しかし、このように見てくれば回答もおのずと明らかで、「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。」の場合、「働きすぎ」という事態を話者が過去の事態と捉えているか、現在の事態と捉えているかという話者の認識の相違であり、この相違が表現の違いとなっているということです。

「なんらかの基準で使い分けるべきもの」ではなく、話者の認識の相違が文法という規範を媒介として使い分けられた結果だということです。

そして、表現に違和感を感じるのは話者と聞き手で対象の捉え方に相違があるからに他なりません。では、事実は、真実はどうなのかといえば、その対象自体の問題で調査、実証することになります。

言語は話者の認識の表現で、対象→認識→表現という過程的構造をもっており、各項は相対的に独立しています。この過程的構造を理解できずに無視し、対象と表現を直結し形式的にあれかこれか、○か☓かという学校の文法の試験問題のような発想に陥ってしまうところに、今回の疑問が生まれたものといえます。

そして、現在の形式主義、機能主義的な言語学、文法学ではこの問題に答えられないというのが実情です。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>つまりタ形などという形式的な捉え方は誤り
 つまり、いわゆる日本語文法は「誤り」であると。
 そんな主張を信じる人がいるんですかね。

>現在の形式主義、機能主義的な言語学、文法学ではこの問題に答えられないというのが実情です。
 できれば「現在」の文法でご説明いただけませんか。
「未来」?の文法が理解できるほど特殊な人間ではないもので。

お礼日時:2018/06/30 09:43

>〈そのような句形〉とは、〈タ形に「あまり」が続く表現〉のことでしょうか。


〈という理由でそうしている〉とは、過去の話なのでタ形を使うということでしょうか。
 うーん。何も考えていないのでは……と思いますが。

どうも意を尽くせなかったようです。日本語文法の教え方を考えた人は「働き過ぎたあまり」という実際には日本語で使われない形でも、「文型」として教えるほうが効果的と考えたのだろうと言いたかったわけです。(「働き過ぎた結果」なら日本語でも使われるのですが)

「悲しさの〈あまり〉」「働き過ぎの<あまり>」(これはあまり使わないでしょう。聞いたことがない)「感激の<あまり>」(これは使うでしょう「感激のあまり、泣き出した」)
このように、実際の使用例は個々別々のもので、その時考えられる物をつかうのが、ネイティブの人の言葉遣いです。ところが、習い始めの人にそんなことが出来るはずもなく、パターンとして教えることが効果的という判断があったと思われます。その結果が使われもしない「働き過ぎたあまり」という文型が出来てしまった、ということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>日本語文法の教え方を考えた人は「働き過ぎたあまり」という実際には日本語で使われない形でも
 個人的には使いません。でも使用例はかなりあります。【補足】のリンク先をご確認ください。検索してみて、あまりの多さに驚きました。
 ただ、もし教材をつくった人が「働き過ぎたあまり」も許容と考え〝た〟なら。フツーの文を優先させるのでは。
 これは実際の教材を見てみないとなんとも言えませんが。

お礼日時:2018/06/17 21:18

こんにちは。


いつもながらのことですが、こういう問題を議論するのに2つ、3つの例でああだこうだ言ってみても生産的な議論になりません。
まずは例文を多く集め、じっくりと考えてみることです。

「~たあまり」
http://nlt.tsukuba.lagoinst.info/headword/N.04005/

疲れすぎたあまり良くない行動をとりました… もちろん毎日14時間勤務。

しかし拡大を急ぎすぎたあまり、足腰の脆弱な会社にしてしまい、経営の舵取りを誤りました。

妖精探しに没頭しすぎたあまり、私たちが着くころには店じまい間近という時間になっていました。

しかも反響を呼びすぎたあまり、KDDIの専務さんの耳にまで届いてしまったようで何ともはや。

私たちは自分が大望をもつことに用心深くなりすぎたあまり、開かれた道などという楽観的な問題を考察することにためらいをさえ感じるかもしれない

強迫観念に駆られたあまり、強迫行為に至るわけですね。

親子関係の重要性が強調されたあまり、夫婦関係の影が薄くなっているような気がします。

そして、1年後に罪の意識に苛まれたあまりに、自らを罰するために最愛の娘に砒素を盛り、そして自殺したのである…。

企業にとって金銭的にも効率的にも都合の良い偽装請負に依存してきたあまり、そこから脱する策を見つけられない企業や、違法という認識がない企業さえあるようです。

手厚い保障を受けようとしたあまり、月々に支払う保険料が家計を圧迫してしまう。

この質問に対し、簡潔に回答しようとしたあまり、一部誤解を与える表記があったようで、お詫び申し上げます。

民主党政権が現行政治制度の下で、官僚主導から政治主導へ転換しようとしたが、官僚を排除しようとしたあまり、官僚の知恵を利用できず、失敗した。

父がその他の事柄において抜きん出ていたあまりに、父ほどには充分に公共奉仕しなかった連中が、それによって自惚れて、莫大な〔公共奉仕〕に対する謝礼を返すことを父のために要望する人がいたら、つまらぬことについて言説を為しているように思われるであろうからである。

慎重になってしまったあまり、この馬の良さが出ない競馬という舞台に乗っかることとなってしまった。

ゴルフの虜になってしまったあまり、逆に暗いトンネルに入ってしまい、それでも耐えて地道に練習をしていた男性Iさん。

父親は感情的になったあまり、中国人に罵詈雑言を浴びせました。

一心になったあまりに、彼女の顔はうごかなかったが、黒い瞳はひとしを深く、赤い脣がほのかに開いた。

またあるときなどは、1冊の本に夢中になったあまり、ニューヨークを経由してフロリダまで有り金をはたいて旅をした。

腹が減っていて湯切りを急いだあまり、容器を傾けすぎて麺がぺろんとふたをめくり飛び出してしまいました。

かつての日本が、近代国家の成立を急いだあまり、「市民」が存在しない大日本帝国を作り出してしまったように。

明治の開国により、急いで欧米文化を取り入れる必要を感じた先人たちが、それまで日本語になかったさまざまなことばに対して大急ぎで翻訳語を造り出していった。急いだあまり、その中には致命的な誤訳も含まれることとなったが、修正されることなく使われ続けていった結果、日本語として独り歩きを始め、次第に本来のことばの意味とは異なる意味あいがつけ加わってゆき、それによって日本人のものの考え方や行動様式に悪い影響を与えてきた、ということを論じているものである。


「~するあまり」
http://nlt.tsukuba.lagoinst.info/headword/N.04005/

また、損を心配しすぎるあまり失敗する人もいる。

前者の人は夢を追いすぎるあまり結婚ができないでいます。

眠れないことを気にしすぎるあまり、悪循環になるケースも。

わしも若い頃はモテすぎるあまり娘たちから逃げまわっとった。

なぜなら宗教活動に没頭しすぎるあまり家庭を顧みなくなるからです。

気にしすぎるあまり、それがすべてであるかのような気持ちになっていました。

将来の不安に備えすぎるあまり、今の暮らしを犠牲にするとなると、本末転倒です。

かれが欧米に眼を奪われるあまり、見落としていたのがこのアジアへの視点であった。

その家のお母さんは、年越し準備に追われるあまり、つい基本をオロソカにしてしまったようです。

王は国事に忙殺されるあまり、娘たちのことも、彼女たちがもう結婚できる年頃であることも失念していた。

というのは、環境や消費者保護が重視されるあまり、業界の利益がないがしろにされている現状があるからです。

また、短期的な「成果」が強調されるあまり、地道な基礎研究や時間のかかる研究開発が軽視されようとしています。

頑張ろうとするあまり、腕を振りすぎた状態で走っていませんか?

外見を気にするあまりマイナス思考のスパイラルに陥っていませんか?

人づき合いを大切にするあまり、家庭生活が二の次三の次となります。

金儲け、銭儲けに汲々とするあまり、己を見失っているかのようである。

気にするあまり逆効果になってしまった・・・ということもあるくらいです。

秋田県側の役割を強調しようとするあまり、あまりにつごうよく語りすぎていた。

科学の場合は科学の純粋さを大切にするあまり、教育からイメージを追放してしまった。

急ぐあまり、足がもつれて転げ落ちそうになった。

業務の合理化を急ぐあまり原理・原則が後回しになっていませんか?

ですが、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまいました。

結果を急ぐあまり、かえって事態を複雑にこじらせてしまっているのです。

いつもは多くて3段だが今日は急ぐあまりその倍以上飛び降りてしまった。

また、結論を急ぐあまり、あるいは葛藤を避けるために、安易な妥協はしないでください。

しかも武勲を急ぐあまり、思慮を欠いた強引な振る舞いが目立つようになり、戦死者が相次いだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上の例を見て、考えて、どういう結論になるか、です。

私のざっと見た感じでは、あまり変わらないんじゃないかと思います。
「現在形」のほうがふつうだとは思いますが、「過去形」でも悪くはない。

こういう複文の「従属節」での「ル/タ」のテンス/アスペクトの問題は簡単ではありません。「過去形」だから「過去」だ、などというのは無理な話です。
主文の文末が過去の場合、従属節の形をどうするか、という問題があります。

  そこにいる人に聞いてみた。
  そこにいた人に聞いてみた。

「いる」は「現在」で、「いた」は「過去」?
それで話がすむなら、文法研究はもっとかんたんなのですが。

  しかも武勲を急ぐあまり、思慮を欠いた強引な振る舞いが目立つようになり、
  戦死者が相次いだ。
  
  しかも武勲を急いだあまり、思慮を欠いた強引な振る舞いが目立つようになり、
  戦死者が相次いだ。

「現在の意識」と「過去の意識」があるかどうか。
さて。

saburoo
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

「~たあまり」
http://nlt.tsukuba.lagoinst.info/headword/N.04005/

 の検索結果を見ると、「動詞基本形+あまり」が3434件。「動詞過去+あまり」が221件。
 1ケタ違うということは、リンク先を見る限り、「動詞基本形+あまり」が多いと言えそうでは。
 当方は、ここだけ比べるならそんなに差がないと思っていましたが……。
 
>「現在の意識」と「過去の意識」があるかどうか。
>さて。
 なんとも言えない気がします。
 ただ、個人的には、後半がタ形なら、原則的にル形を使うと思います。

お礼日時:2018/06/17 21:24

書き言葉の世界でどのようにつかわれているか。

それを知るため検索しました。
 まず一つは「青空文庫」「あまり」で検索。1000件中から。
 次はもっと新しい「KOTONOHA」。500件中から。
感想 やはり、辞書にあるとおり、「~のあまり」が圧倒的多数。

「青空文庫」検索結果 / あまり

歳) 僕は咄嗟の間に真相を悟った。 僕は喜びのあまり、すぐに扉の外へとびだした。そして気がついて背後 海野十三「鍵から抜け出した女」
しょうか、どうも有難うございます」 僕は感激のあまり、畳の上へほろほろ泪を落した。 尼僧は僕に一杯の 海野十三「鍵から抜け出した女」
言葉が、初めて身にしみて感じられたが、嬉しさのあまり、その時にはまだ、これが故郷の感じだという理知は 大杉栄「続獄中記」
念じていたのです。けれども、さっき、娘が不憫のあまり、ふいと恐ろしい手段を考えました。ただいまハムレ 太宰治「新ハムレット」
きほどからの不埒の雑言、これも自分の娘可愛さのあまりに逆上したのだ、不憫の老人と思い怺えて聞いていた 太宰治「新ハムレット」
は、はじめ、ポローニヤスの朗読劇を、娘可愛さのあまり逆上して、王や王妃に、いや味を言うための計略、と 太宰治「新ハムレット」
郎氏だったが、篤実な人のことだから陥落の喜びのあまりどこかで酒宴を催し、ふらふらと良い気持ちの帰途自 横光利一「睡蓮」
、したがって十二年このかたのお約束も、ご立腹のあまりご破談になることであろうし、なればひとりでに兄め 佐々木味津三「右門捕物帖 22 因縁の女夫雛」
わかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延ばしてからだをまっすぐにした。「ミリガ エクトール・アンリ・マロ「家なき子 02 (下)」
と、検察官たちは、黒箱へ耳を寄せて、おどろきのあまり口を丸く開く。「お分りになったでしょうな。このよ 海野十三「心臓盗難 烏啼天駆シリーズ・2」
の傷手に悶々たる烏啼の奴は、今頃はやるせなさのあまり、君の心臓を串焼きなんかにして喰べてしまったかも 海野十三「心臓盗難 烏啼天駆シリーズ・2」
らと雪の吹き溜りの方へ踏み込んでゆき、不用心のあまり凍死するようなことになった、そのように想像します 豊島与志雄「死因の疑問」「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」
に言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるような言を二度も三度も仰い 島崎藤村「旧主人」
は死体となって沼に浮かんでいました。酒に酔ったあまり溺れ死んだのか、あるいは身を投げて死んだものか、 豊島与志雄「正覚坊」
然説明のためのものであって、説明のための説明のあまりに、知らず識らず、現実の仮想にまでふみ出してしま 豊島与志雄「現代小説展望」
てなくなったとなると、親の身にしてみれば心配のあまり、命を捨てて直訴もする気になりましたろうよ。それ 佐々木味津三「右門捕物帖 27 献上博多人形」
らにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中刑場に飛んでいたと 芥川竜之介「おぎん」
こんな不思議な美しい処へ来たのですから、感心のあまり暫くは夢のように、恍惚と見とれていましたが、又鏡 夢野久作「白髪小僧」
一日は何の知らせもありませぬ。紅木大臣は心配のあまり家来を町に出して人の噂を聞かせますと、お目見得に 夢野久作「白髪小僧」
と同じ所で、此のように」 お岩とお袖は悲しみのあまり自害しようとした。伊右衛門は芝居がかりであった。 田中貢太郎「南北の東海道四谷怪談」
しを殺してくだされ」 と云って、お梅の可愛さのあまり、伊右衛門とお岩の仲を割くために血の道の妙薬と云 田中貢太郎「南北の東海道四谷怪談」
まをご覧になると、びっくりなすって、怖ろしさのあまりに、急いで遁げ出しておしまいになりました。 女神 鈴木三重吉「古事記物語」
してニオべの子女を悉く殺さしむ、ニオベは悲歎のあまり化して石となれり(オウィディウスの『メタモルフォ アリギエリ・ダンテ「神曲 02 浄火」
濱に見出し(地、三〇・一六―二一參照)悲しみのあまりに復讎を企て、僞り謀りてポリュメストルに近づき、 アリギエリ・ダンテ「神曲 02 浄火」
へり【處女等】ムーサ【汝等のために】詩を愛するあまりに【エリコナ】ボイオティア(希)の山にてムーサの アリギエリ・ダンテ「神曲 02 浄火」
ような物語がある。 重太郎、それを聞いて悲憤のあまり、今夜のうちに、お前を連れてここを逃げ、父兄の仇 中里介山「大菩薩峠 24 流転の巻」
若い男のお客さんにお茶を差出す時なんか、緊張のあまり、君たちの言葉を遣えば、つまり、意識過剰という奴 太宰治「花吹雪」
きました。そして、まもなく、子供のことを心配のあまり、病気になって、死んでしまいました。こうなると、 菊池寛「アラビヤンナイト 01 一、アラジンとふしぎなランプ」
まはお泣きになりました。 アラジンはおどろきのあまり、しばらくは口がきけませんでした。どこへ御殿が行 菊池寛「アラビヤンナイト 01 一、アラジンとふしぎなランプ」
まのへやへ入って行きました。そして、うれしさのあまり、お姫さまをしばらくだきしめていましたが、やがて 菊池寛「アラビヤンナイト 01 一、アラジンとふしぎなランプ」
られるようなことをされては、大抵の子供は驚愕のあまり、悲鳴を上げて逃げ出すのがあたりまえですけれども 中里介山「大菩薩峠 28 Oceanの巻」
りかえしたことはなかった。 房枝は、ふんがいのあまり、こっそりと、本馬にいうときがあった。(ねえ、曾 海野十三「爆薬の花籠」
かばってくれるその紳士の顔を見たが、おどろきのあまり、あっと叫ぼうとして、あやうくこえをのんだ。   海野十三「爆薬の花籠」
、一ぱいくわされたか!」 トラ十は、くやしさのあまり、つい、ことばに出していった。「どうしました、船 海野十三「爆薬の花籠」
?」「まあ、あたくし」 と、婦人は、おどろきのあまり、ことばも出ない。「ずいぶん、ひどい運転手でござ 海野十三「爆薬の花籠」
だった。 房枝は、それまで黒川の重傷を心配するあまり、曲馬団の仲間のことを、すっかり忘れていたが、さ 海野十三「爆薬の花籠」
ょうか。このまえは、奥様のお身の上をお案じ申すあまり、『どうかもうお帰りになってくださいまし、そして 海野十三「爆薬の花籠」
」 夫人は、房枝のそばへ駈けよって、うれしさのあまり、ついに声が出なくなったほどであった。「奥様は、 海野十三「爆薬の花籠」
か。それにまちがいありませんの」 房枝は失望のあまり、わっと泣きだしたいのを一生けんめい唇をかみしめ 海野十三「爆薬の花籠」
きました。けれどもそれは、やはりお銀様の逆上のあまりで、かえって主膳のために荒らかに組敷かれてしまっ 中里介山「大菩薩峠 14 お銀様の巻」
お願いでござりまする」 お銀様は竜之助に歎願のあまり、伏し拝むのでありました。けれども竜之助は、眼を 中里介山「大菩薩峠 14 お銀様の巻」
ょう。しかしそれらは却って私が桜を多くめでるのあまり桜の美観が私の深処に徹し過ぎての反動かもしれませ 岡本かの子「病房にたわむ花」
うございましたことか」「将軍家が田沼をご寵愛のあまり、度々ご加増遊ばされたが、ある時のご加増に田沼は 国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」
訳、「小さき町にて。」の出版を、よろこぶの心のあまり、ひどく、不要の出しゃばりをしたようである。許し 太宰治「碧眼托鉢 馬をさへ眺むる雪の朝かな」
それを見まもる時の姿勢のように、あるいは恐怖のあまりそれに飛びかかる寸前の姿勢のように、両手を胸の両 坂口安吾「明治開化 安吾捕物 15 その十四 ロッテナム美人術」
れは、あの世の風景に違いなかった。 私は恐怖のあまり其の場に立ち竦んだ。 ――或る夜の夢より―― 海野十三「殺人の涯」
ないものでしょうからね。病床の作者の自愛を祈るあまり慵斎主人、特に一書を呈す。何とぞおとりつぎ下さい 太宰治「虚構の春」
恋愛、帰ってきたぼくは歓迎会ずくめの有頂天さのあまり、多少神経衰弱だったのです。ぼくが帰国したとき、 太宰治「虚構の春」
本霊異記とせがまれ、話しているうち、彼氏恐怖のあまり、歯をがつ、がつ、がつ、三度、音たてて鳴らしてふ 太宰治「虚構の春」
方でもって、ドンドン走りだした。 長吉は憤慨のあまり、下から石をぶっつけたが、どうしてそんなものが崖 海野十三「蠅男」
リとして、駐在所の奥の間に匍いこむなり、疲れのあまり死んだようになって睡った。樽の上で踊った長吉もお 海野十三「蠅男」
抑えながら、電話口に出た。そのとき彼は、愕きのあまり目の覚めるような知らせを、村松検事から受けとった 海野十三「蠅男」
テルに電話をかけてきたのだろうか。三人は恐怖のあまり言葉もなく、サッと顔色を変えた。   蠅男の声  海野十三「蠅男」
えした。「ほんまかいな――」 正木署長は恐怖のあまりしばらくは口も利けなかったほどだった。「誰か蠅男 海野十三「蠅男」
。玉屋総一郎の名もあるんだ」 帆村探偵は興奮のあまり、ドクトルの日記帳をもつ手のブルブル慄えるのをど 海野十三「蠅男」

1000件以上見つかりました(1001件目以後は表示されません).

 文字数オーバーのため、続きと「KOTONOHA」は別にします。
    • good
    • 0

続き


帆村一生の不覚だった。 彼は頸を締めつけられるあまり、だんだん朦朧となってくる意識の中で、なんとかし 海野十三「蠅男」
はずだった父が……」 フローラは、心痛と恐怖のあまり、歯はがちがちと打ち合い、乾いた唇から、嗄れたう 小栗虫太郎「紅毛傾城」
かされて、真の父を殺したのである。一人は憤恨のあまりに自殺した。一人も懊悩のために病いを発して死んだ 岡本綺堂「中国怪奇小説集 03 捜神記(六朝)」
が自分の前を這い歩いているのを見た。彼は憂苦のあまりに、この小さい虫にむかって愚痴を言った。「おまえ 岡本綺堂「中国怪奇小説集 03 捜神記(六朝)」
な子だったらありゃしない。 母は私の妹を溺愛のあまり殺していた。盲腸炎で入院して手術の後、二十四時間 坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」
だ。そして私が他日私の意志で逃げることを怖れるあまり、それぐらいなら自分の意志で私を逃がした方が満足 坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」
一世一代の凝った身なりであったわけです。興奮のあまり、その本州北端の一小都会に着いたとたんに、少年の 太宰治「おしゃれ童子」
正などといふ秀吉子飼ひの荒武者まで三成を憎むのあまり家康支持に傾くといふのだから家康とても思ひの外で 坂口安吾「家康」
学によると、爪を噛む癖の男は戦争にでると恐怖のあまり発狂するのが通例だといふことである。すると家康も 坂口安吾「家康」
恐竜が現われたことに気がついた。彼はおどろきのあまり心臓がとまりそうになったが、ここが生命の瀬戸ぎわ 海野十三「恐竜島」

kotonoha

105 嫉妬は理不尽な戦争で表現された。英国がもっともはなはだしかった。嫉妬の あまり 、フランスとしめしあわせ、海と陸からオランダをしめあげた。 Yahoo!ブログ 2008

149 その瞬間の心の動きをことばで表現するのはとてもむずかしい。うれしさの あまり 気が遠くなり、失神したようになったバスチアンが、ふたたび我に返ってみると、その我 ミヒャエル・エンデ(著)/ 上田 真而子(訳)/ 佐藤 真理子(訳) 1920

187 発揮できるよう行われなければならない。近年のデザインブームは,機能性を追求する あまり ,美への配慮が欠けていたモノづくりに対し,ユーザーの美への関心と要求度が高まった 村上 かおり(著) 1960

226 制の夫婦」の在りようを正統な夫婦と考える森は次にこう提案した。 「家系を重視する あまり 、妻に子ができない場合のことを考慮して妾制度を容認したり、男子にのみ相続権がある 森本 貞子(著) 1920

242 かかった。 西瓜のように頭部が破裂し、間近にいた女性客が、血飛沫を浴びて、恐怖の あまり 昏倒した。 アタッシェケースが紙幣で一杯になると、沙霧は男子行員に向かって「あり 門田 泰明(著) 1940

251 だと実感できるようになった頃、関先生が四〇代半ばの若さで亡くなった。治療に熱心な あまり 、自分のからだをこわしてしまったのだ。「俺たちのやっていることは命の切り売りだか 金沢 英子(著)

293 けたのだ。 虫たちは群れをなした。 そして目的地に到着した。 ムーアはショックの あまり 、凍りついていた。 モルダーは敏速に行動した。 荒々しくドアを開くと、ジープの外 レス・マーティン(著)/ 楠木 成文(訳) 1930

323 本人も大いにゆとりを楽しみ、土曜日が休みになったてえんでやることがなくて、退屈の あまり 畳をかきむしってのたうちまわるというのが、実にもう、体にはいいわけです。子供が土 清水 義範(著) 1940

364 出しました。この凶行はファントムという恐ろしい怪人が、詠心さんをプリマに据えたい あまり にしでかしたことだぞと、見せかけるためにです。しかも、この芝居の筋を通すために、 赤城 毅(著) 1960

392 恵まれ、相手が先にシュガーポットに匙を入れて、 「いくつ?」と訊き、 私は逆上の あまり 「…あの四十×…」 正直に自分の年齢を答えて、砂糖の量を尋ねたはずの相手を 山口 洋子(著) 1930

424 月は非常に寒く、ニーチェは部屋の中でも手袋をはめていた。この夏、ニーチェは歓喜の あまり 涙を流しただけではない。フランツ・オーヴァーベックにラテン語で手紙を書いている( リュディガー・ザフランスキー(著)/ 山本 尢(訳) 1940/ 1930

430 だれかが。もしかしたら、ネコのオルトが、ぼくがちっとも帰ってこないから、悲しみの あまり 死んだのかもしれないって。ちがってればいいけど。そんなことになってたら、ぼくはか アレックス・シアラー(著)/ 金原 瑞人(訳) 1940/ 1950

487 まだまだ改善の余地がある。ここ一世紀の間、日本人は欧米の文物を習得するのに懸命な あまり 、欧米語から日本語への生硬きわまりない直訳を受け入れるにいたった。直訳はしばしば エドウィン・O・ライシャワー(著)/ 國弘 正雄(訳)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「~のあまり」が圧倒的に多いとは言え、「フツーの名詞+のあまり」(「感激のあまり」「怒りのあまり」……etc. )などを割り引いて考える必要があるのでは。
 ↑に書いたように、当方は「〜のあまり」はたぶん使いません。でも「フツーの名詞+のあまり」なら使うかもしれません。
「〜すぎたあまり」「〜すぎるあまり」「〜すぎのあまり」は、どれも使わないと思います。

お礼日時:2018/06/17 21:28

タ型は過去形ばかりではない、らしい。


では、現愛形とは?、私に言わせれば過去ではない、もちろん未来でもない、消去法で現在形。
書いた→一応過去形、書く→現在形、でもいつ書くの?,今?、明日?。
客観的に表現するときは、めんめんと流れる時間を切り取った形で表現します、切り取った瞬間時間の流れはなくなります、つまり過去とも言えます。
主観的に表現するときは時間の流れの中にいるままで表現可能です、タ型にする必要がありません。
個人的には、文法の問題というより表現の問題ではと言う思いもします。
無理に文法で解釈しようとするとタ型とかタ型は過去ばかりではないとか・・・が必要になります。
文法はたくさんの実際に使用されている例(現在でいえばビッグデーター)を分析して体系づけたものとすれば、それをほじくって逆登れば行き着く先は元のビッグデータではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>客観的に表現するときは、めんめんと流れる時間を切り取った形で表現します、切り取った瞬間時間の流れはなくなります、つまり過去とも言えます。
>主観的に表現するときは時間の流れの中にいるままで表現可能です、タ型にする必要がありません。
 そんなことが言えるのでしょうか。
 少なくとも当方にはそんな意識は微塵もありません。

お礼日時:2018/06/17 21:32

辞書の編集者はやはり漫然と仕事をしていない、どういう使い方がされているかくらいは調べていることがはっきりしました。

それに対して「日本語文法」のテキスト編集者は現実の使い方を見ず、頭のなかで、例文をを作り上げていることがはっきりしました。
 「考えすぎたあまり、間違えてしまった。」がその例です。だいたい、この「あまり」の用法は、「あまり(に)考えすぎたために」のような「従属節(条件節)」を変形させて出来たものと考えられます。「あまり」は圧倒的に「副詞」としての用法が多いのは当然ですから。「あまりに嬉しかったので」が「嬉しさのあまり」というのも、同様です。すると、「働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。」も本来は、「あまり(に)働き過ぎたため、……」と考えられます。「タ形」「辞書形」もあっていいのです。しかし、多くは「悲しみのあまり」「興奮のあまり」「機能性を追求するあまり」「家系を重視するあまり」「治療に熱心なあまり」「詠心さんをプリマに据えたい あまり」というのが、日本語における実情です。
 
 なお、回答者の方へのアドバイスですが、ここでは「日本語文法」の学習者からの質問が相当多いので、独特の用語の存在を理解して欲しいのです。「ナイ形(未然形)」「ウ形(未然形)」「マス形(連用形)」「タ形(連用形)」「辞書形(終止形・連体形)」など、など。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>辞書の編集者はやはり漫然と仕事をしていない、どういう使い方がされているかくらいは調べている
 そのとおりだと思います。今回のテーマに限れば。
 ただ、なぜ「はっきりしました」なのかは不明です。

>「日本語文法」のテキスト編集者は現実の使い方を見ず、頭のなかで、例文をを作り上げている
 そんな気がします。

>なお、回答者の方へのアドバイスですが
 一応なんとなく理解しているつもりですが……。
 タ形に対応させてル形と呼ぶのは、一般的ではないのでしょうか。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%BF%E5%B …

お礼日時:2018/06/17 21:35

>タ形に対応させてル形と呼ぶのは、一般的ではないのでしょうか。


日本語文法そのものがまだ確立されたわけではないので、用語等も不統一ですから、ある程度は推定する必要があるでしょう。
ル形はおそらく辞書形のことかと思います。教科書編集者に対する批判はあまり拡大しないでおきましょう。日本語学習熱に水を差してはいけませんから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ル形はおそらく辞書形のことかと思います。
 だと思います。タ形に対してはル形のほうがおさまりがいい気がします。

>教科書編集者に対する批判はあまり拡大しないでおきましょう。
>日本語学習熱に水を差してはいけませんから。
 別に「教科書編集者」を批判する気はありません。
 ただし、いい加減な情報を垂れ流しているネットやトンデモ参考書は批判するほうが学習者のためになりのでは。

 ということで元の例文を検索して唖然としました。これをああいう形で引用しますか。
 なんだかなぁ。
【「働きすぎるあまり」「働きすぎたあまり」「働きすぎのあまり」 教えて!goo〈3〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12385143267.html

お礼日時:2018/06/20 20:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!