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しばらく前にあった下記の質問に興味をもちました。
【意味の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9669281.html

 質問者は納得できたのでしょうか。
 当方はまったくわかりません。

 下記のような文があったとします。
きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれなかったほどだった。

 過去形(と呼んでおきます)が2度出てくるのがクドい(「間違い」ではないでしょうが)ので、どちらかを現在形にしようと考えます。
1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。
 当方にとって、1)2)はまったく同じ意味です。ニュアンスの違いもほとんど感じません。
 ただし、当方なら間違いなく1)にします。「だ」や「である」で終わる文末を避けるようにしているからです。単なる習慣です。
 1)と2)で、ニュアンスはもとより意味までかわるなら、当方は相当無謀なことをしていることになります。

 ちょっと書きかえます。
3)きのうのパーティーは全員で食べきれないほど料理が多かった。
4)きのうのパーティーは全員で食べきれなかったほど料理が多かった。
 4)も過去形が2度出てきますが、こちらは、後半を「多い」にはできないような気がします。
 
 さて、1)〜4)の意味の違いを教えてください。

A 回答 (16件中1~10件)

#15です。



1.
>同じ話を繰り返すだけなら、コメントはお控えください。

1311tobiさんが、
【結局何をおっしゃりたいのでしょうか。】
【まったく逆のような気がするコメントが
〈どちらも本意です〉。
  この段階で当方は混乱しています。】
とおっしゃるので、
hakobulu⇒『つまり、ひとつの表現について2通りの解釈が可能、ということです。』
と申し上げたまでなんですけどね。
お尋ねに答えるためであり、混乱を解消してもらうためでもある。
「同じ話を繰り返す」ように見えたなら申し訳ないことですが、理解していただきやすくするために要点を抽出したのだと捉えていただければ幸いです。
ま、それはさておき、
『ひとつの表現について2通りの解釈が可能』というのが、わたしの見解の要点です。(むろん、何度も申し上げているように、そのうちのひとつは、今回1311tobiさんが気づかせてくれたものです)
そして、なぜそう思うのか、という根拠も挙げさせていただいた。
1311tobiさんは、どう思われるのですか?

2.
> なお、当方は「解釈」が必要なことは書いてないはずです。フツーに読んで理解できないのでしょうか。

大変失礼しました。
たしかに、質問文を良く見れば、

1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。
 当方にとって、1)2)はまったく同じ意味です。ニュアンスの違いもほとんど感じません。
 ただし、当方なら間違いなく1)にします。「だ」や「である」で終わる文末を避けるようにしているからです。単なる習慣です。

と書いてますものね。
理解不足で申し訳ない。
そうしますと、特に根拠は無いが【1)2)はまったく同じ意味】である、とおっしゃっているわけですね?
なぜ、同じと言えるのか(あるいは、なぜ違う意味にはならないのか)、その解釈について論じる気はない、と。
こういう理解でよろしかったでしょうか?

3.
【さて、1)〜4)の意味の違いを教えてください。】
こういう質問ですよね?
すでに、#13で、下記のようにお答えしていると思います。
この回答内容に関しては、どう思われますか?

A.
まず、
>1)〜4)の意味の違い

について。

【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】
(「食べきれない」の場合は2つの解釈が可能)
① きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。
② きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。

【2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。】
(「食べきれなかった」の場合の解釈は一つ)
③ きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べ切れなかった(という事実が示す)ほどだ。

【3)きのうのパーティーは全員で食べきれないほど料理が多かった。
④ きのうのパーティーは全員で食べきれない(と認定しても良い)ほど料理が多かった。

【4)きのうのパーティーは全員で食べきれなかったほど料理が多かった。】
⑤ きのうのパーティーは全員で食べきれなかった(という事実が示す)ほど料理が多かった。
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#13、#14です。



1.
>結局何をおっしゃりたいのでしょうか。
>まったく逆のような気がするコメントが
〈どちらも本意です〉。
 
 この段階で当方は混乱しています。

疑問点を絞っていただきありがとうございます。
今回のご指摘に沿ってお答えするなら、「結局何を言いたいのか」といえば、下記の点でしょうね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】
(「食べきれない」の場合は2つの解釈が可能)
① きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。
② きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまり、ひとつの表現について2通りの解釈が可能、ということです。
「食べきれない」という現在形を使っていても、実際には食べきれた場合(①)もあれば、実際にも食べきれなかった場合(②)の2つの場合が想定可能、という内容。
また、私は、自分がこのように思う根拠について、

「全員で食べきれないほどだった」と言う場合、「食べきれない」は「ほど」に係っている。「ほど」というものに時制はないのだから、「食べきれない」という状況も、「だった」という過去形(という時制)にしばられる必要はないのではないか。
であるなら、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。(①)」という解釈も可能になるだろう。

と D で述べています。
この根拠をごらんになった上で、まだ同意できないとおっしゃるのであれば、どういった点が納得できないのか教えていただければ、論議が前に進むでしょう。
あるいは、この文の記述自体が意味不明だ、という場合は、どの箇所が意味不明なのか教えていただければ幸いです。

2.
また、ひとつお伺いしたいのは、

1311tobi さんのご主張は、
【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】という表現における「食べきれない」は現在形ではあるが、文末が「ほどだった」と過去形なのだから、「食べきれなかった」という事実も(必然的に)伴なっているはずだ。
つまり、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。」という ① のような解釈はあり得ない、ということだろうと思います。

と C で述べましたが、この私の解釈で間違いないですか?
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この回答へのお礼

同じ話を繰り返すだけなら、コメントはお控えください。
 なお、当方は「解釈」が必要なことは書いてないはずです。フツーに読んで理解できないのでしょうか。

お礼日時:2017/04/16 09:40

#13です。



#13では、構成に注意はしてみたものの、長すぎるという印象がまだあるかもしれません。「同意できない」理由が判然としないので何とも言えませんが、面倒なら、A 及び、C と D を最初にご覧になってください。

全文の要旨は、一応、次のようになると思います。
A⇒1)〜4)の意味の違い。
B⇒双方の誤解を避けるための確認事項。面倒なら、何かの参考にしていただくだけにして、最初からお読みにならなくても良いかもしれない。
C・D ⇒ 「ニュアンスはもとより意味までかわる」と私が思う根拠。
E~G⇒補足。
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#11です。



> できれば、簡潔に、しかもざっと読んで理解できるように書いていただけませんか。

申し訳ないことです。
構成が悪かったのかもしれません。
では、極力簡潔になるよう努めつつ再チャレンジしてみましょう。

A.
まず、
>1)〜4)の意味の違い

について。

【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】
(「食べきれない」の場合は2つの解釈が可能)
① きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。
② きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。

【2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。】
(「食べきれなかった」の場合の解釈は一つ)
③ きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べ切れなかった(という事実が示す)ほどだ。

【3)きのうのパーティーは全員で食べきれないほど料理が多かった。
④ きのうのパーティーは全員で食べきれない(と認定しても良い)ほど料理が多かった。

【4)きのうのパーティーは全員で食べきれなかったほど料理が多かった。】
⑤ きのうのパーティーは全員で食べきれなかった(という事実が示す)ほど料理が多かった。

B.
そして、現段階では、次のようなことが言えると思います。(違ってたらご指摘ください)
(ア)従来の私の解釈⇒ ① & ③ (のみだった)
(イ)今回、1311tobi さんに気づかせていただいた解釈⇒ ②
(ウ)現在の私の解釈⇒ ① & ② & ③ (すべてが有効と思えるようになった)
(エ)1)を ② のように解釈する場合、「結果的に食べきれなかった」という事実を示している点では、 1)と 2)は、ほとんど同じ意味になる。
つまり、【 ② ≒ ③ 】ということ 。
(オ)現在の 1311tobi さんの解釈⇒ ② & ③(この点では双方一致している)
(カ)1311tobi さんが同意できないであろうところの解釈⇒ ①

C.
上記(カ)の状況を踏まえれば、私は ① の解釈も可能だと思っているので、
【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】という文において、

① きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。

という解釈がなぜ可能であるのか、という理由(根拠)をお示しする必要がある。
1311tobi さんのご主張は、
【1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】という表現における「食べきれない」は現在形ではあるが、文末が「ほどだった」と過去形なのだから、「食べきれなかった」という事実も(必然的に)伴なっているはずだ。
つまり、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。」という ① のような解釈はあり得ない、ということだろうと思います。(もし違っているようならご指摘ください)
しかし、私は次項 D のように解釈するのが妥当ではないかと思う次第。

D.
「全員で食べきれないほどだった」と言う場合、「食べきれない」は「ほど」に係っている。「ほど」というものに時制はないのだから、「食べきれない」という状況も、「だった」という過去形(という時制)にしばられる必要はないのではないか。
であるなら、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。(①)」という解釈も可能になるだろう。

E.
引き続き申しあげるなら、時制にしばられる必要がないということは、「そして、結果的にもすべて食べきれなかった。(①’)」という解釈が可能なことも当然である。つまり、『「食べきれない」という事実が過去にあった』という解釈もできる。
この ①’ に関しては、今回、 1311tobi さんのおかげで気づくことができた。

F.
なお、 ② ≒ ③ ということは、「食べきれなかった」という過去の事実を示す場合にも、「食べきれない」という現在形が使えることになる。結果的に、「食べきれない」という表現の使用頻度は高くなると言えそうです。

G.
[ 余談 ]
ところで、
1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。
という二つの文は、(エ)で述べたように、たしかに、1)を ② のように解釈する場合には、「結果的に食べきれなかった」という事実を示している点でほとんど同じ意味になる。
ただ、まったく同じということにはならないように思います。
1)は、料理の量自体に着目している表現で、どのぐらい多いかというと「全員で食べきれない、と認定できる」ほど、と伝えたい意図がある。量自体には時制が必要ないので現在形になっている。
2)は、「全員で食べ切れなかった」という過去の事実を示すという手法で料理の量が多かったことを伝える意図がある。そのため過去形になっている。
本題には特に関係なさそうなので、触れませんでしたが、およそ、こうしたニュアンスの違いはあると思います。

H.
構成に留意して書き直してみましたが、不明点がございましたら、A ~ Gの項目をご指定の上ご指摘いただければ、そこだけに絞って、お応えすることができると思います。
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この回答へのお礼

結局何をおっしゃりたいのでしょうか。
 No.9で、
〈そして、この感覚には同意できます〉。
※この感覚≒当方にとって、1)2)はまったく同じ意味です。ニュアンスの違いもほとんど感じません。

 No.11では
まったく逆のような気がするコメントが
〈どちらも本意です〉。
 
 この段階で当方は混乱しています。
 今度は
A⇒1)〜4)の意味の違い。
C・D ⇒ 「ニュアンスはもとより意味までかわる」と私が思う根拠。
 ですか。
 何がなんだか……。

 このようなコメントが続くのなら、今後はスルーします。

お礼日時:2017/04/15 21:11

何かコメントをという1311tobiさんの言葉に反応して、簡単に述べます。

「ほど」にこだわることもないので、「くらい」を使います。
「食べきれなかったくらいだ」のように、結論をいうときに「食べきれなかった」というのは問題ありません。問題は「どのくらい」という修飾句に「食べきれないくらい多い」という所を「食べきれなかったくらい多い」となぜ、過去形を使うのかが疑問です。
 普通はあまり使われない言い方だとおもます。そのことは「青空文庫」や「KOTONOHA]の検索で証明出来ました。ところが、google検索で驚くほど多数のものがヒットしたのに、驚いたわけです。(悪いけどこの検索のことはあまり信用していません。いちいち、読んだわけではないが、あまりにも重なりが多いと思います。)あるいは「食べきれなかったほどだ」を含んでいるなら、問題にもならないわけです。
 しかし、過去になかった言い方(「食べきれなかったくらい多かった」)が相当数使われていることは予想できます。(検索の結果を「食べきれなかったほどだ」に限定してしまうのはあまりにもご都合主義だから)
 ともかく、実際使われるのだから、使う人の心理を考えてみました。それは実際自分で食べてみたという経験の上に立って「食べきれなかった」と表現したのだろうと好意的に受け取りました。それが「食べきれなかったくらい多かった」を使わせる要因と判断出来ます。しかし、そういう言い方につられて、実際数えてもいないのに、「数え切れなかったくらい」というのはちょっと、おかしいと思い、”切れないほど”で検索すると、約3倍ほどの件数が確認されたので、世の中はそれほど無茶苦茶になってはいないのだと、一応安心した次第です。
 簡単にといいながら、長くなって申し訳ありません。
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#9、#10です。



1.
>どちらが本意なのでしょう。
 もう少し考えをまとめてからコメントしていただけませんか。

どちらも本意です。
たしかに、まとまりがなくわかりづらい文章ですね。ご質問の流れにも沿っていなかったかもしれません。申し訳ない。
では、改めて。

【きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれなかったほどだった。】
という文は、おっしゃるように、
1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。
と言い換えることができる。
わたしは、1)の意味には言い換えができないと前回まで考えていたため、今回、そこに気づかせていただいた。
たしかに、1)と2)はほとんど「同じ意味」になり得る。
ただ、1)と 2)は違う意味にもなり得るはず。
「どちらも本意」とは、このような意味です。
そして、その違いの内容として、

①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定できる)ほどだった。
②きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べ切れなかった(という事実が示す)ほどだ。
といったニュアンスの違いがあります。(先の質問の回答#2)

という前回回答を引用した次第。
> なぜわざわざ繰り返すのでしょうか。
 当方はまったく同意できません。

というお気持ちは理解できます。
なぜなら、上に引用した(先の質問の回答#2)では、「1)と2)がほとんど同じ意味になる」という点が否定された内容になっているからです。
しかし、今回、「同じ意味」に【も】なるということに気づかせていただいたということ。
つまり、どちらの見解も一長一短であり、「1)と2)は同じ意味なのか、あるいは、違う意味なのか」という二者択一的に考えてしまう必要はないのではないか、ということが、今回申し上げたかったことです。

今回の件に関して経緯は抜きにまとめると次のようになると思うのですが、いかがでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【 きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】
(「食べきれない」の場合は2つの解釈が可能)
①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。
①’ きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。
【 きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれなかったほどだ。】
(「食べきれなかった」の場合の解釈は一つ)
②きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べ切れなかった(という事実が示す)ほどだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2.
#10では、1311tobiさんが否定されるであろう、以下①のような解釈がなぜ成立するのか、という点について述べたつもりです。
①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。

1311tobi さんの主張は、
1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
という表現において、「食べきれない」と現在形ではあるが、「ほどだった」と過去形で閉められているいるのだから、「食べきれなかった」という事実も(必ず)伴なっているはずだ。
つまり、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。」という解釈はあり得ない、ということだろうと思います。(もし違っているようならご指摘ください)
いや、その解釈もあるのではないか、という理由をお示ししたのが#10の内容。
しかし、これまた、どうも表現が下手で申し訳ない。
少し視点を変えて、もう一度チャレンジしてみたいと思います。

「全員で食べきれないほどだった」と言う場合、「食べきれない」は「ほど」に係っている。「ほど」というものに時制はないのだから、「食べきれない」という状況も、「だった」という過去形(という時制)にしばられる必要はないのではないか、ということが要点です。
であるなら、「しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。(①)」という解釈も可能になるでしょう、ということ。
時制にしばられる必要がないということは、当然、「そして、結果的にもすべて食べきれなかった。(①’)」という解釈も可能になる。
この ①’ に関しては、今回、 1311tobi さんのおかげで気づくことができた。
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この回答へのお礼

申し訳ない。
 要点をまとめてほしいとお願いしたつもりです。
 どこが要点なのでしょうか。
 もとより長くなっている気がしますが、当方の気のせいでしょうか。
 しかも、ざっと読んだ感じでは、同じことを繰り返しているようにしか見えません。
 これをまた真剣に読まなければいけませんか。
 できれば、簡潔に、しかもざっと読んで理解できるように書いていただけませんか。

お礼日時:2017/04/15 09:06

#9です。


再度、おじゃまします。

要点を(若干の修正を加えた上で)簡潔にまとめてみます。
【 きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。】
この文は、

①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定しても良い)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。

という意味に解釈できる。
これは、「食べきれない」が「ほど」に係っており、(「ほど」は時制とは無関係なので)事実として実際に食べきれたか否かは不問にすることができるからだ。つまり、実際には食べきれた場合にも使える表現ということが言える。
しかし、このように言えるのは、「(事実として実際に食べきれたか否かは)不問にすることができる」というだけの理由にすぎないのであり、「実際には食べきれなかった場合」には使えない、ということには(論理的に)ならない。よって、

①’ きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定できる)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。

という解釈も当然可能である。
これを、今回のご質問で気づかせていただいた(明確にしていただいた)、ということになりそうです。
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1.


改めて先の質問を読み直してみました。
やはり、以下に引用するような違いがあるのは確かではないかと思います。
①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定できる)ほどだった。
②きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べ切れなかった(という事実が示す)ほどだ。
といったニュアンスの違いがあります。(先の質問の回答#2)

ただ、先の質問では、私を含め誰も触れていない(あるいは、曖昧にしか触れていない)点がひとつあります。
今回、1311tobiさんがおっしゃっているところの、
>当方にとって、1)2)はまったく同じ意味です。ニュアンスの違いもほとんど感じません。

という点です。
そして、この感覚には同意できます。その意味で先のスレの回答には不備があると言わざるを得ないようです。
不備なく述べるとすれば、上記の ① ② に続けて、
③ ① は ② の意味でも使うことができる。
という項目を追加する必要がある。
この③について少し補足させていただきます。
まず、 [ 食べきれないと表現してよいほどの量であったこと自体(のみ) ] を述べることに重点を置きたい場合、① のように、表現することは可能だろうと思います。つまり、

①きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定できる)ほどだった。しかし、結果的にはすべて食べきってしまったのだが。

などといった意味で使うことができるということです。しかし、前回は、ここまでで止まってしまった。

①’ きのうのパーティーは料理が多く、(どれほど多かったかと言うと)全員で食べきれない(と認定できる)ほどだった。そして、結果的にもすべて食べきれなかった。

という、ご指摘になったような視点が抜け落ちていた。(あるいは、弁解がましく表現するなら「曖昧にしか示されていなかった」)
いずれにせよ、この ①’ の場合は ② と同義になるわけで、
>当方にとって、1)2)はまったく同じ意味です。ニュアンスの違いもほとんど感じません。

という感覚は、論理的にも証明されたと言えそうです。
また、こうしたことから、#7でOKATさんがお示しになった、
 きれないほど      481,000 件
 きれなかったほど    142,000 件
というデータも、「きれないほど」が「きれなかったほど」と(ほとんど)同義で使えることになることを思えば腑に落ちることになると思います。

2.

3)きのうのパーティーは全員で食べきれないほど料理が多かった。
4)きのうのパーティーは全員で食べきれなかったほど料理が多かった。
 4)も過去形が2度出てきますが、こちらは、後半を「多い」にはできないような気がします。

「きのうのパーティー」が主題として提起されている形なので、「は」が係っていくところの「多い」は過去形しか使えない、ということなのではないかと思います。
「食べきれない(ほど)」「食べきれなかった(ほど)」の場合は、「多かった」という時制とは関係のない語にかかっているため、どちらでも使えるのでしょう。(たぶん、ですが)
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この回答へのお礼

>やはり、以下に引用するような違いがあるのは確かではないかと思います。
 なぜわざわざ繰り返すのでしょうか。
 当方はまったく同意できません。

>そして、この感覚には同意できます。
 あのー。書いてあることが↑とまったく逆のような気がします。
 どちらが本意なのでしょう。
 もう少し考えをまとめてからコメントしていただけませんか。

 No.10で〈要点を(若干の修正を加えた上で)簡潔にまとめてみます〉書かれています。
 できればコメントはまとめてかお願いします。
 で、どこが要点なのか当方には理解できないので、コメントは控えます。

お礼日時:2017/04/14 20:43

> 投稿先をお間違えですか


日本語の感性、理解能力の問題です、直接的な都合のよい回答なんてありません。
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この回答へのお礼

そうなんですか。勉強になります。

お礼日時:2017/04/15 13:31

google検索の結果を見て驚きました。


「食べきれなかった」というタイプがこんなにも多いのか、どうしてこんな言い方が流行りだしたのかという驚きです。
「青空文庫」に収録されている作家は、現在から50年(著作権)前に遡りますから、有名人では谷崎潤一郎が一番新しい方に属します。そういう点からは「青空文庫」は最早古いのでしょう。「KOTONOHA」は2000年代に入ってからものが多く、yahooのブログなどはそれが開始された頃からですので、相当新しいつもりでいました。「国会の議事録」や「広報」などが、デジタル化されだしたのはそんなに古くは無いはずです。

 全員で食べきれなかったほど料理が多かった。
 全部食べきれなかったほど種類が豊富です。

 私が否定したのは上記のような表現ですが、いろいろ変形している内に、一体何を否定しているのか自分でも分からなくなっていました。改めて上記の表現やネットの文を読むと、「食べきれなかった」という自身の経験を大切に思うと、こうした表現が出てくるのだろうかと、幾分その人の身になって考えることが出来るようにも思います。
 しかし、数えてみもしないのに、「数え切れなかった」というのは変だと思い、「切れないほど」で検索すると、481,000 件あり、「切れなかったほど」の
142,000 件に比べると明らかに多いのです。

きれないほど      481,000 件
きれなかったほど    142,000 件

 これを比べてみてもあまり意味は無いという結果になりました。結局、いろんなものが流行り、廃りする世の中だという結論になりそうです。
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この回答へのお礼

もう一度書きますよ。

「〜食べきれなかった」
「〜食べきれなかったほど」
「〜食べきれなかったほどだ」
 のどれのことを言っているのですか?

 当方は「2)~食べきれなかったほどだ」の話をしています。これなら重言とは思いません。ただし、自分では使いません。そのことは最初に書いています。

「食べきれなかった」ならごくフツーの言い回しでしょう。

1)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べきれないほどだった。
2)きのうのパーティーは料理が多く、全員で食べ切れなかったほどだ。
3)きのうのパーティーは全員で食べきれないほど料理が多かった。
4)きのうのパーティーは全員で食べきれなかったほど料理が多かった。
 過去形が2度出てくる4)以外は、どれもフツーの言い回しでは。

 それより、
>きれないほど      481,000 件
>きれなかったほど    142,000 件

 に関して、No.9のかたはコメントしています。
 当方には何がなんだかわからないので、何かコメントがあればお願いします。

お礼日時:2017/04/14 20:39

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