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下記の質問の続きです。
【「~あまり、~」の使い方について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10529075.html

 いろいろな問題が関係しているような気がして、「ちょっと時間を下さい」とお願いしたのですが……。
 ↑の質問を再掲します。
===========引用開始
ある日本語教育サイトの「あまり」についての例文に、
「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。」
という例文がありました。また、日本語表現辞典(アルク)の「あまり」の項に次のような例文があります。
「試験問題は易しかったのに、考えすぎたあまり、間違えてしまった。」
これらの動詞のタ形に「あまり」が続く表現には違和感があり、タ型ではなく、連体形の方がいいと思うのですが、どうでしょうか。 
===========引用終了

 結局、〈タ形に「あまり」が続く表現〉も〈連体形「あまり」が続く表現〉は同じようなものなのでしょうか。
 それともなんらかの基準で使い分けるべきものなのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    われながらバカなことを書いている。下記のように訂正します。
    【訂正前】======引用開始
    「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
    「働きすぎのあまり」にはちょっと異和感があります。
    ===========引用終了
    【訂正後】======引用開始
    「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
    「あまりの働きすぎに病気で倒れる社員が増えている」には強い異和感があります。 
    ===========引用終了

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/17 12:26
  • 質問した段階での当方の推論です。
     コーパス?に関してはグーグルで少し調べてみたのですが。ちょっと言い回しをかえるだけ結果がかわり、なんとも言えないような。
    【「働きすぎるあまり」「働きすぎたあまり」「働きすぎのあまり」 教えて!goo〈2〉】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12383507491.html

      補足日時:2018/06/17 12:49

A 回答 (24件中21~24件)

>〈そのような句形〉とは、〈タ形に「あまり」が続く表現〉のことでしょうか。


〈という理由でそうしている〉とは、過去の話なのでタ形を使うということでしょうか。
 うーん。何も考えていないのでは……と思いますが。

どうも意を尽くせなかったようです。日本語文法の教え方を考えた人は「働き過ぎたあまり」という実際には日本語で使われない形でも、「文型」として教えるほうが効果的と考えたのだろうと言いたかったわけです。(「働き過ぎた結果」なら日本語でも使われるのですが)

「悲しさの〈あまり〉」「働き過ぎの<あまり>」(これはあまり使わないでしょう。聞いたことがない)「感激の<あまり>」(これは使うでしょう「感激のあまり、泣き出した」)
このように、実際の使用例は個々別々のもので、その時考えられる物をつかうのが、ネイティブの人の言葉遣いです。ところが、習い始めの人にそんなことが出来るはずもなく、パターンとして教えることが効果的という判断があったと思われます。その結果が使われもしない「働き過ぎたあまり」という文型が出来てしまった、ということです。
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この回答へのお礼

>日本語文法の教え方を考えた人は「働き過ぎたあまり」という実際には日本語で使われない形でも
 個人的には使いません。でも使用例はかなりあります。【補足】のリンク先をご確認ください。検索してみて、あまりの多さに驚きました。
 ただ、もし教材をつくった人が「働き過ぎたあまり」も許容と考え〝た〟なら。フツーの文を優先させるのでは。
 これは実際の教材を見てみないとなんとも言えませんが。

お礼日時:2018/06/17 21:18

まず、用語の問題に触れます。


タ形と連体形としていますが、活用形でいえば口語では連体形と終止形は同じです。助動詞「た」は終止形でも連体形でもあります。本の質問者が連体形と言っているのは動詞の終止形、または連体形のことになります。つまりタ形などという形式的な捉え方は誤りで、問題は、過去形で表現するか現在形で表現するかの問題です。

この点を明確にしないと問題が錯綜してしまいます。ここでの問題は、「~あまり、~」という表現の「あまり」の前の「~」を現在形で表現するのと、過去形で表現するのとの違いは何かを明らかにするということです。言い換えれば、「おめでとうございます」と「おめでとうございました」の相違は何かというのと同じ問題です。

しかし、このように見てくれば回答もおのずと明らかで、「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。」の場合、「働きすぎ」という事態を話者が過去の事態と捉えているか、現在の事態と捉えているかという話者の認識の相違であり、この相違が表現の違いとなっているということです。

「なんらかの基準で使い分けるべきもの」ではなく、話者の認識の相違が文法という規範を媒介として使い分けられた結果だということです。

そして、表現に違和感を感じるのは話者と聞き手で対象の捉え方に相違があるからに他なりません。では、事実は、真実はどうなのかといえば、その対象自体の問題で調査、実証することになります。

言語は話者の認識の表現で、対象→認識→表現という過程的構造をもっており、各項は相対的に独立しています。この過程的構造を理解できずに無視し、対象と表現を直結し形式的にあれかこれか、○か☓かという学校の文法の試験問題のような発想に陥ってしまうところに、今回の疑問が生まれたものといえます。

そして、現在の形式主義、機能主義的な言語学、文法学ではこの問題に答えられないというのが実情です。■
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この回答へのお礼

>つまりタ形などという形式的な捉え方は誤り
 つまり、いわゆる日本語文法は「誤り」であると。
 そんな主張を信じる人がいるんですかね。

>現在の形式主義、機能主義的な言語学、文法学ではこの問題に答えられないというのが実情です。
 できれば「現在」の文法でご説明いただけませんか。
「未来」?の文法が理解できるほど特殊な人間ではないもので。

お礼日時:2018/06/30 09:43

「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れる社員が増えている。


時制に関して言えば、「倒れる社員」のほうも面白いと思います。これを「倒れた」としたら時制的には正しいのでしょう。しかし一方で過去形にすると「倒れた」はカウント可能な事例として意識される、つまりはすでに確定した具体的事例に限定されます。現在形(連体形)はこれを免れて、人が倒れるほどの深刻な事態という、個別を離れた一般化抽象化が可能です。
現在形は、過去形のように「実際に起こった」事を表現しない代わりに、「そうすること・そうであること」という名詞的な意味を含みうると思います。殊にその連用形は基本過去や完了の助動詞を従え時制に敏感な活用形ですが、だからこそ逆に連用形からこれら助動詞を抜き取れば、時制の空白を強く表現でき、時制の無い品詞である体言として扱いやすくなるのでは、と思います。
「働きすぎたあまり」は具体的個別的事例を踏まえており、あるいはそのような意図からの表現であり、「働きすぎるあまり」や「働きすぎのあまり」はそれを離れた抽象的表現なのではないでしょうか。ただし表現意図と言ってもそれほど意識しているものではなく、現実の生々しさを避け婉曲的表現を好む日本文化の性格が根元にあってそれが自然と染み出たものかも知れません。違和感というのはその辺りに対するものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>時制に関して言えば、「倒れる社員」のほうも面白いと思います。
 ああ、そうですね。
 ここもタ形にすると、どうしようもないような。
「この会社は、働きすぎたあまり病気で倒れた社員が増え(てい)た。」

>過去形にすると「倒れた」はカウント可能な事例として意識される、つまりはすでに確定した具体的事例に限定されます
 微妙すぎてなんとも言えません。
 当方なら、全部ル形にするかも。タ形を使うとしたら最後だけです。意味もニュアンスも無関係で、クドいからです。
 全部ル形でも、事実上は過去の話としかとれないような。

お礼日時:2018/06/16 11:58

あまり歓迎される回答ではないのでしょうが、「日本語文法」では、そのような句形を示して教えた方が理解しやすいという理由でそうしているのでしょう。



 以下に辞書の説明を引用しておきます。

  [デジタル大辞泉]
〇(感情などを表す連体修飾語を上に付けて副詞的に用いる)程度がはなはだしくて引き起こされた結果として。「うれしさの―に涙が出る」「案件の成立を急ぐ―委員会が混乱した」

  [日本国語大辞典]
〇(上に行動や気持などを表わす連体修飾句が付いて)行動や気持などが普通の程度を超えること。過度になった結果。

 徒然草〔1331頃〕五三「酔ひて興に入るあまり、傍なるあしがなへをとりて頭にかづきたれば」

  [三省堂国語辞典第七版]
〇〔「…の─」の形で副詞的に〕…の程度がはなはだしくて。
「感激の━」

  [広辞苑第七版]
〇主として「…の―に」の形で「度をこして…した結果」の意に、また「―の…」の形で「度をこした…のため」の意に用いる。土佐日記「京の近づく喜びの―に、ある童の詠める歌」。日葡辞書「アマリノコトニ」。「―の暑さに食欲をなくす」「心痛の―に寝込む」「急ぐ―、失敗した」

 このように、「あまり」という体言を修飾する「連体修飾句」があれば表現出来ることで、それが過去(「タ形」)であろうと、現在であろうとあまり関係無さそうです。
関係あるとすれば、後段の言い方に反映されます。
 働き過ぎのあまり、(病気になってしまった・病気になっている・病気になるだろう)

「あまり」は「結果」に言い換え可能と思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

〈そのような句形〉とは、〈タ形に「あまり」が続く表現〉のことでしょうか。
〈という理由でそうしている〉とは、過去の話なのでタ形を使うということでしょうか。
 うーん。何も考えていないのでは……と思いますが。

 辞書の引用ありがとうございます。
 やはり接続の問題を考えるべきですかね。煩雑になりそうなので避けていたのですが。
 辞書の例文を見ます。
「うれしさのあまりに涙が出る」→「働きすぎのあまり」と同様でしょう。
「案件の成立を急ぐあまり委員会が混乱した」→ 〈連体形「あまり」〉ですね。これをタ形にするのは、かなりクドい気がします。
「感激のあまり」……「働きすぎのあまり」と同様ですかね。「働きすぎ」よりも名詞ですね。
「あまりの暑さに食欲をなくす」……これはちょっと違う形ですね〈主として「…の―に」の形で〉って何を根拠に……。
「働きすぎのあまり」にはちょっと異和感があります。
「心痛のあまりに寝込む」……「感激のあまり」と同様でしょう。
「急ぐあまり、失敗した」……既出。

>「あまり」という体言を修飾する「連体修飾句」があれば表現出来ることで、それが過去(「タ形」)であろうと、現在であろうとあまり関係無さそうです。
「働きすぎのあまり」の場合は後ろがタ形でもル形でもOKでしょう。
 動詞の場合はタ形の重複はけっこう気になります。下記のときの「きのうのパーティーは全員で食べ切れなかったほど料理が多かった」に近いと思います。
【続 意味の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9707240.html

お礼日時:2018/06/16 11:54

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