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ことわざで「罪を憎んで人を憎まず」というのがありますが、そんなきれい事が正しいと思いますか?
実際には罪よりも人を憎むことがほとんどですよね?

A 回答 (18件中1~10件)

殆どがそうだ、は、多数に価値があるみたいですが、自分にとって、他の人がどうかは特に気にならないです。



自分が分からなくなったとき、不安になったとき、「他の人」が出てきます。
でも、殆どがそうかどうかは決め手にならないです。


「罪を憎んで人を憎まず」は自分の場合、修行が必要でした。

今は、修行の成果もあってか?人間の理解の方法を一応は、実験と研究で得たものが自分のモノになるまで時間をかけて、人の一部と人の全ての使い分けに苦慮することは無いです。

人を憎んで、憎みっぱなし状態は、修行が足らない状態の放置です。

被害者でいる限り癒されはしないと悟るまで、行ってみると良いですよ。
憎しみは人にとって辛いはずですが、自分を許しすぎると甘美なものに変わる時がきます。
その時はもう手遅れでしょう。

憎しみの辛さに守られたい、逃げている自分を見つけちゃったら、憎しみの先を求めますよ。
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たとえば おカネを盗まれたとします。



これは 人の――相手の・そして自分の――意志や心を踏みにじる
不法行為ですが それについての基本的な考え方は 原状復帰です。

盗みの前の状態(原状)にもどすこと。つまり 盗まれたものを元
の所有者に還すことです。



このときもし:
★ 《罪を憎んで人を憎まず》という考え方が きれい事である
☆ としたら どうなるか?

つまり:
★ 実際には罪よりも人を憎むことがほとんどで
☆ あり その《ほとんど全体をなす実際》の事例にしたがうとし
たら どうなりますか?

世の中は 憎み合い・いがみ合い・何かことがさらに起これば 取
っ組み合いになると推し測られます。



もしこの《罪を犯した人を憎む》ことが そのままみとめられ さ
らには奨励されたとしたなら どうなるか? の問題です。

この《きれいごと》の考え方があることによって 《現実に》社会
に秩序をもたらしている。のではないでしょうか?

ならば きれいごとではないのでは?
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正しいかどうかなど考えてはいけません。



ただ、そうしなくてはいけません。
定言命法ですね。
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“人を憎んで罪を憎まず”


そうならないように、しなければ。

「罪を憎んで人を憎まず」というのは、自戒の言葉と受け止めることも有りだと思います。

人の心の憎しみという感情は、理性では抑えられない程の強さが有ります。
それ故に人はその感情のままに、行動しがちです。
でも、その後には不思議と後悔の念が起きてくるものです。
そして、その後悔を打ち消すかのように、正当化のための“言い訳”が自身に向かって始まります。
自分は正しいのだ、と言うような。

この“言い訳”は、なぜ起きるのでしょう。
感情のままの行為に対する良心の呵責、に依るものではないでしょうか。

憎しみを晴らす、という行為は“良心”からの働きかけではないのです。
好ましくない方の心の働きだから、良心の呵責があるのです。

人を憎むという感情は、その人にとっては決して益になるものではなく、それは害とさえなるのだという戒めの言葉、それが「罪を憎んで人を憎まず」という言葉になったのだと思います。

☆それ以外にも、罪を犯したからといっても、その人は“普通の人”の部分が大半で罪の塊ではないはず、という視点も組み込んだ回答?にしたかったのですが、うまくまとめられませんでした。

罪の塊では悪魔になってしまいます。
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ほんとですよね(笑)



なかなか出来ないことだから
目標?としてこの言葉があるのでは?
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人は皆「井の中の蛙」環境で左右されます。


汚れた環境では汚れた人が育つ。
私が今実践しているのが荒れ果てた公園を「綺麗にしたら綺麗な人が増える」です。
どんな優秀な人もブラック企業に馴染むとブラック社員になりがち。
「罪を憎んで人を憎まず」は罪を犯しても反省し学べば善人になれる可能性があるということです。
愚かな自分の人生を修正するチャンスも与えたいと思う人がいても綺麗事とは思いません。
殆どの犯罪者の多くが再犯する社会。刑務所に入れても反省はしない。
罪を憎んでも犯罪者は刑期を終えてまた犯罪をおこす。
反省の可能性のない異常者は死刑にすべきとは思いますが・・・。
良い指導者がいれば再犯率は下がると思いませんか?
これが「罪を憎んで人を憎まず」と思います。
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そのとおりだと思います。

少なくとも人の世界では憎んでしまうことがほとんでしょう。


それでも、その言葉を体現し、憎まない心を持つに至った話も聞きます。素晴らしいことです。


綺麗事が正しい、少なくとも綺麗事で、他に恩恵を施す、実際に、行動で、公的にも行った例もあります。


【憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む】、偉大な聖者、供養に値する魂、最高の正しい悟り至った者と称賛できる釈迦族出身の賢者の言葉ですが、


戦後処理において、スリランカの大統領が、日本の待遇においてこの言葉を引用し、国際社会を動かしました。


素晴らしいことです。綺麗事で正しいこともあります。そして実現されたこともあります。
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トルストイの人は何で生きるかに書いてありますよ。


罪のない人間はいないと。

罪を犯すには理由がある。
それを考えると人が悪いのではない。悪い点・面がある。
日大の悪質タックルにおいても監督・コーチの強制があった。
選手はあせった。あせったが悪い点・面なのです。本人は自己分析をしています。猛反省をしています。

「罪を憎んで人を憎まず」。私が馬鹿ならばおまえや綺麗ごとと抜かす人間を憎みます。
お前を憎む。勧善懲悪をして困っている人をさらに悪の世界へといざなう事をする。お前を憎む。
私が馬鹿ならば。

しかし、私の親族が犯罪で殺されたならば犯人自身を許すことができるだろうか。
たまにこの命題を考えるときがあるが回は出ていない。
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あなたは完璧な人なのでしょう。

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ことわざで「罪を憎んで人を憎まず」というのがありますが、


そんなきれい事が正しいと思いますか?
  ↑
思いません。

それで犯罪が減るのであれば、それは正しい
考え方ですが、犯罪が減るとは思えません。

増えるんじゃないですか。

詐欺や汚職、過失犯には厳罰が効果的である
ことが実証されています。

振り込め詐欺などは、問答無用で死刑にすれば
劇的に減りますよ。




実際には罪よりも人を憎むことがほとんどですよね?
  ↑
そりゃそうですよ。
罪なんかどうやって憎め、と言うのですか。
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