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以下の作文で、「驕りになってません」との表現があります。この表現を訂正する必要があると思いますが、正しい答えに自信がありません。以下の文を「でもあなたは、驕りません。」や「でもあなたは、驕った態度を取りません。」と訂正しても正しいでしょうか。もしどなたか御教授していただけたら幸いです。

「あなたは、映画俳優に似ているので、学校ではとても人気があります。でもあなたは、驕りになっていません。」

A 回答 (9件)

■No.#6さんがおっしゃっているように、「驕りになる」という尊敬表現はありません。

明らかな間違いです。

■「~になる」を使った正しい尊敬表現は「お驕りになる」です。

■他の動詞でも同じです。「走りになる」ではなく、「お走りになる」。「泣きになる」ではなく、「お泣きになる」。「書きになる」でなく「お書きになる」。「恐れになる」ではなく「お恐れになる」。「育てになる」ではなく「お育てになる」。「起きになる」ではなく「お起きになる」等々。

■「あなたは、映画俳優に似ているので、学校ではとても人気があります。でもあなたは、驕りになっていません。」という文章の中の誤った表現を正しい表現に直せ……という問題ならば、明らかに文法的に間違っている「驕りになっていません」という表現を、正しい表現に直すのが正解です。

■「驕りになっていません」を正しい表現に直すとしたら、最も自然なのは「驕っていません」でしょう。なぜなら、(1)前の文では「似ておられる」ではなく「似ている」となっていて、「あなた」には尊敬語が使われておらず、(2)前の文の最後では「ありません」と、丁寧語が使われているので、(3)問題の箇所でも「あなた」には尊敬語は使わず、文末は丁寧語で結ぶのが最も自然だからです。

■ただし、「尊敬表現を使おうとしたら文法的に間違った表現になってしまったので、これを文法的に正しい尊敬表現に直すとしたらどういう表現にするべきか」というのが出題の意図だと考えると、「驕りになっていません」に近い表現を選ぶなら「お驕りになっていません」、そういう「近い・遠い」にこだわらなければ、No.#6さんがおっしゃっているような「驕っておられません」や「驕っておいでになりません」がよいと思います。個人的には「驕っておられません」が好きです。「お驕りになっていません」は「オオゴリ」という「オ」音の連続が耳障りです。

■「補足」欄のご質問について
>謙譲語がないとの御指摘ですが、他に謙譲語がない言葉をご存知でしたら教えていただけないでしょうか。

 やや複雑ですが、順を追ってご説明します。ここでは、敢えて「謙譲語」という言葉と「謙譲表現」という言葉を使い分け、「謙譲の意味を含み持った単語」を「謙譲語」、「一単語ではないが、謙譲の意味を含み持った表現」を「謙譲表現」と呼ばせていただきます。

 「言う」という動詞には「申す」「申し上げる」という謙譲の意味を持った動詞(謙譲語)があります。「聞く」にも、「伺う」という謙譲語があります。「食べる」にも、「いただく」という謙譲語があります。「いただく」は、「もらう」の謙譲語としても使えます。「与える」の謙譲語は「差し上げる」です。「行く」「来る」の謙譲語は「参る」です。

 このように、ごく一部の動詞には「謙譲語」がありますが、実は、ほとんどの動詞には「謙譲語」はありません。そこで、謙譲の意を表したいときは、「お育てする」「お思いする」「育て申し上げる」「思い申し上げる」などと、補助動詞を用いた「謙譲表現」を使います。

 本来「謙譲語」「謙譲表現」というのは、誰か敬意を払うべき相手がいて、その相手に対して「~する」という時に使われる敬語で、「伺う」という謙譲語の場合、必ず誰か敬意を払うべき相手がいて、その人に「伺う」のです。「お育てする」という謙譲表現の場合も、必ず誰か尊敬すべき相手がいて、その人を「お育てする」のです。「お思いする」という謙譲表現の場合は、「誰か敬意を払うべき相手のことを思う」という場合にのみ「お思いする」「思い申し上げる」という謙譲表現を使い、「今は3時だと思う」というような場合には、「今は3時だとお思いする」という表現はありえません。

 こうした謙譲語・謙譲表現の性質をふまえると、「驕る」という動詞の場合、それに対応する謙譲語が無いのはもちろんのことですが、「お驕りする」とか「驕り申し上げる」といった補助動詞を使った謙譲表現も、通常は想定できないのです。なぜなら、「驕る」という動詞は、誰か相手に対して「驕る」という場合、その相手に敬意を払っているということが考えにくい動詞だからです。つまり、もし相手に敬意を払っているならば、その人に対して「驕る」ということは、普通は無いからです。相手に対する敬意と、その相手に対して「驕る」ということが、矛盾してしまう動詞なのです。

 したがって、相手に対する敬意と矛盾しそうな動作や行為を表す動詞の場合、その謙譲表現には、通常は(あくまでも「通常は」)お目にかかりません。「驕る」以外には、「見下す」「あなどる」などでしょうか。

 ただ、例外はあり得ます。次のような場合なのですが、おわかりになりますか?

 「王様、申し訳ありませんでした。私は王様をあなどり申し上げていました。でも、それが間違っていたことに気付きました。どうかお許しください。」
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この回答へのお礼

詳細な説明に恐縮致します。最後の文「王様、・・・・」には、「あなどる」の言葉を謙譲語として書き換えることが可能な例が示されていると考えて宜しいでしょうか。また何かありましたら宜しくお願いいたします。お礼が遅くなりましたことお許しください。

お礼日時:2004/12/14 00:58

■No.#8です。

「お礼」欄のご質問にお答えします。

■“onsen04”さんがおっしゃるとおり、最後の文「王様、・・・・」は、「あなどる」の謙譲表現(通常はお目にかからない謙譲表現)が出現する特殊なシチュエーションを例示したつもりです。
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この回答へのお礼

前回、お礼が遅くなったにもかかわらず、ご回答くださり、ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/16 13:10

>ご指摘された「驕りになる。

」は、なんとなくですが尊語になると思ったのですが。
 はい。文法上はそれは間違った用法ではありません。
 それによく考えたら、「驕りになられていない」といった用法であれば存在しますね。
 しかし、目上の人(文章上は)であるはずの人が「驕っている」と考えるのは、あきらかに日本語の精神からは反する言い回しです。
 よって、「驕りになる」は実際には存在しない用例なわけです。
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 11:02

割り込み,失礼します。



>ご指摘された「驕りになる。」は、なんとなくですが尊語になると思ったのですが。今ひとつ、尊敬語と謙譲語の区別がつきません。二つの違いについて、ご教授くだされば幸いです。

「おごりになる」の音(オンと読んでください)が,「お食べになる」や「お読みになる」など「お~になる」という尊敬表現と似ているところが誤解の元になっているようです。ですが,この場合「驕りになる(なっていません)」ではこの種類の尊敬表現になりません。
「あなた」に対する尊敬表現にしたければ「驕ってはおられません」とか「驕っておいでになりません」などとするのがよいと思います。

※尊敬語は話題になっている人物に関する動作・状態などでその人物に敬意を表現する場合に用いる語。謙譲語は話者(及び話者の身内)がへりくだって結果として聞き手や動作の相手に対して敬意を表す語です。
例:行く(尊敬語=おいでになる。謙譲語=参る)

この回答への補足

早速のご丁寧な回答ありがとうございます。ご指摘のとおり、尊敬語と勘違いしておりました。重ねて質問があります。謙譲語がないとの御指摘ですが、他に謙譲語がない言葉をご存知でしたら教えていただけないでしょうか。宜しくお願い致します。

補足日時:2004/11/04 01:00
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。たいへん詳しい説明をしていただきました。もし何か、参考になるような辞書等を教えていただけたら幸いです。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 11:01

こんばんは。



通常「驕」という漢字を使った表現では動詞としての「驕る」を使うのが一般的で、そこに提示されている間違った言い方の場合は「驕り」という名詞が使われているという明確な違いがありますね。

「驕り」という名詞を使って表現するには、
「でもあなたには驕りがありません。」
「でもあなたには驕りというものが見られません(感じられません)。」
「でもあなたは驕りというものとは無関係のようです。」

名詞として使うのなら以上のような表現が考えられます。まだあるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。動詞が一般的に使用されることは知りませんでした。もし何か、参考になるような辞書等を教えていただけたら幸いです。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 10:59

 ちなみに補足。


 「驕る」という単語には謙譲語は存在しませんので、「驕りになる」は使えません(^^;

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます。重ねて質問があります。謙譲語についてですが、ご指摘された「驕りになる。」は、なんとなくですが尊語になると思ったのですが。今ひとつ、尊敬語と謙譲語の区別がつきません。二つの違いについて、ご教授くだされば幸いです。お忙しいとは存じますがよろしくお願いします。

補足日時:2004/11/03 20:49
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 10:58

「~に驕る」(名声に驕る、など)が正解なので、


No.2さんの2つ目の例文がバッチリ正解です。
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 10:57

この文章だと、


彼が人気になっている理由は、
「映画俳優に似ているということ」だけになります。
  
映画俳優に似ているという事が、
この作文のうえで重要な部分でないのであれば、
「あたなは容姿が良いのに、それに驕ったところがなく、
学校でとても人気があります。」
と書いたほうが自然ですね。
          
ちなみに、例文をあまり変化させずに直すとすれば、
「あなたは、映画俳優に似ているので、
学校でとても人気があります。
でもあなたは、それに驕っていません。」
となりますね。
              
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。文章の意味を考慮して回答していただきました。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 10:57

なんだか文章そのものがちょっと不自然ですが、この場合は「でもあなたは驕っていません」じゃないでしょうか。

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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございました。お礼のほうが遅くなり申し訳ありません。また何かありましたらお願いします。

お礼日時:2004/12/10 10:55

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