プロが教えるわが家の防犯対策術!

哲学的な事を考えすぎて憂鬱になってしまいます。人間もこの世界の物質の一つで、意識や自由意志なんてものも錯覚です。全ての感情は「生存に必要だったから」人類の脳内に「その場しのぎ」で備わった機能に過ぎず、脳は入力と出力を繰り返すアルゴリズムです。

この世界は、「ただ原子が存在していてそれが物理法則に従って動いているだけの世界」だという事を思い出すとまた虚無感に襲われます。

宇宙のことを知れば知るほど宇宙に目的なんてものはなく、ゆえに人間に生きる意味はないということを実感させられます。

生きる意味はないと実感した上で楽しく生きようと前向きに考えられる方もいますよね。ですが私にはそれができないのです。けれど死ぬのはやっぱり怖いです。この死が怖いという感情も生きるための機能でしかないのですが…そもそも「意味」自体人間が考えたもので、「意味」なんてものは存在しませんが…

そんなことを考えていると虚無感に襲われ、憂鬱になってしまいます。まとまらない文章になってしまい申し訳ないですが、回答してくださると嬉しいです。よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

参考にならないことを申しますが、この天の川銀河は大天使の体です。


大天使の体の中で生きているのだからいずれ幸せになります。なぜならば影響を受けるからです。
今生かもしれないし、来世かもしれない。参考にならないお話です。
    • good
    • 1

憂鬱になっちゃうのか。

#5の大工さんに言わせると

>いずれにせよ、一回きりで、そう長くはないのだから。

確かにさみしいね。昔の人は、命って何回も生まれ変わってくると信じてた。だから、自分の生き様を、前世と来世を考えつつ、途轍もない時間スケールで考え、律してきてたんだよね。それに比べると、今の人間は、命は一回きりだと思うようになった。あまりにも時空が狭く、時間スケールが短い。これじゃ、昔の人と比べて、人生を刹那的に捉えて、憂鬱になっちまうのも無理はない。たった一回きりの刹那的な人生だ。あとは野となれ山となれ、サノヨイヨイ、ってなことに成っちまうのも止むを得んかも知れんね。

でも、誰かが「命って何回も生まれ変わってくる」ってのが間違いだったと証明したとは、あたしゃ寡聞にして、まだ知らんのだが、tanami07さんは知ってんのかね。もし、何回も生まれ変わってくるのが本当だったとしたら、死ぬのが怖いなんて言ってられないんじゃないの。次の命でどんな暮らしをしてみようなんて夢を持ちながら、来世を待っていたらどうですか。
    • good
    • 2

哲学が出来るだけ生活に余力があることがその憂鬱の原因だと思います。

喜捨すれば何か変わるかも知れませんよ。

なお、喜捨以外で考えると、少し前にhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/10789743.htmlで自由意志は存在していますか?と質問しています。
現状、分からない。というのが結論です。その答えを調べるために人には知能があり、そこ存在意義があるのではないでしょうか?
予算や時間が十分にある場合、それについて本気で考えてみるというのはいかがでしょうか?

あと、もっとシンプルに、憂鬱になる原因は何でしょうか?私は脳にあると思っています。
極論言えば、脳を操作して憂鬱を楽しめるように医学的に変更すれば良いのではないでしょうか?
その思考で憂鬱になると言う思考そのものを改変する等です。
まとまりのない文章ですが、例えば痛みは人が嫌う感情ですが、神経が断絶していたり、脳に問題があるとそもそも痛みを知覚できないわけです。
つまり、痛みという物には本来ネガティブな感情はないわけです。あくまで、人の脳がその様に判別しているだけです。
その脳を医学的に改良すればそもそも、憂鬱という感情すら消失するかと思います。

憂鬱の解消には様々なアプローチがあると思います。
    • good
    • 0

もう少し、周りの人間に興味をもってみたら、どうでしょうね。



人間が、自分の内面を掘り下げて、結論を出して、意味づけをしようとしても、しょせんは自己完結しか果たせなくて、何も動きません。仰る通り、死ぬべき運命を持っているからです。

どんなに小さなことでも良いから、社会に働きかけられるご自分に、変わってゆかれると、逆に、楽になります。
    • good
    • 1

質問者さんの文章を読んでいると、本を勉強して「世界の仕組みは全て理解した」俺は神だと言っているように思えます。



大丈夫ですか?
料理でも、本に書いてある説明の通りに作ってもできない?
家庭菜園でも、解説のように育ててもできない?
運動も、プロ選手と同じようにできない?
理論と現実は違う?
何故だ。何故?
自分なりのやり方が必要だからですよ。
そこに、発見がある。

もっと、謙虚に「解らないことは解らない」と認めて、面白いと思えればいいのですよ。
哲学って考えることを学ぶ学問だったのでは?
文章を全て信じるって、なんで、そんなに素直になれるのですか?
    • good
    • 1

憂鬱になる状態は、大体ある特徴と傾向があると思います。



身体を酷使してストレスで感性が停滞している状態、考えて身体を使っていないので感性の出番を失っているような状態。
知覚からの感性への働きかけが自分を動かしていることに否定的だとネガティブになりますよ。

何も意味が無いなら、人間は唯の器。憂鬱にもならないですし、回答など求めないし、回答してくれると嬉しく思うなんて意味もないだろうが、めちゃめちゃ矛盾して、意味あるって気づくでしょう。
何か、保留していたものがあるなら、それに手を付ける時期なのかなと思えてきます。
    • good
    • 0

質問者さんは、変化しているのに、今まで通りではついていけなくなっているのでは?



知りたい欲があるときは、知ることが楽しみですが、自分の意味にまで昇華すると、そのように生きてしまうので、何をしても感動が無いのは当然ですよね。
飽きてしまったのだから、虚無感にされるがままの器に、新しいものを入れる努力をするしかないのでは。

意味というのは一つじゃないので、もっと挑戦したり、あえて荊の道を行くことで、思ってもみなかった世界が開けることがあります。
質問者さんが選び取って、その道に沿った考えかたを生きてみたら、途中で自分に違和感を感じたのだから、より道をすることだって出来ます。
もう、今なら、今後は、意味が無いということに逃げ場を作り、意味がないと憂鬱になる自分になっていく予測、つくでしょう。

私は自分に期待しているんだな、もう外に出て行きたがっているんだなと気づいて欲しがっているんだと思います。
    • good
    • 0

自己組織化というテーマで少し考えてはいかがですか?



原子がただ集まって堆積してるだけなら、生命は出来上がらない。
人間の脳細胞を、細胞の数だけで評価して犬の三倍だとか言っても実態は捉えられないでしょ。

宇宙に目的がなく、自分も生きる目的が与えられなかったから寂しい、みたいな心境は理解できますが、だから人生なんてものは虚しいとか苦しいとか思うなら、子供は産まなければ良い。

でも、自分の限られた時間が大切でないということにはならないですよ。
いずれにせよ、一回きりで、そう長くはないのだから。
    • good
    • 1

虚無感を克服して楽しく生きよう、の反対が、怖い死?


んなわけない。

あなたに欠落しているのは生命の視点です。
『風の谷のナウシカ』のマンガ(徳間書店で全7巻だったか。アニメ映画とはスケールが違い過ぎ)

「意味」は考えたから存在するのではなく、人類が「意味」の存在を発見したのです。「意図」というかwillというか…。
    • good
    • 0

「虚無」や「憂鬱」も、ただの意識の表象でしかありません。



あなたが「意味」なんてものが存在しないとおっしゃるように、全ての言葉の意味は、その場しのぎでしかないとしか思えません。

考えるだけ無駄なんですよ、何事も。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!