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昔はコンビニなどなく
味噌や醤油を近所で貸し借りしていた
その結果コミュニティが産まれた
近年ではCDの貸し借りで
コミュニティが産まれた
しかし最近はダウンロードでそれもない
人は便利さと引き換えに
煩わしいコミュニティをこわし
個に向かっている
煩わしさのない個と
温かみのあるつながりある世界なら
どちらが試合なのでしょうか??

A 回答 (11件中1~10件)

昔はコンビニなどなく味噌や醤油を近所で貸し借りしていた


その結果コミュニティが産まれた
 ↑
昔は貧しかったので、そういうコミュテイを
形成する必要があったのです。
豊かになった現在では、お金さえあればコミュニテイ
は必要なくなりました。
だから孤独な人が増えるのです。



近年ではCDの貸し借りでコミュニティが産まれた
しかし最近はダウンロードでそれもない
  ↑
この世は競争社会ですからね。
技術が発達すればそうなります。
先進国では人件費削減は最大の
課題です。



人は便利さと引き換えに煩わしいコミュニティをこわし
個に向かっている
 ↑
得るものがあれば、失うモノが
出てくるのです。
文字を発明したため、人類の記憶力は
減衰したと言われています。
無文字社会では、伝達は物語や
歌にして伝えました。
そういう文化も失われた訳です。



煩わしさのない個と温かみのあるつながりある世界なら
どちらが試合なのでしょうか??
 ↑
試合?
幸せですか?

人間は独りでは幸せになれないことは
心理学の定説です。

人間は豊かになり、賢くなりましたが、
反面、幸福からはどんどんと遠ざかっている
ように感じます。
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貸し借り以外でも人間関係は構築できます。



ただ、ソニーのウォークマンが出たあたりから、音楽はみんなで聞くのではなく個人が個人の好きなものを聞くようになり「みんなが知っている歌」「みんなが歌える歌」というのが少なくなりました。
歌というのは人と人をつなぐ効果があるのでその点は残念ですね。
歌。音楽に続いて、パソコンもパーソナルになり、ネット配信で映画も動画も見られるようになり個々が個々の好きなものを追求しているので一部が偏りがち。
ただ、ネットで話題になると日本という規模ではなく世界という規模で拡散されるので幅広く繋がれる一面もありますね。
広く浅く。

私は都会育ちの田舎住みです。
田舎に来て思うことは、田舎の人というのは身内に優しい。
都会に出ても田舎に戻ってきて「都会は冷たい」というのは、田舎なら身内が甘くて許してもらえるようなことを都会では誰でも平等なので許してもらえない場合です。
よそも者の私達と、地元の人が同じことをした場合、地元の人ないも悪くないと言われてもよそ者はそうはいきません。
私はそういう「温かさ」でしたら要らないと思います。
だから地方は衰退するんだなと思っています。
煩わしさのない「個」を大事にする都会は反映していますよ^^

人間関係は普遍ではありません。
流動的だから新しいものを受け入れる力があればいくらでも広がります。
貸し借りに固執していては広がりませんよ。
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昔の様に世間の目があり 恥の精神が健在なら理性のある付き合いが出来ましたが 今は隣の者も知らない環境では付き合いは難しいです

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今はイヤフォンの貸し借りや、情報のシェアですね。

私は田舎に住んでるので、逆にあっさりした人間関係に憧れますね。地域にもよるのかも?
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田舎の限界集落に住んでますが。

私は移住者ですし必要最低限しか関わらないですよ。
若者は全くいないです。こういう場所で生まれ育つと、間違った儒教的家父長制・年功序列・男尊女卑はあるし、煩わしさがハンパないので。
若者(特に女性)は都会へ出て行き続けてる状況が全てだと思いますが。

友人など好きな人だけ選べるわけでなく、自分の利益しか考えない人や頭がおかしい人などとの付き合いが強制され、優しい人やまともな人が割に合わないのが地域社会です。悪い事ばかりでなく、それが楽しい人もいるので残ってる若者はそういう事だと思います。温かみという言葉は綺麗ごとに感じられますよ。

田舎や昔の最低限の近所付き合いなどしてるのは、セキュリテイ面と、ギブアンドテイクの為なんで温かみとかじゃないですよ。利害関係のある生存戦略です。味噌や醤油や酒は高級品で瓶で買う時代に少しきらしてて、今欲しいけど無いから後で返すからねという意味合いで。貸し借りするのは、自分が貸さないと借りたい時に借りれなくなるからなので。同じように近所で草刈りなど助け合うのも、自分が将来助けてもらうかもしれない時の保険です。
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父や祖父母からよくそういう話を聞きました。


昔は必然的にご近所づきあいがあったので、近隣住民が家族と近い存在になったり、買い物に行くと商店街の人たちと顔見知りになって、孤立してしまう人は少なかったそうです。
独居の人が病気になったり亡くなったりすると、「最近〇〇さんが買い物に来てない」と誰かが気がついてくれたり。
孤独死して誰にも気づいてもらえない様な人は、今よりもずっと少なかったのではないかなーと思います。
煩わしくてもそういう人付き合いがある方が私は好きです。

仕事の時、一人暮らしの高齢者や家にこもりがちな専業主婦の人にたくさん会いましたが、「ご近所付き合いは無い方が楽でいい」と言いながら実はコミュニケーションに飢えてるような方がすごく多いと感じましたよ。
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一長一短ありますので個々で意見が分かれるとは思いますが…



個人的には煩わしさが伴っても繋がりがある関係の方が良いかなと思ってます
理由は困った時、病気や災害など一人のカではどうにもならない危機は、お互いを気にかけ助け合う関係がある方が心強い気がするので

関わりを断ち生きることは気楽ではあるけれど 逆に言えば『存在を認識してもらえていないので助けの手をさしのべてすらもらえない』ことになると思うので

ま、人との繋がりって感情の部分も大きいので 裏切りや傷つけられることもあるんですけどね…

結婚にも個の現象の影響があるように感じてます
家庭を持つ煩わしさから独身で過ごす人も増えてきてる
否定する気はないですが肯定する訳でもない

時代の流れもあるのかな
難しいですね
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難しいところですよね


コミュニケーションを取るのが生まれつき苦手な方もいますよね

でも生活しなければならないから煩わしと思いながらも仕事場では
コミュニケーションを必死に取るしかないんですよね

自分の時間位は煩わしさのない個で生活する方がきっと幸せでしょうね
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味噌や醤油を貸し借りしていた結果、コミュニティが産まれたのではなく、コミュニティがあったから、お互い貸し借りできたのではないでしょうか。


CDの貸し借りで産まれたコミュニティがあるのは知りませんでした。仲間内で貸し借りしていたのではなく?

地域における既存のコミュニティが希薄になっていくのと同時に、ネット社会に新たなコミュニティが産まれています。
孤立した個では生きられないので、何らかのコミュニティは必要ですが、その在り方が多様化しているのでしょうね。
地域社会の町内会的なコミュニティは煩わしい面もありますが、世代を超えた、顔の見える関係は、結構大事にしたいなと思っています。
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答えはそれぞれ


個人の選択、自由でしょう。
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