映画のエンドロール観る派?観ない派?

僕はキリストはお金の事だと思うんですがどうでしょうか?ご意見伺いたいです。宜しくお願いします。

A 回答 (22件中1~10件)

面白い変った意見を求めるときは、先ず自分の意見を披瀝した後で意見を求めないと空振りに終わると思います。

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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。この問いについてもっと書こうかと迷ったんですが、僕はいつも言葉足らずなので、逆にやいこしくなって、分かりにくくなってしまい、皆さんのご意見を受け損ねてしまうような文面になってしまうと思い、あのような質問文にしてしまいました。申し訳ないです。面白い、変わった意見と言うよりも、限定のない意見を頂けたらいいなと思っています。
 茨の冠をかぶり、十字架にかけられたのは、人間ではなくお金ではないか?という質問です。すべてから愛され、すべての人間の罪を一身に受けるというのはお金ではないでしょうか?・・・・・というような文面だと、私は、「すみません、もうチョッと後で出直してきます。」と言わなければならず、又、「意味わかんね、コレ。」って感じで。中途を書いている上に分かりにくい文のため、質問を読んでくれた方も中途な印象を受けてしまい、限定のないご意見を伺えないくなってしまうと思ったんです。言い訳ばっかしてすみません。もしこれでよろしければご意見伺えますでしょうか?

お礼日時:2001/08/01 06:56

キリストChristの原義は「油注がれた者」を表す古代ヘブライ語Khristosに由来し、救世主Messiahと同じ意味を持ちました。


これは、イスラエルで王位に就く者は、預言者によって頭に聖油を注がれるという古習にもとづくものです。
ダビデ(1000 B.C.)も、油を注がれて王になったと旧約聖書に記されています。
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この回答へのお礼

油をかけるんですか!?・・・・けっこういいかもしれん、、、。そして、語源の話、参考になります。ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/01 07:00

何やら大変ユニークな持論をお持ちの様子。

是非お聞かせください。その上でお答えしたいですね。
今のままだと、人間なのか貨幣なのかという内容にも捉えられるし、キリスト教におけるキリストの位置付けとも、あるいはその変遷かも・・・とはっきりしません。それでは、後程。
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この回答へのお礼

持論なんてありません。論を立てれるほど話せないんです。皆さんのご意見を伺いたく質問させて頂きましたが、いつものように言葉足らずで、皆さんにご迷惑おかけして申し訳ないです。僕の質問は、イエス=キリストは人間なのか貨幣なのかという話の質問です。しかし、もしよろしければ、キリスト教におけるキリストの位置付け、あるいはその変換のお話もしていただけるとうれしいです。持論が立てれるようであれば、皆さんの他の質問にもきちっと答えられるんですが、一方的に頼るような形をとってしまい申し訳ないです。もしよろしければご助言、宜しくお願いします。

お礼日時:2001/08/01 08:17

イエス・キリストの事でしょうか??



彼は「金」でも「神」でなく

『人間』でしょう。。

ちょっと質問の意図をを汲みかねます。。m(__)m
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この回答へのお礼

>ちょっと質問の意図をを汲みかねます。。m(__)m
ほんとに申し訳ないです。いつも言葉足らずで、足取りもふらふらのまま質問してしまい、そのような質問に答えていただけてほんとにかんしゃしています。
 僕の質問は、聖書は逸話で、イエス=キリストはお金のことではないか?という質問です。もしよろしければもう一度ご意見伺えるとうれしいです。申し訳ないです。

お礼日時:2001/08/01 08:07

こんな感じですか?違ったら訂正してください。



キリスト→神様→人を幸せにする→食べ物や欲しい物が得られる→お金

「心のよりどころ」「安心を与えてくれる」という見方からも、神様とお金の共通点が見える人もいるでしょう。

もちろん、人によっては、神様よりお金の方が大事な人もいるのでしょう。

でも、神様とお金の違いがあるとしたら、「死ねるかどうか」というのが一つあると思います。神様のために死ぬ(殉教)はあっても、お金のために死ぬ人はいませんよね。これはどうしてでしょうか?
私は、神様は現世と来世の両方に影響があるけど、お金は現世にしか影響を及ぼさないからだと思います。

ちょっととりとめがありませんが、まずはこんな回答でいかがでしょう?
皆さんの補足要求にも答えてくださいね。
楽しみにしています。
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この回答へのお礼

いえいえ、とりとめのないのは私の質問のほうです。いつも言葉足らずで皆さんにご迷惑ををおかけしてしまうんです。それでもご意見伺いたく無謀にも質問せざるを得ないのです。ご回答していただき本当に感謝しています。
 僕の質問はこんな感じです。
イエス=キリスト→茨の冠とともに、ユダでしたか、とともに十字架にかけられ、すべての人の罪を一身に受ける。⇒お金 です。最後の⇒で「とばしすぎだゼ、オイッ!」ってなってしまったら申し訳ないです。
>食べ物や欲しい物が得られる→お金
お金があっても食べ物や欲しい物が得られるとは限らないと思います。もしくはその場合すでにそれはお金ではないのかもしれないですね。物を得た瞬間、それはお金になるわけですが、その瞬間にはもう手元にそのお金は存在していないわけなので、お金の存在を確かめる事もむずかしい。まして、それを保持することなど、お金持ちっていったいなんだ!?ってなります。(ヒガミじゃないですが、、、)でそれがお金だと思います。マニーゲームのお金も、水より安い牛乳に支払われる代価も、僕のアルバイトの給料も、みんな実態のない数字であり、形骸があるかのような幻想であると思います。その白昼夢が人間を救った事も大きくあったと思います。

>神様のために死ぬ(殉教)はあっても、お金のために死ぬ人はいませんよね。これはどうしてでしょうか?
 なぜなら僕は、お金はすべて(?)の人のために平等(?)に存在(?)としてあるからだと思うからです。 (?)は矛盾と皮肉のためにつけてます。

なんかお金の話になってしまいましたが、もしよろしければ、キリストはお金か?の話を続けてもらえるとうれしいです。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/01 08:02

ある宗教関係者が言っていました


宗教心とはいくらお金(お布施、寄付)をしたかであると...

そう言うことかな?
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この回答へのお礼

ちがうんです、、、、。僕はいつも言葉足らずでみなさんにご迷惑おかけして申し訳ないです。大工の息子はお金だったということです。メシアはお金だったのではないかと。エホバの小人は、キリストは救世主ではない。正しいのは旧約までだ。といっていたように思います。ですから、キリストがメシアかどうかはおいといて、イエス=キリストはお金ではないかという質問なのです。お礼の文章もままならず、大変申し訳なく思っております。もしよろしければごいけんいただけるとうれしいです。

お礼日時:2001/08/01 07:27

 



(1)キリストはお金か?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 どなたかのお答えの通り、ユダヤ教徒の人間が、死ぬ時にはキリスト教を創り上げた、(元ユダヤ教徒で、キリスト教に改宗(?)した)ユダヤ人(人間)です。



(2)キリスト【教】はお金か?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 他の宗教全般(全て)と同様、【宗教】は、金銭の集金組織です。金が無いと生きていけないのですから。金の高が勢力のしるしです。托鉢、喜捨、勧進、寄進、浄財、奉納、慈善、賽銭、寄付、...



(3)神は?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 神は、各個人の内(心)に居るので、お金は必要有りません。外の神【宗教】に対してはお金を払います。払わないと、対価(安らぎ?安心?自己満足?)をもらえません。

 たとえ、外側に神が存在するとしても、神は一人ひとりに対して、1対1の関係で1体の神のみが存在します。が、それが、ひとたび、複数の人間にとっての神【宗教】になると、それは、お金を要求します。



(4)...
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ...

 
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この回答へのお礼

番号まで振っていただき、、、その親切がとてもうれしいです。僕がした質問は(1)です。(2)と取られても仕方のないような分かりにくい文面で申し訳ないです。(2)ではないです。(3)の話についてはまた機会があれば、あなたのご意見と交換できればうれしいです。(4)、、、このポジションを与えてくれる。そのような心づかいがとてもうれしいです。
 我々の心にお金あり、今、我々、人はパンだけでは生きていけないです。お金がないと、、、、
 
 ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/01 07:20

caballeroさんのキリストがお金ではキリストが可愛そうですよ。


言われている事はキリストの教えを普及及び維持している教会の組織団体と思いますが組織を維持していくのは人間で、人間は霞を食べているのでは無いので糧を得るためには現実社会のお金が必要なことはわかりますよね。
宗教の組織団体は昔から信者から過分なお金の寄付(信者が減ります)をさせない為に副業でお金を得る方法で苦労しています。
僧侶自身が托鉢を行い喜捨を得たり、時の為政者から認可をもらい富籤を売ったり、中には金貸しもしています。
近くでは宗教団体が得た所得に対して税金を徴収する話も下火になりましたが、それも此れも信者から過分なお金を寄付をさせない制度と思います。
キリストの教会の歴史をひもとけば信者から過分な寄付を得ない為のキリスト教会もあると思いますよ。
キリスト=お金は短絡過ぎると思いますのでもう少し視野を広げられたら如何ですか。
只、世界一の金持ちはバチカン王国と言われているのは事実です。
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この回答へのお礼

おはようございます。そして、ご意見ありがとうございます。
いや、ちがうんです。その宗教法人だとか、献金、宅蜂、お供えものの話じゃないんです。僕はいつも言葉足らずなのでもうしわけないです。そして特に最近は論を立てることが難しくなってしまったので、あのような分かりにくい質問文をわざわざ読ませていしまった事をお許しください。これから書くこともへたくそで申し訳なく思います。読んでもらえるとうれしいです。
 馬小屋で生まれたのは人間ではなくお金だったのではないかと言う事です。すべてに愛され、すべての人間の罪を一身に受けるのはお金ではないか?という質問です。こんな文面しか表せずに申し訳ないです。もしよろしければご意見いただけるとありがたいです。

お礼日時:2001/08/01 07:10

#1.からの続きです。



金またはお金が[茨の冠]を被せられて十字架に架けられる・・・という発想は結構ユニークで面白いと思います。
これは発想自体が意表をついていて、caballeroさんがもう少しご自分で突き詰めたほうがよいのではないでしょうか?

金またはお金に対する考え方が人によって違った反応が出るので興味はありますが、私は実際に増やす方が好きです(爆)!
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この回答へのお礼

再びのご回答ありがとうございます。せっかくのご回答なのにもかかわらず、御礼が遅れてしまい大変申し訳ないです。
>これは発想自体が意表をついていて、caballeroさんがもう少しご自分で突き詰めたほうがよいのではないでしょうか?
 いつも、思考の加速が遅いので、もうすこし精進します。励ましていただいてうれしいです。
>私は実際に増やす方が好きです(爆)!
 僕はお金はいらないから実際に望みを様々にもらうほうが好きです!

お礼日時:2001/08/12 09:17

中世のように極度に宗教化した社会であれば、キリスト=お金といえる面もあるかと思います。


ご質問の内容を、私なりに解釈すると社会にとってのお金の位置づけ(役割)とキリストの役割に相似性があるか?という内容だと解釈しました。
お金とは、交換価値の事であり、その価値は国家により保証されています。一方キリストは(信仰する者にとっては)絶対的価値であり、神と聖霊と一体となる存在として万能の神の子としての位置づけが神により保証されています(と信じています)
ご指摘の部分はキリストが万民の罪を背負って、茨の冠を被り十字架に掲げられる事によって、神はすべて人の罪を許し給うた、ことですね。
この罪の許しを言い換えると信頼の回復と言え、これがお金と同じだという事でしょう。
お金は、それを所持することによって困難からの救いとなる点、万人に平等な価値となる点では良く似ています。この場合キリストと言うより信仰と言ったほうが私にはしっくり来ます。
また、お金も信仰もそれを持つことができれば救われるのに、なかなか持つことができないのも似ている気がします。
ただし、大きく違う面もあります。
お金自体には意志が無いのに対し、キリスト、或いは信仰には神の意志の実現へ向かおうとするという点が大きく異なります。また、お金はもっぱら同一の社会の中での他者との関係により使用されますが、キリストへの信仰は神と人との間の1対1の関係で語られます。そして、それは精神的なものです。
ユダヤ教でのメシアは現世的な君主の出現であり、キリストのように精神的な、信仰的な救い主ではありませんでした。
ですから、お金に近いのは、むしろユダヤ教でのメシアかも知れません。
的確な答えにはなっていないかも知れませんが、このご質問には非常に新鮮な視点を提供していただきました、ありがとうございます。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり大変申し訳ないです。すみません。
>この罪の許しを言い換えると信頼の回復と言え、これがお金と同じだという事でしょう。
 そうなんです。そうおもいます。
>お金自体には意志が無いのに対し、・・・・キリストへの信仰は神と人との間の1対1の関係で語られます。そして、それは精神的なものです。
 たしかに、、、
>ユダヤ教でのメシアは現世的な君主の出現であり、キリストのように精神的な、信仰的な救い主ではありませんでした。
ですから、お金に近いのは、むしろユダヤ教でのメシアかも知れません。
 この部分、他の部分にもましてとても参考になります。
あなたの回答のおかげで、自分の思考が整理され、さらに新たな思考範囲が開拓されました。非常に感謝しております。又、出会えることを願っています。
本当に遅い御礼ですみませんでした。

お礼日時:2001/08/12 09:10

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