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曽祖母は祖父の一番上のお兄さんが生まれた一年後に結婚してて結婚が第一子出産の一年後になってるんですが、戦前とかは女性は子供が生まれるまで入籍させてもらえないみたいなのあったんですかね?曽祖父、曽祖母が結婚したのは昭和3年です。

A 回答 (3件)

曾祖父の親が届けなどをすぐにする人でなかったのだと思いますが?

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現代でも、当事者や身内が届を出さなければ戸籍には記載されません。


親が無関心だったり無知であれば、子供が生まれても戸籍が無い→公立小学校からの入学通知も来ない…「戸籍上は」生存していないことになります。

父の実家の戸籍を辿ったら、父の伯母に当たるはずの二人の女性の名前すらありません(長女の次は四女の記載になっている)、大叔母に当たる三人の女性の名前もありませんでした(長女の次は五女と記載)。
たぶん、産まれて間もなく亡くなったのだろうと思います。

曾祖父母さんの婚姻の届けを出すのを忘れていたとか、何らかの事情によって届を出せなかったのかも…自然災害とか、曾祖母さんの結婚相手である曾祖父さんが二男とかで、長男が結婚するまでは控えたとか。


>戦前とかは女性は子供が生まれるまで入籍させてもらえないみたいなのあったんですかね?
日本国内でも、特定な地域では外部の人間には理解できないような因習があったのは事実のようですが、一般的には入籍が先で、3年経っても子供ができない場合、女性に原因があるとされて離縁になったようです。
「嫁して三年子なきは去れ」という言葉もあったくらいですからね…昭和に入ってもそうだったのかは分かりませんが、嫁が三年経っても子供を産めないなら離縁してもいいというのが公に認められていた(法律のようなものがあったようです。たしか、儒教の教えが元になっていたんじゃないかな)…今でもそういう風に考えの人はいますよ。
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曾祖父母は、家と家の格差の問題があったのでどちらかの親が結婚を反対していたものと思われます。

その結果、祖父のお兄さんは1年間「庶子」(嫡子で無い子)だったのでしょう。

戸籍制度が出来た以降、女性は子どもが生まれるまで入籍させてもらえなかった、ということはありません。又、子どもの続柄と人数が合わないのは、もうひとつ前の(子の親の)改製原戸籍を見れば繋がります。明治時代に生まれて3日で死亡しても戸籍に載っています。
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