プロが教えるわが家の防犯対策術!

「善悪などの判断は、知的教育のみで可能になるものではなく、様々な葛藤場面の経験から養われるものである。」と道徳の教科書にありましたが、具体的にはどういうことでしょうか?なんとなくは分かるような気がするのですが、具体的に分かる方、どうか教えて下さい。よろしくお願いしますm--m

A 回答 (4件)

例えば「殺人犯は皆死ぬべきだ」みたいな考えを持った人がいたとします。


おそらくそれはその人の価値観や深い思慮の上に出来あがった考えなのでしょう。
しかし、あるとき彼の友人が殺人を犯してしまったとします。しかもそれは正当防衛などではなく明らかにその友人が悪いというようなものだったとします。
その友人はお世辞にも立派な人とは言いがたいものでしたが、どことなく憎めない、なんとなく気の合う友人でした。
そんな状況になった時おそらく彼は非常に悩むのではないでしょうか。
一刀両断に「あいつは死ぬべきだ」とはなかなか言い難いのではないでしょうか。
自分の考えは間違っていないはずだ。しかしそうすると友人は死ななくてはならない。しかし死というのはあまりにも過酷な気がする。しかし…
このような葛藤の中で彼はおそらくなんらかの結論を導き出すでしょう。(それがどのような結論かは分かりませんが)

道徳や価値判断というのは頭の中の理屈だけだはなく、様々な経験を積んでこそ厚みのある本物になるのだと思います。

障害者差別や外国人差別等も、実際にそういった人々に触れたことが無い人々が何らかの意見を言ったとしてもやはりそれは薄っぺらいものになると思います。

その教科書もそういうことを言っているんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます^^確かに実際にそういうことがないと、話に重みがありませんね。

お礼日時:2005/01/10 09:13

家庭や学校で、一般的に「ああしては駄目、こうしては駄目」と教えられることは、人として生きるのに必要な、基本的な考え方を学んでいます。

これが知的教育と言われる部分です。
しかし、実際に生きていくときに、必ずしも同じ事例に出会すとは限りません。今まで学んできたこと、特に幼稚園・小学校時の家庭での知的教育が基本となり、多くの人と関わる中で、いろいろな問題を(善悪判断)解決していくようになるのではないでしょうか。
知的教育と、人との関わりと言う経験が一緒になり、より具体的な善悪判断が出来るようになる。
教育は、生きていくために必要な、正しい考え方の基本を育てるものではないでしょうか。あとは、より多くの人と関わりを持つことで、道徳心は養われるのだと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございますm--m知的教育で学んだことを周囲とのふれあいの中で、さらに自分のものにしていくのですね☆

お礼日時:2005/01/10 09:29

お金を拾ってネコババするか交番に届けるか。


いじめの現場に遭遇していじめの仲間に加わるか、毅然と立ち向かうか。
まさに危機に直面している個人に身をていして救おうとするか傍観するか。

そういう実体験により獲得される道徳観は、知識教育としての道徳と違って揺るぎないものである、という意味です。
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この回答へのお礼

確かに、何をすべきではない、何が正しいと言われても、実経験によって自分がみたもの、聞いたものを信じてしまいます。アドバイスありがとうございますm--m

お礼日時:2005/01/10 09:31

他人からされたら不愉快になることってありますよね。


これは知的教育で「これをされたら不愉快ですよ」と
習うわけではありません。

例えば、財布から勝手にお金を抜き取られた場合に
楽しくなる人はいないでしょう。
このことは「財布からお金を抜き取ってはいけません」と
知的教育を受けたわけではなく、自分の実体験や他人の
経験を見聞きして知らず知らずのうちに養われたものです。

つまり自分と他人が共存して調和していく術を経験から
学んでいるのだと思います。だから未経験の場合、
他人を不愉快にさせて初めて学習する場面もあります。

また、経験には個人差がありますから道徳感のズレが
生じるのはしょうがないのかも。
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この回答へのお礼

周囲との関係から学ぶものは、知的教育を基盤として、それ以上に大きなものを与えてくれますね☆アドバイスありがとうございますm--m

お礼日時:2005/01/10 09:33

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