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明らかに悪いとわかっているのに絶対に謝らない嫁を謝らせるにはどうしたらいいですか?
一言「あ、ごめん」って言えば済む話なのに絶対に謝りません。
道徳では悪いことをしたら謝ると習ったはずなのに、親の躾も悪かったのでしょう…

A 回答 (15件中1~10件)

良いほうに考えれば、身内になった人にいちいち謝らなくても良い、と甘えているか、結婚するまでは猫をかぶって大人しくしていて、結婚したらそれも無くなり、本性が出たか、それとも、なめられているか。

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他の人も書いていますが、話して解決しないならば、いくら言っても無駄です。


ですが、夫婦は似てきます。旦那が素直に謝ったり、お礼したりする姿を見せ続ければ、心変わりしてくれるかもしれません。
謝ったら損ではなくて、謝った方が得って思えるようになればいいですね。
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それに腹立たしさに力を注ぐよりも、


自分がそうならないようにしていきます。
私なら。
人は人なので、
夫婦は、他人ですからね。
そこに力入れて苛立ちを覚えるより、あっ謝らないってこんな不快なら
自分らそうならずにいようと思います。
そして、自ら見本になり、自分はきちんと謝る姿勢をみせますね。
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教養、教育の問題なのか、育つ過程で何か人と違う育ち方をしたのか、いますね、時々。


謝れなくても、自身が正しかったか、悪かったかは、わかってると思います。
その時は目を見て、悪いと思ってるようであれば、それで納得してあげてください。
そして、肩をぽんとたたくなり、頭をなでるなりしてあげて良いんじゃないんですか ?
そういうところから少しずつ学んでいく感じでしょうかね。
無理にさせようとすると反発しかしないと思います。
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全ての事を勝ち負けで考えている人は絶対に謝りませんよ。



人の心をyes,noで考えると情緒が分かりませんしね。

学生時代余り本を読んでなかったんでしようね。

ここで引いておけば丸く収まるなんて感覚思いも付かないんですよ。

諦めらよりないですね。
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中国人や、朝鮮半島人ならいざ知らず、日本人にそんな奴は居ないだろう。


何かの、勘違いでは?
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言葉で謝ればいいのでしょうか?


私の元カレも すぐ謝れ!と
言う人でした。
私の思いは、私が謝ることではないと思っていましたし、
謝る事より話し合う事を
して欲しい内容でした。
しかし、常に自分が正しいと
言う人でした。
私は犬以下かよ?て思いました。
奥様には奥様の言い分が
あるから素直に謝れない…
かもしれませんよ。
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いるんですよね、こういう人。

私も最初は信じられませんでしたが。親もまたこういう人なんですかね?何でも、謝ったら負け、謝ったら終わり、謝ったら自分が居なくなるって思っちゃうみたいで、謝ることに異常なくらいの恐怖感や不快感があるようです。無理に謝らせるとパニックを起こしたりします。懇切丁寧に一から教えるしかないですかね。
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たとえば、「謝らないなら、『性格の不一致』で離婚しよう!」とでも言ってみれば?



奥さんが「それは困る!」と言う立場であれば、謝るだろうし。
逆に、「仕方ない。では離婚しよう!」とでも言われたら・・。
残念ながら、質問者さんには、「謝らせる術はない」と思います。

言い換えれば、質問者さんが、奥さんにとって「失いたくない!」と言う存在になれば、奥さんは質問者さんに対し、かなり譲歩などをする訳です。
まあ、余り細々とか、多くの譲歩を迫ったら、「別れてもいいかな?」なんてことになっちゃいますけど。
質問者さんが絶対に譲れないことの一つや二つは、聞き入れてくれますよ。
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うーん。

私たちが思っているほど簡単じゃないようですよ。

私の知り合いでも同じような人がいます。

どんなに困っても、けっして謝りません。


ある時、こちらも覚悟を決めて対峙したんです。

すると、

「わかっているよ。やろうとしたんだ。出来ないんだ。出来ないんだ。」

と突然泣き崩れてしまいました。

晩年になって本人にも自覚が生まれ、やろうとしたみたいです。

「あれ、おかしい、できない。できない。」

そこで、始めて気がついたみたいです。

本当に出来なくなっていたんです。

脳にそういう癖がついてしまい、学習を重ねすぎてロックされてしまったわけです。

私たちが寝小便をしようとして、出来ないのと同じです。

「ああ、そうなるかもしれないとは思っていたけど。

 本当にそうなるんだ。」

この時は本当に驚きました。

「・・・何と言うか。良かった俺じゃなくて。」



悪いと思ったら、反射的に謝る。

当たり前のことです。

しかし、やらないでいた人がどうなるのか?

私は、良い年になって始めて知ったんです。



AIが進化してきた時代ですから、

人の脳もただのコンピュータであると言うのはご存知でしょう?

よく学習したAIは信用できます。

それを信じられるくらいの確度で、

道徳に反した行為をしてきた人は、道徳どおりに出来ないと言う事です。

晩年まで続ければ、一生出来なくなります。


私の場合は、それとは逆でした。

とても気分が良くないとき。

誰かに八つ当たりしたいと思っていたときでした。

道を歩いていて、すれ違う人と衝突しました。

「あ、大丈夫ですか?」

無意識に言っておりました。そっと手で支えていました。

え? いま俺何をした?

と驚くくらい、自覚がありませんでした。

そのとき始めて知ったのですが、

自分には「これ以外出来ない」と言う事です。

ずっと、型どおりの偽善を続けてきた成果です。

道徳なんて信じていませんでしたし、自分に思いやりがあるとは思いませんでした。

しかし、意識しても、無意識であっても、他人に害を与えられないんです。

「ん~。これって結果的に善人? まじか! 俺、すげー。」

と思いました。

それからは、「道徳」についてちゃんと学ぼうとしました。

つまり、「道徳」とはある種の型であり、

その通りにするだけで自分が矯正されていくと言う事。

脳の仕組みを利用した賢いアプローチだったんです。

それどころか、それに反すると、大変な事になると言う事。

二度と道徳どおりに行動できなく成ります。

たまにやるとか、やったほうがいいとか、そういう次元じゃありません。

やるしかないという物だったんです。


私たちは善悪や、道徳、常識などで議論をしますよね?

しかし頭で考えても無駄だと言う事です。

普段やってない人は、どんなに大事なときでも本当に出来ません。

普段から続けている人は、

どんなに虫の居所が悪くても、何時の間にか道徳的に行動しています。

ほとんど無意識です。


私たちは錯覚をしています。

謝ったり、謝らなかったり、時と場合で選べると思っているんです。

実際は謝っている人は、どんなときでも謝っており、

謝っていない人は、どんなときでも謝っていないんです。

いつもそうであるのに、

「こんな人に謝る価値なんて無いよね。」

とか、特別な理由があるように思いこんでいます。

しかし実際は、心から相手を愛し、相手を見直して、尊敬の念を抱いても、

出来ないんですよ。


先ほどの知り合いの別の話です。

あるとき、

「あ、xxある?」

と聞いたら、

「あるわけねーだろ、バカ」

と返された事があります。


別に喧嘩をしていたわけではありません。

和やかな雰囲気で、彼女は機嫌よく仕事をしていました。

まあ、そこから大喧嘩になったんですが、

一番驚いたのは彼女の方でした。

彼女は泣きながら、言い訳をします。

「今回は絶対喧嘩をしないって決めて、色々考えたんだ。

 色々あんたのことを思いやってたんだ。

 いいじゃない、バカって言うくらい。

 なんで許してくれないの。」

これには本当に呆れました。

「そんな風に自分の脳が変質してしまう前に、

 どうして謙虚な心を取り戻さなかったんだ。

 もう、その年じゃ手遅れだろう。

 人を恨んで生きて、仕返しとばかりに、人を馬鹿にして生きているからだ。

 それが健康にいいはずがない。」

言葉にはしませんでしたが、私はこう思いましたよ。


それからは良く注意して、他人を見ています。

謝っているシーンを一度も見たことが無い人が、沢山います。

本人はそんな事はないと思っているでしょう。

実は、もう手遅れだと言う事です。

自覚症状が出るのは、晩年になってからでしょう。

八つ当たりや、仕返し、恨み言、罵詈雑言。

これらは一回も出来ない人と、何度でも出来る人に分かれます。

一回でも出来ると、もう手遅れだと思います。


40歳を過ぎて寝小便をした人がいたとしましょう。

「あれ? 体調でも悪かった?」

「うん。時々あるんだよね。」

「え? 時々? ちょっと、時々は多すぎでしょ。」

「なんでよ? 人間誰だってあるでしょ?」

「いや、俺、体調悪いってときでも一回も無いよ?」

「嘘だあ。普通はあるよね?」

「いやいやいや。

 あれ、そういえば俺、ワザとやろうとしても出来ないや。」

「嘘だ。それは盛りすぎ。聖人じゃないんだから。

 誰だって油断したら寝小便くらいするでしょ。」

「油断って・・・。あんた我慢してるのか?」

「え? 我慢しないの?」

こんな会話があったとしましょう。

可笑しいでしょ?


で、寝小便が一回でも出来たら、自分の人生では驚きでしょう?

同じように、自分が悪いのに謝らないという体験をしたことがありますか?

実は一回も出来ない人が多いんです。

質問者さんは、謝らない奥さんに謝らせようと考えています。

しかし本当は、そういう生易しい次元じゃ無いんじゃないでしょうか。


プロ歌手が音程をはずして歌えないのと同じように、

どんなコンディションであろうと、他人に頭を下げれない。

そういう達人なんじゃないでしょうか?


そういう人を相手にしているんです。

気をもんでも無駄ですよ。

毎日休まず積み上げてきたわけです。

練習は自分を裏切りません。


スポーツや勉強、仕事や趣味だけに積み上げがあるわけじゃありませんよ。

脳は道徳とスキルの違いを区別しません。

40年欠かさず歌のレッスンをし続けた歌い手と同じくらい、

手ごわいと言う事です。

いま思いついて、対策したとしても、

「そんな付け焼刃通用すると思っているの?

 私が何十年も積み上げてきたかわかってるのかな?」

「いや、知ってたら結婚してません。ごめんなさい。」

と言う事でしょう。


罪に罰があるとしたら、

これこそ究極の自業自得です。

そして、周囲の人がどんなに同情しても、元には戻らないんです。

まだまだ長く生きる人は、嘘だと思っても、偽善だと思っても、道徳的に行動して欲しいですね。

最後がこうなるなんて、人生の終わりで気がついたら最悪ですよ。


脳と言うのは意外とイイカゲンで、

何でも覚えてしまうんです。

良い行いをしないから、良い人間になれないのではなくて、

良い行いをしないという状態を脳が学習してしまい、

良い行いをしようとする自分を、自分の無意識が阻止するわけです。

これを回避するためには、本音がどうであろうと、良い行いをするしかありません。

そうやって生き続けていれば、

本音がどうであろうと、良い行いしか出来ない自分に成るという事です。

孔子は70歳になって、やっとそうなったと言っています。

若くして、人に謝れないという域に達しているならば、

孔子を遥かに凌駕する逆聖人ですよ。

聖人が富士山だとすると、日本海溝みたいな人ですね。

私はマイナス・スーパーマンと読んでいます。


そう言う人に、ご主人がかなうとは思えません。

仏教の禅では、「自分の蒔いた種を自分で刈り取らない人」は入門させないそうです。

「いやいやいや、それも出来ない人、僕らじゃ救えないっす。」

なので、ワルイことをしたのに謝らない人は、

仏陀やキリストでも実は救えないんです。

彼らは、懺悔をしに来た人をギリギリ救えるのであって、

それ以前の人には聖人パワーが足りず及ばないんです。


仏陀がエベレストであっても、

日本海溝最深部くらいの人が沢山いますよ。

たった一人で、軽く飲み込んでしまうでしょう。


以上、ご参考になれば。
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