プロが教えるわが家の防犯対策術!

モラルハザードという言葉をよく聞くようになったのは10年位前からでしょうか。実はこの言葉の日本語訳について、ずっと気になっていました。

以前は、保険や経済学の専門用語として、「道徳的危険」と訳されていました。
もちろん、モラルハザードの概念には、意図的な不正により生じる危険が含まれますので、その限りでは的確な訳なのでしょう。しかし、それだけではなく、単なる不注意による危険もモラルハザードですから、もっと適切な訳があるはずだと思っていました。
英和辞典には、moralの訳に「精神的な」というのが載っているのですが、「精神的危険」ではいかがでしょうか。(「physical hazard」は「物的危険」と訳されていますので、こうすれば、訳語だけを見ても、これらが対になることが一目瞭然です。)

次に、モラルハザードの訳で最近よく使われている「倫理の欠如」についてです。
これでは原語と訳語の間に全く対応がありませんし、意味も全く異なると思います。
つい、「誤訳だ!」と言ってしまいたくなるのですが、高名な先生方も使用されていますし、この訳が広まった背景には、何らかの正当性があったのでしょうか。
それとも、私の理解が的外れなのでこのような疑問が生じるのでしょうか。

以上の2点について御教示をお願いします。

蛇足ですが、モラルハザードを「モラールハザード」と書いている人がいました。
士気が低下するために生じる危険、と解釈されたのでしょう。

A 回答 (3件)

すでにご存知のことと思いますが、morale hazard という言葉も「モラルハザード」と表現されることが多いので、ますます訳が分かりませんね。


私事ですが、昔(バブル以前)この専門用語としての「モラルハザード」というのは、ほとんどの場合このmorale hazardのことだったように記憶しているのですが・・・

以上、さらに蛇足を加えるような回答ですみません。

参考URL:http://www.oita-nhs.ac.jp/~risk_term/b-insur.html
    • good
    • 1
この回答へのお礼

"morale hazard"という言葉が本当にあるとは、全く考えても見ませんでした。
御指摘ありがとうございました。

お礼日時:2003/09/02 23:58

モラルハザードの意味としては、甘やかすと自己規律が育たないという事と、自己規律の欠如した人が増える事の危険性という事だと思いますが、訳として「道徳的危険」「精神的危険」は未来に対しての警告の意味があり、「倫理の欠如」は起こってしまった事を単純に表現したという事だと思います。


日本人は危機管理が苦手で、結果から方向修正する事を好むので、「倫理の欠如」の方が好まれそうな気がします。

moral 道徳、ethical 倫理ですが、前者は個人の善悪、後者は社会的な善悪に焦点があるように思います。倫理と置き換えた方は、政治や行政への不信感が大きいのかなと思ったりもします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をいただきありがとうございました。

私は、「倫理の欠如」という訳は、きわめて不自然であり、かつ誤解を招きやすいと、現時点で考えております。

お礼日時:2003/09/02 23:48

■訳語がしっくり来ないということですので英英辞典にあたることに致しましょう!(以下 Oxford Advanced Learner's Dictionary の定義です)


hazard (n):
"a thing that can be dangerous or cause damage"
moral (adj):
"concerned with principles of right and wrong behaviour"
■モラルハザードの語義は感覚的には理解されている通りなのでしょうが、『無理に当てはめた訳語が不完全だといっても仕方がない』ように思います。
■「危険」という言葉は抽象概念をイメージさせますが、上のhazardの定義の通り、英単語としての概念は具体的な「事象="a thing"」なのですから、既にここにギャップが生じています。"moral"を「道徳的」と訳しているのも他にしっくりくる言い方がないからでしょうが、上の"moral"の原義を理解すれば"moral hazard"という言葉の原義は、goetheさんにはよりハッキリと理解できるのではないでしょうか?
■回答になっていないようで恐縮ですが、moral hazardという言葉の適切な訳語を探す努力には意味がないように思います。収まりの良い日本語の組合せにならないのなら、原義を確認された上でひとかたまりの連語として「道徳的危険」とお使いになればよいのではないでしょうか?
■脱線しますが、役所がカタカナ語廃止などをスローガンにし始めておりますけれど、ある程度は妥当だと思いますが、その外国語を示す短い言い回しは不可能な場合も多いのです。『何でも一意対応の適切な訳語が在る筈』という考え方はしない方が良いのかもしれません。
■明治期以降にたくさんの翻訳語が生まれております。例えば"society"は「社会」と言う風に...。でも我々の国語にあった「浮き世」「世間」ではしっくりこなかったからそうなったのであって「訳語とは決め事」なのだと理解した方がよいと思います。従って「道徳的危険」を再度分解して解釈するのは無意味なことでしょう。
■同じことはこれを「倫理の欠如」と訳したケースにも言えますね!この訳語を充てたヒトはこの連語が"moral hazard"の概念を最も良く表していると考えたのでしょうし、仰るような「言語と訳語の間の対応」という観点には意味がないでしょう。個人的にはこちらの方が「(概念をより分かりやすく表現しているという点で)出来が良い」と思います。「誤訳」などとは思いませんが。
■英語が原語であるならば、その概念の解釈は英語の世界でしかできないものだと思います。英和辞典を典拠に「精神的」とすることにはやはり意味がないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速回答をいただきありがとうございました。

NO.3の参考リンクや下記を読んでみましても、私は、「倫理の欠如」では、モラルハザードの意味が伝わりにくいと考えます。
http://www.sipeb.aoyama.ac.jp/~kse-home/topics/m …

お礼日時:2003/09/02 23:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!