プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は、現在製造系のエンジニアとして働いている者です。
 早速ですが、仕事がら物事を論理的に考える際に必ず「本質とは」という言葉を用いて話す方々がいるため、業務上の迅速かつ深い推敲に必要であるその定義について明確にしておきたいと考えています。

また、”本質”と”根本原因”の違いについてもご教授できる方がいれば、ご教授いただければ幸いです。

 個人的見解でもよいので、その定義について多くの方からご指導頂ければ幸いです。

下記は、この疑問を考え始めた背景です。

=======================

 本質の定義とは何なのだろうと考えています。私なりには、まだ若い(30歳未満)ため「そのものが、そのものであるための不可欠な因子である」という漠然とした(かつ、正しいかどうかという事すらもあいまいな)回答ぐらいしかできません。けれど、「そのものがそのものであるということ”全体”が本質であるかもしれないな」などとも考えています(この”全体”というのは間違いかな?とも思えてきています)。

 「この問題の”本質”とは・・・」という言葉を、「この問題の”根本原因”とは・・・」に置き換えても言葉の意味が通じることもあります。製造業として不具合を未然に防止するためには、”根本原因”を改善することが必要です。もちろん、もろもろの事情により”応急処置”を行うことも必要でしょうし、”放置”や”現状監視”などの措置も必要です。

 けれど、ここで、”根本原因”と”本質”という言葉の定義が分からず、困っています。使い分ける方もウェブサーフィンをするだけでもそれなりの人数の方がいるため、それらがどのように異なるのかを明確にすることによって、より内容の把握や分析を迅速にし、かつ、深めたいと考えています。

A 回答 (23件中1~10件)

こんにちは。


私個人の使い分けでいいですか。

(1)「物事の本質を知ってこそ言える事」
 「物事の根本的原因を知ってこそ言える事」
(2)「そもそもこのシステムの本質は・・・」
 「そもそもこのシステムの根本的原因は・・・」

ニュアンスと使い方が違いますよね。
直すと(一例)↓
(1)「物事の本質を知ってこそ言える事」
 「物事にある不具合の
  根本的原因を知ってこそ言える事」
(2)「そもそもこのシステムの本質は・・・」
 「そもそもこのシステムのミスの根本的原因は・・・」

例えばお客様とシステム等の提案で折衝するときに、
「本質」という言葉を良く使います。
お客様がどういうものを求めているのか、
それに対してこちらから提供できるのはどの様なものが
可能なのか、それを明確にしたいからです。

一方、稼動し始めて色々不具合が出てくると
言い訳(?)に「本質」とともに
「根本的原因」という言葉が良く出てきますね・・・。
こんな感じです。
「本来こちら側では~機能を本質としたものとして
 設計していましたが、今回の不具合の根本的原因
 としては現行の運用での~が挙げられます」等。

漠然としていますが、使い分けのニュアンスは
分かっていただけましたでしょうか?
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。

 Kaiuさんの話しを要約すると、「”本質”と”根本的原因”は本質(?)的には同じ因子であるけれども、”本質”は(要求仕様などの)肯定的に使用し、”根本的原因”は(不具合などの)否定的な内容に用いる」ということでよろしいのでしょうか?なるほど、そういうニュアンス的違いであるとも考えられますね。貴重なご意見ありがとうございます。

 また、”本質”(または、”根本的原因”)の定義についてもご解答いただければ幸いです。また、大勢の方からのさまざまな意見もまだまだお待ちしています。

お礼日時:2005/01/22 21:24

養老孟司さんの「唯脳論」からのヒントを得ての回答ですが


「機能」と「構造」の違いではないかと想います。


例えば「自動車」という構造は「走る」という機能を生みます。

「この問題の”本質”とは・・・」という場合は、
「走り」という【機能】が問われていて、

その根本原因を考察する為には、
「自動車」という【構造】に帰結するのだと想います。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。

 なるほど、「本質=機能」であり「根本原因=構造」であるということですね。 では、「”本質”は、”根本原因”によって構成され、かつ、実現されている」ということになりますね。

 これは、私が述べていた、【「そのものがそのものであるということ”全体”が本質であるかもしれないな」などとも考えています(この”全体”というのは間違いかな?とも思えてきています)。】という「”全体”=”本質”」ことが正しいということになるのでしょうか?では、全体の中の特定の一部が本質である。即ち、「”全体”∋”本質”」ということは、間違いであるということですか?

 昔、「人が人であるための本質は、言葉を話すことである」ということを言った教授(?)がテレビに出ていました。でも、その後、他の動物(サル?)にも会話(複数の発音の組み合わせで成り立つ複合語による意思の疎通?)することが出来るということが証明され、人間の定義があいまいになった」と聞いたような気がします。

 これを基にすると、本質については「”人が人である本質”∋”言葉を話す”」ということになり、”言葉を話す”ことが、即人間であるということにはならないという事ですよね。確かにSyo-yaさんの説明はつながりますね。

 けれど、根本原因については「”人が人である根本原因”=”言葉を話す”」となりますか?”根本原因”というより”因子”と読み替えたほうが良いのでしょうか?確かに、”根本原因”を”因子”と読み替えることは出来る(等価であり得る)かもしれませんね。

 この方向での検討は、もう少し皆さんの意見も聞いてみたいですね。

お礼日時:2005/01/22 22:33

うーん 



例えば地震が起こって

Aさんはそれ以降寝込んでしまい、一日中ベッドで過ごす状態になってしまった。

Bさんは数日寝込んだが、その後は炊き出しボランティアに参加して他の被災者を支援した。

Aさんの症状を医者は見てうつ病と診断した。
Aさんが寝込んだ本質は地震という誘因が起爆剤となりうつ病の状態になったこと。
でも、これが根本原因ではない。
なぜならBさんは同じ状態(家を失い家族が骨折で入院してしまった)になりながらうつ病にならなかったから。

では根本原因は何かというと、性格とDNA。
それが地震によって誘発され表に出た。



またこんな実例も聞いたことがあります。

ツアーコンダクターが顧客から「わたしは何度もフランスに来たことがあるから、今更エッフェル塔には登らなくてもいいわよね?」と聞かれた。

ツアーコンダクターは顧客がエッフェル塔を見飽きたからもういいと言っていると受け取って「そうですね。登らなくてもいいですよ」と答えた。

帰国後この顧客からすごいクレームが来たそうだ。
「ツアーコンダクターの人が登らなくてもいいと言ったので登れなかった」というクレームだったそうだ。

この顧客のあの言葉の本質は<自慢したかったのにそれとは違う答えが返ってきてジレンマに陥ったこと>。
ツアーコンダクターは「ええ? もう何度もフランスに来ているんですか すごいですね」と言って欲しかったのだ。
ところが期待した誉め言葉は返ってこなかった。
エッフェル塔に登らなかったことに不満があったのではない。
ところが旅行社はその顧客のクレームの本質がわからず顧客と食い違う会話に終始することになった。
(別の人が家まで言って話し合ってやっと本質が見えたそうです)

で、このトラブルの根本原因は顧客の裏の言葉(本質)をコンダクターに読めなかったこと。
(普通は読めないですよね こんな変化球)
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
要約すると以下のようになりますね。

【1】地震によるうつ病の本質と根本原因
(1)「”Aさんが寝込んだ(うつ病になった)本質”=”地震”」
(2)「”Aさんが寝込んだ(うつ病になった)根本原因”≠”地震”」
何故ならば、人(Bさん)によっては、寝込まなかった(うつ病にならなかった)からである。

(3)「寝込む(うつ病になる)”根本原因”=”性格とDNA”」
何故ならば、”寝込む(うつ病になる)人”と”寝込まなかった(うつ病にならなかった)人”を明確に分別できるからである。
それが地震によって誘発され表に出た。


【上記からの”本質”と”根本原因”の定義(暫定)】
「”根本原因”は絶対条件である」
「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」

これを以下の”【2】”に当てはめて検証します。

【2】トラブルの本質と根本原因
(1)「”この顧客のあの言葉の本質”=”自慢したかったのにそれとは違う答えが返ってきてジレンマに陥ったこと”」
※ここで「あの言葉」とは、「「わたしは何度もフランスに来たことがあるから、今更エッフェル塔には登らなくてもいいわよね?」」ですか?それとも、
「すごいクレーム」ですか?等号がつながりませんが、私の考え違いでしょうか?

(2)「旅行社はその顧客のクレームの本質がわからず顧客と食い違う会話に終始することになった。」
※ここで、「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」ということでしょうか?この文章では「クレームの根本原因」としたほうが良いのではないのでしょうか?

(3)「”このトラブルの根本原因”=”顧客の裏の言葉(本質)をコンダクターに読めなかったこと”」
※ここで、「”根本原因”は絶対条件である」ということでしょうか?確かに、ここは”【1】”の”根本原因”の定義に当てはまりますね。

上記”【1】”・”【2】”を基に、考察してみると上手く整理が付きません。理解力が無くてすみません。。。
できれば、再度上記について補足をしていただけないでしょうか?お手数ですが、よろしくお願い致します。

お礼日時:2005/01/22 23:24

No.1のものです。


すみません、例ばかりで要約までして頂いて、
お手数でした・・・。

言葉の定義についてはこう考えています。
本質・・・物事の核を成すもの、
    それ無しでは「物事」は有り得ない。
    基本よりもさらに強い意味
根本的原因については、本質に含有されると思います。
なぜなら、本質、根本がほぼ同義の意味であると
思うからです。
よって、本質的な原因≒根本的原因であるとも
思っています。
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この回答へのお礼

再度ご返答を頂きありがとうございます。

 上記を自動車を例にとって見ますと、
「自動車の目的は走ること」ですね。(ただし、自動車関係者に聞くと、そんな単純なものではない!と起こられるかもしれませんが。。。)また、先ほど別の方に「自動車の本質は走ること」であるとご説明いただきました。これはKaiuさんの説明にも当てはまりそうですね。
 では、現在の自動車には、走るための機能以外にも車高制御やエアバッグやエアコンや排気ガスの抑制や装飾などいろいろな付属物がありますね。
 これらは、本質(走ること)とは基本的に離れています。(もちろん、幅を広げて、「本質」=「乗組員と環境に優しく、かつ、快適に移動する。」ということになるとうまくいくと思いきや、「ではそれらが付いていない低価格車は、自動車ではないのか?」ということになります。これは難しい。

 やはり、「自動車の本質は走ること」で良いという事ですか?または、複数の自動車の共通項目を取ればよいのでしょうか?これがより複雑になると意外と現実でも起こりうる解釈の違いになりますね。本質といっても人によって捕らえ方が異なるという事になるのでしょうか?本質が人によって異なるなど有り得ない気もしますが、有り得るからこそ定義が必要なのか?

 ですが、こうしてみると「本質」とは、私の最初の所感と異なり、「全体を抱合させている大局的視点」なのかもしれませんね。ただし、これでは、Kaiuさんの意見である「物事の核を成すもの」がイコール「全体」となります。
矛盾ですね。。。

 Kaiuさんの話には一貫性があるのですが、今が夜中なので私の思考回路が回ってないかもしれませんね。。。
けれど、「全体(本質1)から切り落としてよい要素を切り捨てれば核(本質2)になる」ということであれば、「切り落としても本質を損なわない要素とはいったい何なのでしょうか?」

 これを基にして、例えば、Microsoft社のExcelの本質とは何なのでしょうか?

 今までの皆さんの意見により内容が深まりつつも、方向性が見えてきたように思えますね。あと一歩で皆さんとゴール出来るかな、といった感じですね。

お礼日時:2005/01/23 02:04

No.3です。



>「”根本原因”は絶対条件である」
>「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」

そう分類すると私自身も自分の書いていることがわかりやすいです ^^;
はい、本質は絶対条件(材料)ではないです。
が、触媒的? うーん ちょっとニュアンスが違うかも。
すいません 私文系なので、理系の人?にうまく伝えられるかな?


本質を<なりやすい性質>って書けばよかったかもしれません。
Aさんはなりやすい性質だった。
性質=根本原因じゃないの?ってなりそうですが、ちょっと違う。
一卵性双生児は同じ遺伝子だけど、親からうつ病の因子を受け継いでいたとして、必ずしも片方が発病したからもう片方も発病するとは限らない。(確立は他の兄弟に比べて高くなりますが)
なぜならうつ病には他の材料も必要だから。
その材料はなにかというと性格(性質)。
その性格はDNA以外環境も影響して構成される。
そのほかに必須なのは誘因。(誘因=触媒かな?)




>ここで「あの言葉」とは、「「わたしは何度もフランスに来たことがあるから、今更エッフェル塔には登らなくてもいいわよね?」」ですか?

はい そうです。


>「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」ということでしょうか?この文章では「クレームの根本原因」としたほうが良いのではないのでしょうか?

いえ、触媒とは違います。
クレームの根本原因は「ツアーコンダクターが顧客の本意を汲み取れず、言葉通りの解釈をしてその返答をしてしまったこと」です。
(本音を言わなかった顧客に落ち度があり、これが根本原因のように思えます。 しかし日本人はダイレクトな表現をしないというコミュニケーション形態なので、顧客の今回の遠まわしの言い方は不適切とは言えない)

さらに旅行会社も言葉の裏に隠された心理がわからなかったので、どうして希望通りにしたのにこんなに文句を言うのか理解できなかったのです。


以上のことから 本質とは性質のことで、この性質は単体で働くこともあれば、触媒が必要なこともある。
根本原因はそれが無ければ起こりえない って事じゃないかと。

例えば宇宙は無からできたって事になると根本原因は無 つまり何も無い状態から有が生まれたってなって、それはありえない。
何かしら有なるものがあったはずだ。となる。
地球は稀なる生物が生存できる環境になる性質(本質)があり、環境がそろったので発芽して生命が生まれて、どんどん進化していったもしかしたらこの世で一個だけの偶然が天文学的分の1の確立でヒットした星なのかもしれない。


すいません 文系なので、このように長ったらしい説明になってしまいました。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

 私は、とりあえず大学入学以来理系人間です。
仕事柄でも理系(製造業の開発職)です。
けれど、最近は会議が多くなって仕様決めや仕様理解中心になり、開発は任せっ放しになっていますが。。。

 ここで、ひとつ質問なのですが、本質と根本原因に包含関係は有りますか?今まで、他の2名の方々は包含関係を持った内容で関連付けていますが、Kigurumiさんは互いに背反する独立事象として扱っているように思えます。これについて、ご回答願えますか?

お手数ですがよろしくお願いいたします。

お礼日時:2005/01/23 08:40

おはようございます。


No.1のものです。
何度も回答に出てくるのは始めてなのですが、
考え始めると私も止まらない性質なので
また書かせていただきます・・・。

また開発の例を取りますが、
他システムと同期を取る、という機能を本質とした
システムを作ったとします。
要件定義の段階で詰めていたもののボリュームが、
作り始めると結構大きくてコストが
思った以上かかり、マスタ管理の一部を削ったとしても
そんなものはこのシステムの本質から外れるので
CSVでやってください、と言えました。
システム作りにおいて「本質」は
人が決めなければならないのです。
それが作業上不可欠な事だからです。

>本質といっても人によって捕らえ方が
>異なるという事になるのでしょうか?
>本質が人によって異なるなど
>有り得ない気もしますが

異なると思います。
なぜなら、物事の本質を「人」が定義するからです。
また、携帯電話の本質とは?と聞かれると
「持ち運びの出来る電話だ」、「いや、メールだ」
「両方だ」と分かれるかもしれません。
仰っていたように車然り、
Microsoft社のExcel然りです。
本質を知るにはそれを作った人に聞くのが一番です。
それまでは人間は本質を見誤ってるのかも知れません。
人は物事の一部だけ切り取って、
物事の全体であれ、局所的にであれ、
頭の中で勝手に定義するだけですから。

この回答への補足

【【【解答欄が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】

 ここで、Kaiuさんの考えをまとめると、「”全体”や”部分”によって本質が構成される。」となりますが、では、「本質を構成する個々の因子とは何なのか?」についても考えていただけないでしょうか?

 上記を基にすると、私が【”根本原因”とは不変のものである】と”あくまでも仮に”定義するとして、Kaiuさんの意見は、【”本質”とは、人が「物事の一部だけ切り取って、物事の全体であれ、局所的にであれ、頭の中で勝手に定義する」ものである】(ここで、【”物事”とは”根本原因”の1つ以上の要素集合に相当する】)という意見にまとめてもよろしいでしょうか?

 けれども、以前のKaiuさんの”根本原因”に対する定義は、【「根本的原因については、本質に含有されると思います。なぜなら、本質、根本がほぼ同義の意味であると思うからです。よって、本質的な原因≒根本的原因であるとも思っています。」】とありますが、この意見は今でも真ということになるのでしょうか?

 以上、ご解答のほどをよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/01/23 09:51
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この回答へのお礼

度々お世話になります。

 「それを実現する方法が異なっても結果的に機能を実現するのであれば方法は問わない。」とソニーの上層部の方がビジネス誌か何かの媒体で述べているのを見たことがあります。機能を本質とすると、方法を問わないでも実現する機能を”本質”、問われる個々の方法を”根本原因”と定義すると良いのでしょうか?

>なぜなら、物事の本質を「人」が定義するからです。

 確かに、本質とは、人によって異なるものであるからこそ、討論(ディベート)などでも、最初に用語の定義から入るのかもしれませんね。

 ※Kaiuさんも情報系かと存じますので、情報系の用語で補足しますと、「オブジェクト指向によるオブジェクトというものの切り分け方も、人によって切り分け方が異なる」ということもありますし。。。

>本質を知るにはそれを作った人に聞くのが一番です。
>それまでは人間は本質を見誤ってるのかも知れません。

 それを作った人もそうですし、それが運用されている最中でも本質というものが指している内容が、ユーザや後の開発担当者などによって、時とともに次第に変化しているかもしれませんね。案外、当初発明した方も思いもしなかったことが起こるというのもそれに付随するのかも知れません。(意見が異なるのであれば、是非ともご連絡ください。)

お礼日時:2005/01/23 09:51

No.3です。



やっぱり理系の方でしたか。 笑

> ここで、ひとつ質問なのですが、本質と根本原因に包含関係は有りますか?

あ、あると思います。
本質をどう定義するかで根本原因の答えが変わります。
だから本質の定義を誤ると、それに付随する根本原因をいくら考えても、全然問題解決しません。


>Kigurumiさんは互いに背反する独立事象として扱っているように思えます。これについて、ご回答願えますか?

背反する?えっと説明の仕方が悪いのかもしれない。

『エッフェル塔に登れなかったぞ どうしてくれるんだ事件』

このクレームの本質は<エッフェル塔に登れなかった>ではない。
このクレームの本質は<まあ フランスに何度も来ていらっしゃるのですか。フランスにお詳しいのでしょう。普通の人は何度もフランスに来ることはできないので、うらやましい限りです」と言って欲しかった ってこと。

ところがツアコンの答えは「じゃあ 登らなくてもいいですよ」で、当然ほめことばをもらうと思っていた奥様は、プシューってなってしまった。

さらにツアコンだけじゃなくて旅行会社も問題の本質を見誤って、怒りを増幅させた。

ツアコンや旅行会社の見ている本質と顧客が見る本質(この場合隠れていた)が違うから起こったトラブル。

ここで本当の本質は何かと旅行会社のお偉いさんはチャレンジャー精神で本拠地に乗り込み、話をした結果、経験があるので、「もしやこの本質は・・・」って「奥様それにしてもフランスに何度も行ったことがあるなんてすごいですね」と言ってみた。
ビンゴ! 本質ゲット。
「まあ そうなんですよ、ええ、ええ ぺらぺらぺら おほほほほ」
後はクレームの本質がわかったので、経験からどう対応すればいいかわかっているので、根本原因にのっとって、遠まわしの誉め殺し作戦。
解決~。




他の例でいうと「人間の本質」って書くと漠然としたいろんな答えが返ってくる。
質問者は的を得た答えがいつまでも返ってこない。
あまりにも広範囲でそれぞれのイメージが千差万別だから(根本原因)

では「人間の本質は悪である」と書くと、だいぶ絞られてくる。
質問者は本丸にちょっと近づいた感触を覚える。

「では 人間の本質は悪だと定義すれば、その根本原因は何だと思いますか?」

またいろんな答えが返ってくる。
さらに本質と定義するものに修飾語や補足の言葉をくっつけると、だんだん絞られた答えがかえってくる。


このように本質を何と定義するかで、それを構成するパーツの根本原因が違ってくる。

と考えてみました。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

>本質をどう定義するかで根本原因の答えが変わります。
>だから本質の定義を誤ると、それに付随する根本原因をいくら考えても、全然問題解決しません。

>さらに本質と定義するものに修飾語や補足の言葉をくっつけると、だんだん絞られた答えがかえってくる。

>本質を何と定義するかで、それを構成するパーツの根本原因が違ってくる。

という事は、kigurumiさんの中の本質と根本原因の関係は、「”本質”∋”根本原因”」ということですね。また、「”本質”は定義するものである」という事ですね。なるほど、ご回答ありがとうございます。

 本日TOEICテストを受けてきてまして、返答が遅れてすみませんでした。今見ると、#10までたまっているようですので、早速理解して回答できたらと思っています。これらの回答に対しても追々ご意見がありましたら追加していただければ幸いです。

お礼日時:2005/01/23 22:15

度々、お世話になります。


No.1の者です。

>本質を構成する個々の因子とは何なのか?
(1)作る側から定義する真の本質とは、
 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
 人は必ず目的をもって物を作ります。
(2)一方、それを使うほう、
 局所的にしか物事を認識していない人間からしても、
 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
 しかし、その「人」の経験や記憶や嗜好から、
 本質は構成されると思います。
 モノ以外の物(人為的に作られた物でないもの)も
 この範疇に入ると思います。

>「根本的原因については、本質に含有されると
>思います。
>なぜなら、本質、根本が
>ほぼ同義の意味であると思うからです。
>よって、本質的な原因≒根本的原因である
>とも思っています。」
真です。本質(根本)無しに原因はありえません。
原因に関しては不変のものと思います。
本質の定義がこれまで書いたように多少曖昧だろうと、
「物事を成している何らかの要素」を含んでいると
考えているからです。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

 そうですね。車を作る側から定義する真の本質とは「車の本質が走ること」であり、かつ、車は走るもの(「車の目的が走ること」)であるからこそ、車を作るのですよね。
 ここで、作る側はニーズ(要求、需要)があるからこそ作る(供給)のですよね。ということは、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)」となりますね。

>本質的な原因≒根本的原因であるとも思っています。」

 なるほど、Kaiuさんは、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」となりますね。このような考え方でよろしいでしょうか?

>(2)一方、それを使うほう、
> 局所的にしか物事を認識していない人間からしても、
> 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
> しかし、その「人」の経験や記憶や嗜好から、
> 本質は構成されると思います。

 そして、上記のように書かれていますが、これはミクロ的(部分的、局所的)視点の中にも「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」が存在するという事ですね。このような考え方でよろしいでしょうか?

では、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」を構成している要素は何なのでしょうか?これについて、ご解答いただければ幸いです。

お礼日時:2005/01/23 22:38

議論が白熱してるなか恐縮なんですが、ご参考までに、私なりの結論だけ示します。



1)ある概念の「本質」とは、その性質を欠けばもはやその概念にあてはまらなくなるもののこと。つまりは、概念の定義に使われる性質のことだと思います。
たとえば、「自動車」を「走るもの」として定義すれば、たとえ(エンジンやハンドルなど)自動車のパーツがすべてそろっていたとしても、走らなくなった<自動車>はもはや「自動車」ではありません。「走るもの」という性質を欠いたら「自動車」という概念の適用がなくなるのだから、それは「自動車」の「本質」と呼べるでしょう。

2)「根本原因」との差異について、「本質」が時間の流れに対して中立的な存在であるのに対し、「根本原因」は時間的定位を有する存在である、と考えていいのではないでしょうか。
「本質」が概念の定義に使われる性質だとする見地からは、それは観念的、つまりは時間の流れに対して中立的です。
一方「根本原因」は、「原因」というからには、なんらかの事象(ないし出来事)でなければならない。結果よりも前に生起しなければならないということは、それが時間的定位を有することを意味する。いわゆる因果律により、「その根本原因がなかったならこうした結果は生起しなかった」「根本原因がなくなればもはやこうした結果は生じなくなる」という言い方ができる。

さて、いま何らかの原因でPCがうまく動作しなくなったとします。「このPCの不具合」という問題の「根本原因」は、たとえば「(過去に)あるウィルスに感染してしまったこと」で、一方、その問題の「本質」は、ウィルスをやっつけると当座の問題が解消される(つまり「このPCの不具合」という観念の適用がなくなる)という観点から、「(現在)あるウィルスに感染していること」であるといえるでしょう。
両者のちがいは、「根本原因」が過去に生起した出来事を指しているのに対し、「本質」はその出来事以降のPCの状態・性質を指しているという点に尽きるような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>走らなくなった<自動車>はもはや「自動車」ではありません。「走るもの」という性質を欠いたら「自動車」という概念の適用がなくなるのだから、それは「自動車」の「本質」と呼べるでしょう。

うーん。”走らなくなった自動車は自動車ではない”というのであれば、廃棄処分にされた自動車は、何に分類されるのでしょうか?”スクラップ”ですか?こうなると、”かつて自動車だったもの”も自動車なのか、でも溶かされた自動車の鉄は自動車ではないですよね。自動車の形をとどめている限りは故障などで廃棄されていても自動車であると考えたほうが一般的ですね。となると、”自動車の形”も自動車の定義に加えておくべきでしたね。そして、この定義を自動車の本質に加えると、「”走らなく”なって、かつ”自動車の形”を留めていないものは、自動車ではない。」と改善すると、確かに、tascanyさんの言うとおりですね。

>2)「根本原因」との差異について、「本質」が時間の流れに対して中立的な存在であるのに対し、「根本原因」は時間的定位を有する存在である、と考えていいのではないでしょうか。
>「根本原因」は、「原因」というからには、なんらかの事象(ないし出来事)でなければならない。結果よりも前に生起しなければならないということは、

なるほど「時間軸を基にすると、「根本原因」は「結果」よりも相対的に後である。」といえますね。

>、「根本原因」が過去に生起した出来事を指しているのに対し、「本質」はその出来事以降のPCの状態・性質を指しているという点に尽きるような気がします。

 以上を要約すると、下記のようになりますね。


時間軸を基にすると、「根本原因」→「結果」という順に発生している。
(※ここで、【本質】=【「結果」の状態・性質】)


 となると、最初に述べられた、【「本質」が時間の流れに対して中立的な存在】という発言は矛盾ではないでしょうか?
 ここで、Kaiuさんへの回答時(#8)に、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」としましたが、これをtascanyさんに適用すると、tascanyさんの場合は、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=結果(時間軸上では、根本的原因よりも相対的に過去)」となりますね。
 以上について、ご意見がありましたら、ご回答の程をよろしくお願いします。

お礼日時:2005/01/23 23:19

技術・製造系の方なんですよね。

 すると私は時折「万物は流転する」という言葉を思い出します。

物の物性は有効桁数を増やして測ると「同じ物」は無いですよね。 又、(製品)特性を利用すると経時変化が見られて「同じ物」が同じ物では無くなってしまいます。 利用しなければ経時変化はゆっくりなので変化が測り難くなります。 変化一般は「壊れた」という言い方をしますよね。

Aさんが使っているPCの液晶とBさんが使っているPCの液晶はPCの型が同じであれば、「同じ物のはず」ですが実際は「同じ物」ではありません。
実際に組み立てを行う場合でも「同じ部品」でなければ「(期待はずれの)不良品」ができていまうため出来上がった製品はパーです。 実社会では「良品・不良品」という言い方をしますけれども、測定値が決められた範囲内の物を良品と言い、範囲外を不良と言います。
つまり、私が思うに通俗的に「本質」とは同じ特性を要求する人間の側の必要性から生じているのではないかということです。

「同じ」でなければ人間同士で「意思の疎通」が図れません。 「同じでなければならない」理由は人間関係や実社会には色々あって、全ては人間の側の都合に起因するといっても過言ではありません。
「同じである」という前提があって互いの円滑な人間関係が成立します

ところが問題があって「同じ物」は実際には有り得ません。 まさに人間の必要とする範囲でなら、なおさらそうなのです。 誰かが「母親とは・・・」といっても実際は母親の数だけ違う者が存在する。 空気だって「同じ空気」なんて実際はありません。

さてここで問題となっている「現象(事象)」は何でしょう。 人間の側の期待要求にあっていない、ハズレてしまった事が特に「世の中」では問題とされます。

さて、ここで特に私が申し上げたい事は「本質が変化する」ということです。 根本原因を持って解説してみてもニュートン力学でさえ相対性理論によれば「正確では無い」理由が有ります。
結局、人間の側の必要・有効範囲内で本質と原因が語られます。

では「根本原因」とは何でしょう。 通常は問題とする事象の相関関係をみて「納得できる」因果性があります。 これは人間の側の「金額・苦労・努力・危険性」など実に一人一人によってリスク配分が異なるもので負荷が違うというものです。
ところが通俗的に根本原因を語る時は、”必ず”期待過剰、期待ハズレであって
「本質とは変質するもの」
「本質は規定範囲内の条件下で成立する」
という使い方をしている、と思います。
技術屋とそうでない人達との感覚の違いってありますよね。

万物は流転します。 私の意識もいずれ消滅し「同じ」ものは存在し得ません。 一過性の不可塑なものであり「同じ」事を証明できる方法は無いでしょう。

タイムマシンでもできれば別ですが。

この回答への補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】


>さて、ここで特に私が申し上げたい事は「本質が変化する」ということです。 根本原因を持って解説してみてもニュートン力学でさえ相対性理論によれば「正確では無い」理由が有ります。
>結局、人間の側の必要・有効範囲内で本質と原因が語られます。

 なるほど、「本質=”要求する人間の側の必要性”=ニーズ=顧客の要求」とすると、変化は当然ともいえますね。重要なご意見であると思います。

 次に、”根本原因”とは”因果性”があり、かつ、”一人一人によってリスク配分が異なるもので負荷が違うというもの”であり、更には、”通俗的に必ず期待過剰、期待ハズレ”であるもの。これに更に追加するには、下記のような使用をしているもの、ということですね。

>根本原因を語る時は、”必ず”期待過剰、期待ハズレであって
>「本質とは変質するもの」
>「本質は規定範囲内の条件下で成立する」
>という使い方をしている、と思います。

 確かに、そうですね。「規定範囲内での使用をしていなかったことが根本原因である。」というようなことですね。これは、「製造業では多くの技術者に認知されている製造品(結果)を左右する6つの特性主要因(人、材料、機械、方法、計測、環境)の内の”環境”という主要因が根本原因であった」と言えますね。

 ここで、以前に「本質=目的=ニーズ(要求、需要)」としましたが、これに「結果」を加え、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=結果」としても良いのでしょうか?

(※追伸:私は、昔から上記6要因に時間という新要因を加えたいと思っていたのですが、環境に含まれるのでしょうか?)

補足日時:2005/01/24 00:22
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この回答へのお礼

はじめまして。
そして、ご返答ありがとうございます。

 文章の内容を見るに、同業者(製造系技術職)の方ですか?私は、製造系技術職(制御系)なので、文章の端々に馴染みのある経験的事項が多く織り込まれていて、うれしいですね。確かに製造業では(というより、この世に存在するものであれば何でも)バラツキは必出、つらいものですよね。

 欧米では百万個に数個の不良品レベルを目指しながらも、それより桁違いの不良品を出していて、一方の日本は1000万個に数個のレベルを既に実現していると言われていますが。。。業界では、はるかに先輩かもしれない方に、基礎的ウンチクですみません(^^;

 さて、本題に入りますが、バラツキは上限値と下限値に挟まれた間にあれば良品、入っていなければ不良品ですね。そして、この上限値と下限値は、製造業者が定義しますよね。確かに、今までの皆さんの流れの中で出てきた「本質は定義するもの」であるという事にも整合性が取れていますね。

>つまり、私が思うに通俗的に「本質」とは同じ特性を要求する人間の側の必要性から生じているのではないかということです。

 なるほど、即ち、「本質=”要求する人間の側の必要性”=ニーズ(要求、需要)」という事ですね。

>「同じ」でなければ人間同士で「意思の疎通」が図れません。 「同じでなければならない」理由は人間関係や実社会には色々あって、全ては人間の側の都合に起因するといっても過言ではありません。
>「同じである」という前提があって互いの円滑な人間関係が成立します

 なるほど、ここまでをまとめると、【”「本質」が同じである事”という前提によって、”意思の疎通”や”円滑な人間関係”が可能である。】ということですね。
これは、また別の議題(論点)のようですが、本質についての議題にメドが付いた際には、新たな議題にしたいですね。

【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

お礼日時:2005/01/24 00:21

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