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こんばんわ!さいきん、哲学に興味を持ち始めました!!そこで、とても気になることが出てきてしまって、有名な言葉「我思うゆえに我あり」この言葉は、例えば、自分が何を将来やって良いのか分からなくなってしまった時など、自分の好きな事、何をしている時一番幸せか?など疑って、疑っていくことで真実が分かるということには、当てはまりますか??
ちょっと、意味が違うのでしょうか??

A 回答 (3件)

物事の存在について疑義があって、


あれは、夢・幻で現実の存在ではないのではないかなどと疑念を抱いた時に、
考えられる全ての存在がたとえ実在でないとしても、
そのような物事を実在か実在でないか考えている私の存在は疑いようがない。
そういうことから、
「我思うゆえに我あり」
という結論に達します。
なので、質問文のような場合にはちょっとあてはまらないのではないかと思います。
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 デカルトの「我思うゆえに我あり」は、「確かに実在するものは何か」と疑って疑った結果、疑うということをしている自分だけは確かにある、という考えを言ったものです。


 なので、mikann-さんのいっていることと同じかといえばちょっと違うなとは思います。
 mikann-さんが解釈したような「人間(自分)とはどのような存在(であるべき)か」といった問いはキェルケゴール以降の実存哲学にあてはまるのではないかと思います。他にはサルトルやヤスパース、実存哲学とは若干ズレますが、有名どころでは、ニーチェやハイデガーなども関わってくるかと思います。
 哲学に興味を持ち始められたのであれば、まずは哲学の入門の本を読んでみてはいかがでしょうか。デカルトにしても日本の学者の書いた新書などの入門本ならわかりやすく書いてあるかと思います。・。
 余計なことながら、ここで質問するだけでは限界があるなと思い、このようなことを書かせていただきました。失礼しました。正直、哲学をちゃんと学ぶ最初の場であろう大学の授業よりも、入門本の方がいいかもといえるくらいですので・・・。
 
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まったくあてはまらないわけではないんだけど、この言葉自体はそういうことも含め物事を判断するための根拠として、理性のよりどころとしての確かなものが


つまり自分がいままさに考えている、その自分の存在である、ということです。
当時はヨーロッパ、特にドイツは戦乱の時代で、価値観も生活も宗教もすべてが混乱をきわめていました。
であればこそ元傭兵のルネ君はこれこそ確かなもの、というのをもとめたんだと思います。
そっからあとは「方法序説」読んでください。
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