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哲学とは、社会、個人にとって根本的な規範。
思想とは、その哲学を基盤として思索された、まとまりのある見解。
今、このように理解しています。

民族の歴史は、国家権力によって、哲学も思想も宗教も強制的に押し
付けられてきたといえるでしょう。
太平洋戦争の後、まがりなりにも民主国家となった日本は、皮肉にも
アメリカによって、強制的に欧米化されてしまい、日本人は実は民族
として国家としての、哲学(魂と言っていいと思う)を見失い、今日に
至っているといって過言ではないと思います。

しかし、社会も個人も、哲学、思想がなければ、無軌道な生き方にな
らざるを得ないものだと思います。だから、人々はこれを求め、取り
入れていると思います。
意識していないために、何かあるとすぐ変わってしまうものが多く、
それが現代の特徴と言えるでしょう。

さて、質問ですが、

1.この私の思考を、どのように思われますか?

2.前回の質問と重複する部分があると思いますが、現代の日本の思想、
思潮はどのようなもので、その出どころは何処だと思われますか?

A 回答 (15件中1~10件)

1は、個人的見解であろう所で特に問題は無いと思います。



2は、学力偏重だと思います。
出処は、高度経済成長でしょうか。


良きも悪しきも、民族による哲学や思想は形骸化しています。

政治は社会発展を望みます。
その社会の旗振り役です。
旗振り役は、国民が選びました。
その上で今がある訳ですから、自分達の行動が自分達に返ります。
それが民主主義で国民主権と言うことです。

どういう見解で選んでいくのかを、一人一人が真摯に
考えていけるようになることを願っています。


日本は少子化が進み、ある意味人類の先駆けになっています。
打開策は、国家より国民一人一人が握ることになっています。
そこで、どう打ち破って行くかが問題になって行くでしょうね。
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この回答へのお礼

現在の、社会システムの在り方を問うことなく、学力の高い人間が
優秀であり、彼らの属する、国家機構、大企業こそが日本の社会を
支え、よりよくしてゆくものであり、それ以外にはありえないとす
るものが、現代思想の第一の特徴である、と。そのように理解しま
した。

しかしながら、権力のあるところ、安定したところは、必ず腐敗す
る。だから、民衆主導でなければ、民主主義の永続性はないという
ことですね?

お礼日時:2015/07/11 17:16

現代の日本の思想というか常識化していることが他の国、宗教でも「非常識」なことらしい。


あの311から高い日本人のモラルが世界中に知れ渡り絶賛されてますね。

>2.現代の日本の思想、 思潮はどのようなもので、その出どころは何処だと思われますか?

日本人の思想は、不文律で古くから「人として最低限、飢えたり、借金で住む家もなくさない」
ということですね。日本の民主主義は自然の豊かさに依存してます。

西洋思想は日照時間や飲料できる水が不足していた呪われた地では
「人類発展のために大地と動物を征服」する発想となった。
森林伐採や資源採掘、娯楽としての狩猟も奴隷制も選民思想には良いことだった。
そんな思想だから自然と共存した暮らしの日本人には不快感もあったかもしれない。

日本国民としての義務を果たし、自分を社会に帰属させまいとするなら
勤労選択の自由、住居の自由は当たり前に得られる権利。
そのありがたみを日本人自身も気付かなかったりして。

ところが!
「社会に飢餓と借金を広げ、国家と家庭の意義をなくす」を推奨する世界がある。
これを推奨する人は必ずその逆の立場にある人で、平等主義者ではない。

その理由は「人は平等になると堕落し獣以下になる」ということらしいです。
そのような理由で不平等を推奨する人ほど宗教を押してたり。

「人類のため」に沢山借金して、
納税や労働の義務と人権を捨てて立派な貧乏人から、
獣にも機械にもならず己の能力のみで!不平等から
這い上がって成功するまでの手本を見せて欲しいなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
つぎは、日本人の「文化」ということについて
考えてみようと思いました。

お礼日時:2015/07/12 19:25

>輸入したものとはいえ、学問的哲学、思想は日本にもあったでは


>ないですか?仏教、儒教、西洋哲学等。

強制的に欧米化されると哲学を見失うと考えるなら
やはり思想が日本にあると言うにはオリジナルなものでなければならないんじゃないですか?
仏教も儒教も西洋哲学も伝来ものですからね
そういった意味では狭義に扱っています

ただ、広義に扱うのであれば色々あると思いますよ
人権思想とか平等主義とか現代の日本に蔓延してる思想ですよ
日和見主義なんてのも日本的かもしれないですね
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この回答へのお礼

学問的、オリジナルなものという限定だったんですね?
「武士道」なんてのはだめですか?

お礼日時:2015/07/12 19:10

米国在住ですので、2の質問には回答できませんが。

。。

私も、アメリカによって強制的に欧米化なる論点は違っているのではないかと思います。第一に、日本が韓国や台湾で採った同化政策。。。日本語を廃絶して、英語を学校で”強制的に教える”方針を、アメリカは採りませんでしたね。植民地化するのならば、日本はアメリカに納税の義務が起こるわけですが、これも見当たりません。

海外から見ていると、戦前からの日本の文化をきちんと受け継いでいるようにみられます。”アメリカ風”なのは、日本人から見たアメリカで、ニュースなど見ていると、日本は、十分、日本のままです。欧米化、というよりも、時代に即して、日本の良さを保ちながら、何とか世界に発信しようと努力しているように見受けられます。国民が一丸になって、進取の気風にあふれているような印象です。

余談ですが、欧州においても、ドイツに軍の基地がありますが、ドイツはアメリカの植民地ではないですよね。ドイツはドイツのままです。同様に、日本もアジアにおいての拠点、という見方です。英国やサウジに次ぐ同盟国、なんですね。

最初におっしゃっている、”社会・個人にとっての根本的な規範”というのは、倫理・常識になりませんか。

哲学というのは、宗教を否定するところから始まるように思われます。パウロがギリシア哲学の牙城であったアテネに伝道に訪れた際、聞く耳を持つものがいないので、敷物の塵を払ってさっさと立ち退いた、というエピソードを思い出しました。
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この回答へのお礼

確かに、「強制的」というのは論理的には違っていたと思います。

現在の、日本の世相というか文化を見たときに、「是」とする人と「非」とする人と
くっきりと分かれているように思います。

その特徴は、日常生活、家庭生活とか、職場の中のふとした場面とか、高齢者をはじ
めとした弱い立場のところなどに、あらわれていると思います。

ものすごく深刻な警鐘を鳴らす人もいれば、「大丈夫だよ」という人もある。
私は、後者の人の根拠が極めて曖昧だと思うのです。

お礼日時:2015/07/12 19:05

もうお亡くなりになった私の学問の師匠は母子家庭で育った方だ。

その方より十才以上歳上の先輩と酒を飲んでいたときの話しだそうだ。その先輩は父親になって久しいんだが、自分の子供に対する父親のあり方を深刻に考えるようになってきたというんだ。そこで私の師匠に

「で、君はどう思う」

って聞いたそうだ。それに対する私の師匠曰く、

「親父が死んで見るってのも、一つのあり方かもしれませんよ」

その時、先輩はムッとした顔してたんだそうだ。結構ためになる意見を述べているのに、考える力のない奴って、ムッとして怒っちゃうみたいだね。

んで、貴方に対する私の解答だ。質問の論理の構成も解答に対する頓珍漢な反応も全部ひっくるめて、あんたは歴史も社会も人間も、そして自分自身も全く理解していない未熟もんだね。ここで突っぱねておくから、何でこんな解答が帰って来たのか、何で突っぱねられているのか、自分自身で何度も何度も考えな。この解答を読んでムッとしたんだったら、何でムッとしたのかも考えな。
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この回答へのお礼

折角のご回答ですからありがたく頂戴します。
そもそも、私は未熟者で学びたいからここにきているわけです。
それに、人はその人の不得意な部分から見たら、誰でも超未熟者になります。
だから、必死に隠すわけです。
私は隠しません。それは自信があるからです。
偉いのではもちろんなくて、自分というものが概ね分かってきたということです。
人の欠点をあげつらう人はいますが、ずるい人だと私は思っています。

あなたが善意で投稿してくれた回答を、突っぱねてしまったことは、少々反省して
いますが、あれは私の本心ですので、撤回するわけにはいかないと思っています。
無用な諍いはいけませんが、変わったことをすると波風が立つ日本の社会は、永久
に変わらない社会だと思っています。

お礼日時:2015/07/12 18:43

>何故、私はこうなれたのか?



誰しも、自分の中に答えはあります。
自分を理解して行けば、自ずと出ますよ。

私は、自分が興味を持つものや
好きな物の理由の自覚も、すでにあります。
別にそれを知りたい訳では無く、知っていく上で付属ですけど。

何処まで自分に対して・世界に対して・事象に対して
理解が進むかは分かりませんが、たどり着くまでも
楽しみが多いのは知っています。

人生を楽しんで下さい。

では!
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この回答へのお礼

識ること、それから創造すること、ついでにカラオケ?、は
本当に楽しいですね。
何度もありがとうございました。

お礼日時:2015/07/12 18:06

お礼ありがとうございます。



>その「個の認識上の自覚」というやつですね。
>どう言い換えたらいいんでしょうか?
>「自分がやるんだという、責任と誇りに満ちた自覚」

それでも良いと思います。

その人個人が、自己の認識上で理解できるほど
自己内部で確立されたもの。
が、私の考える自覚ですね。

人の話しを聴いて「それは、理想だよね。現実的じゃない。」
と言うなら、言葉は理解できるが、その内容まで
深い思索が成されていない。(外にある状態)

つまり、自分の中で形成され確立される所までは、遠く及んでいない。

思索を重ねて、検証から確証を得るまで検討されなければ
内部確立はできないのが人間なのです。
自分の認識に持つまでの思索が必要なのですね。

だから人の話しを「鵜呑み」でも無ければ「否定・批判」でも
無いのです。

自覚は、読んで字のごとく「自ら覚える」ので
教えてもらい「ああ、そうか〜」では、内容は自覚していないですね。
言葉の意味だけは、理解(言葉に対しての自覚)は
できているでしょうが。

自覚が有れば「できない」は必要ありません。
「どうやったらできるか」以外は、必要がないのも
自覚できていますから。

誰しも自分の分を、自分で作る以外無いので
公平で平等でありますよね。
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この回答へのお礼

全くおっしゃる通りです。
最後の文章以外は、良く理解できます。

私は、私のやろうと思うことを、ありありと胸に刻み込みたい
と願ってきました。そうすれば、どれだけ集中し、効率が上がるか。

しかしながら、まだまだ行動も思索も足りない。
でも、自覚しつつあるといえる。
何故、私はこうなれたのか?
疑問は、尽きることがなさそうです。

お礼日時:2015/07/11 23:53

>狭義の学問的なものに限定しているのだと思います。



逆に言えば広義の意味として捉えなければ日本に哲学や思想が存在すると言えないということじゃないですか
あなたは私の意見を否定したいのでしょうけど、補強にしかなってないと思いますよ
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この回答へのお礼

輸入したものとはいえ、学問的哲学、思想は日本にもあったでは
ないですか?仏教、儒教、西洋哲学等。
思想家も、歴史の教科書に載っていたと思います。

それでも、「無い」と言われるのは、何かあなた独特の限定があ
るのでは?と思ったということです。

ただ、不毛地帯に近いとは思います。

お礼日時:2015/07/12 00:22

No.5 です。


「残念ながら、広い視野がない、巨視的なものの見方ができない、のはどうしてなんでしょう?」
→多分、生まれから、祖父母や両親、そして様々な大人から、視野を広くもつことを諌められてきたのでしょう。
そういう人がとても多ように感じます。
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この回答へのお礼

確かに、子供の時から変わり者だった私は、母親などから
「変なことを言うのではない」と言われてきました。

もっとも、頑固な私は言うことを聞かず、本当の変わり者に
なってしまいました。(笑)

お礼日時:2015/07/11 23:59

お礼ありがとうございます。



>現在の、社会システムの在り方を問うことなく、学力の高い人間が
>優秀であり、彼らの属する、国家機構、大企業こそが日本の社会を
>支え、よりよくしてゆくものであり、それ以外にはありえないとす
>るものが、現代思想の第一の特徴である、と。そのように理解しま
した。

その思考傾向が、今でも強く見受けられますが
問題は「どうやら、そうばかりでもないぞ」っていうのが
噴き出してきている昨今だと思います。


>しかしながら、権力のあるところ、安定したところは、必ず腐敗す
>る。だから、民衆主導でなければ、民主主義の永続性はないという
>ことですね?

民主主導であるには、個々の自覚が必要です。

民主主義でも社会主義でも、個が腐れば腐敗します。
私は、主義の問題ではないと思っています。

罰則などのシステムで抑制しなければいけない
人間の未熟さが、腐敗を呼びます。
「ばれなければいい」って奴ですね。

以前の質問からの繋がりになりますが
自らが責任を持つ潔さを各自が持てば
主義は関係なしに腐敗は防げるはずです。

つまり、個の認識上の自覚の上に成り立つのです。
社会がよくなって欲しければ、それぞれの自覚を
引き上げる事ですよね。

そちらへ向かわなければ、国家の持続性も
その社会の持続性も、人類の持続性も
ありとあらゆる人間の集団が、持続性はないでしょう。

個々の自覚が高い国が、この先安定した世界を
作っていくと思います。
日本が、そちらへ行けばいいと思っています。

他人事だと考えていれば、子や孫の代で
日本はかなり荒廃してしまいますから。
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この回答へのお礼

主義の問題ではない、というのは賛成です。
その「個の認識上の自覚」というやつですね。

どう言い換えたらいいんでしょうか?
「自分がやるんだという、責任と誇りに満ちた自覚」

かつて日本では高度経済成長の時の、人々の自覚、
また、現在のアジア諸国の国を発展させようという
自覚。
そのように、理解しました。

お礼日時:2015/07/11 22:19

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