アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

男性です。

マタイ伝5章27節以下;
「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」
との記載などから、心の中に情欲をいだいただけで姦淫の罪になるなら、マスタベーションは、肉欲の悪霊の誘惑に負ける行為だから、明らかに罪悪である、と理解して来ましたが、そう理解して良いのでしょうか?

そうは思っていても、性的欲望が起こるとそれに勝てず、しばしばマスタベーションをして来ましたが、この罪悪感から、酷い罪悪感を覚え、酷い自己嫌悪に陥ります。

そこで質問なのですが;
1.本当に、マスタベーションは罪悪なのでしょうか?
2.そうだとすると、妻を亡くした男は、性欲をどう処理すれば良いのでしょうか?

キリスト教関係の方々やそれ以外の方々からも、マタイ伝との関係などから論理的に納得の行く適切なご教示を頂きたく、よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

西欧の価値観は、精神=高次元、肉体=低次元というバイアスがあるから、肉体に関わることを低次元と見なすのでしょうね。

その視点から、考えるとマスが、悪と言えず、罪というのでしょうね。悪とは違い、罪は、生まれながらにして、誰もが行い得るという発想でしょうから。キリスト教文化圏で、人って、生まれながら、罪人ですものね。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す