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夏目漱石先生の「我輩は猫である」を読むと、ネズミを交番に持っていくと五銭もらえるという話が出てきましたが、当時は害獣駆除でネズミを交番に持っていくとお金が実際にもらえたのでしょうか?
沖縄などでは今もハブや巨大カタツムリを保健所に持っていくと害獣駆除でお金をもらえるらしいですが。

A 回答 (5件)

当時はペストが流行していましたので、ペストを媒介するネズミを駆除するために行われたそうですよ。



以下、下記のサイトから抜粋しますね。

--------以下引用--------
4.鼠の買い上げ (1)

 明けて明治33(1900)年は奇しくもネズミ年であった。この年の1月15日から東京市では、1匹5銭で鼠を買い上げることにした(柳田国男「鳶の別れ」1926年には、「鼠の価は最初は2銭、後に諸色の騰貴とともに、改めて5銭と定められた」(『野草雑記・野鳥雑記』角川文庫版、P.211)とあるが、この点は未確認)。ペストの媒介者である鼠を駆除することによって、ペストの予防・撲滅をはかろうとしたのである。神戸では既に1匹8銭で買い上げた先例があったので、これに倣い、とりあえず1万円を支出して20万匹の鼠を買い殺すことにした。買い上げの方法は、近辺の交番に鼠を持参して現金引き換え切符を受け取り、それを区役所で換金するという手段が採られた。

 尾崎紅葉が「一頭五銭」と題して「霜の手の銭や鼠を売りて来し」の句を詠んだのは、鼠買い上げの始まった直後である。ちなみに、明治33年当時の諸物価を瞥見すると、ジャムパン1個2銭、天丼(並)1杯が7銭 、米1升が16銭、銭湯入浴料(大人)3銭、理髪料(大人)10銭…という具合いである。当時、割合高給取りの部類に入る大工の日当が84銭(普通の人夫は30銭くらい)で、この年から採用がはじまった女子駅員の日当は15銭であった(週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史』1981年、朝日新聞社および岩崎爾郎『物価の世相100年』読売新聞社、1982年を参考とした)。鼠3匹が女子駅員の1日の賃金に相当したのであるから、5銭というのはなかなかばかにはできない金額である。

1.明治・大正ペスト騒動
http://www2.odn.ne.jp/nihonsinotobira/jiyuu1.html
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昭和30年代のこと、私の通っていた小学校でやっていました。

常時ではなかったので何かのイベントに合わせてしていたようです。ネズミそのものを持参するのではなく尻尾をチョン切って持って行きました。ネズミを捕らえて尻尾を切って・・・と、小学生にできる仕事とは思えません、実際には大人がやって結果(尻尾)を子供経由で集めていたのでしょう。私は持って行った記憶はありませんが血だらけの尻尾を持ってくる女の子もいましたね。

三代目三遊亭金馬の名作落語に「藪入り」というのがあります。ネズミを交番に持参して懸賞金をもらった丁稚さんの話。ズバリご質問に関係した噺です。
http://ginjo.fc2web.com/124yabuiri/yabuiri.htm

金馬の名人芸はこちら。
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昔は、全世界的にペストがたびたび流行していた。

ペストはネズミが媒介するので、ネズミを殺すことが全世界で奨励されていたからだ。
これは次回発行の千円札にも肖像画が載る予定の日本人がペスト菌を発見し、治療が可能になった後もネズミを役所に持って行くとお金がもらえると言うことが続いた。
ハブを持って行くとお金がもらえるのは少し違っていて、ハブから血清を作るためだ。
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大阪郊外の町に在住する還暦爺さんですが、


大阪でも、昭和40年代ぐらいまで、質問者さんや他の回答者さんが仰ることがありましたよ。ただ、持って行くのはネズミの死骸まるごとじゃ無くて尻尾だけです。
持って行く先が、交番だったのか、市役所だったのか、保健所だったのか記憶に無いですけどね。

大阪というと大都市と思われがちですが、そんな所でも、高度成長期の時代にそんな事があったんですね。たぶん、日本各地で同様な制度があったようですね。
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私もネズミ捕りに引っかかった鼠を川につけて死なせてからネズミ捕りごと近くの下水道局にもっていって5円もらってました。

帰り道に駄菓子屋で糸の付いたいちご飴とか酢するめとか5円で買えました。
当時はゴミは川に流すもの
その後共同のごみ箱が現れゴミ回収車がバタバタという車で集めに来ていました。
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