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最近、富山県高岡市戸出町で七夕祭りがあったので行ってきました。行ってみるとなぜか、よろいをつけた源義経とずきんをつけた弁慶の絵がところどころに飾られていました。あれってどうして義経と弁慶なんでしょうか?七夕となんの関係があるんでしょうか?また、ほかの場所の七夕祭りで義経と弁慶の絵が飾られてるところってあるんでしょうか?
よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

室町時代の「義経記」に、源義経が奥州に落ち延びる際に、「渡守の平権守」に怪しまれるが、弁慶が嫌疑を晴らすため扇で義経をうち据える転機で切り抜け、無事渡船できたという一節からそれらの絵が飾られているのです。

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この回答へのお礼

ほんまにありがとうございます。ただ、わからないことがあります。まず、奥州は岩手県ですから岩手県の七夕祭りで飾られるならわかりますがどうして富山県の七夕祭りで飾られているのでしょうか?
それと、扇でうちすえるとはどういうことなのでしょうか?義経が本当に半殺しにされたということでしょうか?それとも、扇であるから実はダメージはなく、半殺しになったふりをしたということでしょうか?
扇というアイテムについてもわからないです。義経も弁慶も扇を持っているキャラクターではないですよね?たまたま旅の道具として持っていたということでしょうか?
七夕祭りで彼らの絵を飾るのは織姫と彦星が無事に天の川を渡船できるようにと願って、縁起をかつぐつもりで飾ったということでしょうか?そうだとすると分かりにくい絵ですよね。扇とか渡り船とかを絵に描いていていただけたらありがたいのですが。
義経記を読むとわかるのかもしれませんね。教えてくださいましてありがとうございます。今度読んでみます。もしかしたら歌舞伎などでもとりあげられてる有名なおはなしなのかもしれませんね。
私は50ですが、意味はわからないですが、義経や弁慶の絵が飾られていたのが昔の日本の祭りの感じがでていてすばらしいなと思いました。もしかしたらir-yさんは昔の日本を知る高齢の方なのですか?
よろしければ先ほどの疑問にお答えしていただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。

お礼日時:2022/07/09 19:12

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