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「誰もが長生きしたいと願うが、誰も老人にはなりたくない」

これはスウィフト『ガリバー旅行記』に出てくるセリフです。

18世紀のアイルランドを生きた人々も、私たちと同じく「老いへの恐れ」を
抱いていたことがわかります。

みなさんもこのように考えますか?教えてくださいよろしくお願いします
(・д・。)

A 回答 (8件)

ワシは、1年半程、前から、時々、肺が痛くなる。


痛みの続く時間も、だんだんと長くなり、痛みも強くなって来て居る。

ワシの親父殿は、肺癌で、爺様は、胃癌で、
兄貴は、直腸癌で、あの世へ旅立った。

ワシも、恐らく、肺癌だろう。

痛い、痛い、苦しい、苦しい、等と、言いながら、
長生き等、したくも無い。

明日朝、目が覚めたら、あの世で有って欲しい事だ。

__

BY 逆転地蔵
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
体の痛みとか好きなことができなくなるというのは
つらいですよね。

自分も最後まで痛みなどがなく自由がきく状態で
生活したいなーと思います
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:45

誰でもそうです でもそれは余りに我儘というものです

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
やはりそうですよね。我儘かもしれないですよね。
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:43

考えません。





■エリクソンの老年的超越理論というのがあります。

老化に伴う各種能力の衰えを否定的に捉えず、現状を肯定し、
多幸感を抱くという心理的適応を指します。

元はエリクソン学派の発達理論を拡張し、
80歳を超える高齢者の発達段階として
提唱された概念であるが、100歳を超える超高齢者を
対象とする各種調査により、
その傾向を示唆する結果が多く得られています。


超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。

これによれば。
たとえ寝たきりになっても、100歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれ死ねる。

そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

高齢になったときでも最低限、体の自由が効き
痛みなどなく文化的な活動ができる状態で

生きてピンピンコロリでなくなれるのが理想ですね。

人生の最後の時点でも尊厳を大切にされ幸せにいきたいものです
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:42

[ラグナグ渡航記]人間には不老長寿を願い、現世の幸福を願う欲望が生まれつき備わっている。

  (バルニバービでも日本でも)不老長寿ということは人類普遍の欲望であり、願いであることに変わりがないことを知った。墓場に片方の足を踏み入れた者は誰であろうと、必死になってもう一方の足をそこへ入れまいとするのが常であった。どんなに歳をとった老人でも、もう一日もう一日としきりに長生きしたがっていた。
ただ、このラグナグ島だけは違う、ここでは、長寿を望む気持が余り強くない、絶えず不死人間の見本を目の前に見せつけられているからだ。

この記述は、人間は『ないものねだり』であって、現状ポピュラーにあるモノを望まない と書いているのではないでしょうか。

だとすれば、問題は、繁栄と健康に恵まれて血気盛んな青春の日々を、永久におくることを願うかどうか、ではなく、老齢ともなれば必ずつき纏うさまざまな不幸のさなかにあって、長寿をどう生き抜いてゆくか、である。なぜなら、そういった老齢につきものの、惨憺たる情況に陥ってもなお、不死でありたいと望む者はまずいないからである。

老い・老齢につきものの惨憺たる情況を忌避・嫌悪するのは、ごく普通でしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B9%E3%81%A7 …
老いはゆっくり進む。 その時間の変化は、人間の日々の生活のなかで吃緊のことには感じられないので、空想世界の不老長寿の願望になるだけでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
不死担った場合、逆に人間は呆けてしまうかもしれないと思いました。

終わりがあるから一生懸命目的に向かって努力したりすると思うし

肉体的には滅びても永遠に心の中に残る人もいるし、

そう考えると、単純に「生きている」ということ、存在していること
だけが生きているとうことの定義ではないとも思いました。
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:40

但し、老人にならぬと年金もらえず、


国に払った分が払い損で終わる。
そして老人というか
貰い始めて10年以上生きないと
払った元が取り返せない。
ただ、昔、親が生きていた頃に迎えた老年と
今の時代とではすごい温度差を感じる。
何か今は
この老人になる時期を迎えずに
逝った人のほうが
幸せだったような奇妙な気持ちになっている。

誰かが言っていた。

先に老年期を迎えずに逝った人は
いい時に死んだなあと
今のこんな世の中が来ると、
それをしみじみ
認識させられた気分である。

だから今は今述べた理由で
すごい複雑な気持ちです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
今後、高齢化社会にますますなっていき
以前であれば歓迎された100歳のお祝いされる高齢者が
年金泥棒的な扱いをされて若い人に疎まれるような
感じになったら悲しいなぁと思いました。

高齢化はだれもがさけられないものであるから、
お年寄りは大事にしてもらいたいですよね。

まぁ、年よりもなんでもかんでもしてもらえるのが当たり前と
おもわず、ありがとうという気持ちももってほしいですが、

年齢を重ねていくことが悪であるということが
共通認識になってしまうというのはなんだかかなしいですよね。。。
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:36

私は読んでいないのだけれど。



参考文献
https://www.amazon.co.jp/%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%8 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
読んでみます
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:33

まあ、こういう世の中になるのならね。


皆世代交代して
昔付き合っていた人がどんどん鬼籍に行く感じですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
自分の身近な人、親しい人がなくなっていくというのは
やはりさみしいものですよね。
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/11 14:33

老いの一形態として、認知症になるのは長生きし過ぎの弊害です。


想定以上に長生きするので、脳内の劣化とのバランスが取れていないのでしょうね。
昔は認知症になる前に、寿命が来て亡くなっていましたから・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうかもしれませんね。
ただ、忘れるというのも悪いことばかりではないともいいます。
長年つれそった伴侶が死に、兄弟が死に、友人が死に、
辛いことばかりが重なっていきそれを全部記憶していたら
おかしくなってしまうのを防ぐために自然とリセットするための
機能という一面もあるといわれています。

穏やかにしを迎えるようにいろいろとバランスを調整できるといいですよね
(*´ω`*)

お礼日時:2023/02/10 21:59

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