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佐藤栄作は本来なら沖縄返還を諦めて、1代か2代後の総理にその仕事を譲った方がよかったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 最近の本に書いてありましたが、ベトナム戦争が最高潮の時代に沖縄返還をやろうとしたので、沖縄を最も必要とする時代のアメリカと交渉したものだから、佐藤栄作政権は余計に苦労したんだと。だからこそ、キレイな返還に見せかけるために、密約などウヤムヤ案件が色々付随してしまったとか。ベトナムの戦渦が過ぎ去るのを待ってから交渉すれば、もっとオープンな返還が出来ただろうとの見方もあるようです。それはそれで、なるほどと思ったんですけどね。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/17 12:59

A 回答 (2件)

沖縄返還は、日本政府以上に多くの沖縄県民の悲願だった。

特に、沖縄以上に復帰が難しいと思われていた小笠原諸島の返還が先に実現したことで、沖縄県民の復帰運動は盛り上がっていた。

本土はと云えば、自民党は安保体制の延長とセットにした沖縄返還論を唱え、野党と学生運動家は沖縄返還は当然としながらも、安保反対の立場から安保とセットにされた沖縄返還にも反対という立場だった。
今にして思えば、本土は沖縄返還を与野党とも他人事のように考えていたように思える。

沖縄では、元々米軍兵士の犯罪事件は年間5百件もあったが、ベトナム戦争中はベトナム戦に参加して荒んだ兵士が増えたためか年間千件を超えており、県民と米軍は一触即発の危機が増大していた。

そうこうするうちに、米兵による交通事故やタクシー強盗事件が連続発生し、ゴザ市での米兵による交通事故をきっかけにした米軍MPと市民の小競り合いが暴動に発展してしまった。

米ニクソン政権はベトナム戦争終結や対中外交復活などアジア戦略を大きく転換させた政権だ。沖縄返還もその一環だったのだろう。
沖縄の軍政の失敗も明らかで米国のイメージを悪化させているだけだった。

質問文を読むと、佐藤栄作が沖縄返還に執着していたように書いてあるが、それはどうだろう。
佐藤栄作も沖縄返還を望んでいたことは間違いないだろうが、彼の執念が沖縄返還を実現させたわけではない。あくまでも米ニクソン政権のアジア外交戦略の転換と沖縄県民の激しい返還闘争が勝ち取ったものだ。
佐藤栄作は、その時にたまたま首相であっただけの話だ。

〈佐藤栄作は本来なら沖縄返還を諦めて、1代か2代後の総理にその仕事を譲った方がよかったんでしょうか?〉
佐藤栄作に、そのような主導権があったとはとても思えません。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、お二方とも、ありがとうございました!

お礼日時:2023/02/20 10:00

物事を完遂させるには、雰囲気作りとかタイミングが不可欠です。


今、しか無いと決断した佐藤栄作首相を褒め称えるべきでしょう。

ベルリンの壁が崩壊したのも、あの時だったから出来たのだと
思いますよ。

ずるずると結論を先延ばして、良い結果が生まれる事は有りません。
この回答への補足あり
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