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どこまでを「私」というのか。

新車で購入した車のパーツが壊れたら、そのパーツは別の新しいパーツと交換しますが、こうやって各部が壊れていったとして、全てのパーツを別の新品に交換してしまったら、全てが「オリジナル」の状態ではなくなります。
そうなると、この車はオリジナルではない全く別の車になってしまうのでしょうか?

同じく、私たち人間は60兆個もの細胞で体ができています。
その細胞は日々、細胞分裂を繰り返し、古くなった細胞は体外に排出されており、そういう点では我々人間は常に新しいパーツに生まれ変わり続けていると考えることができます。

であれば、昨日までの私は、別の人体を持つ別の人間だったと考えることもできます。

しかし意識の中では、昨日と記憶の状態も変わっていないと思っているし、性格も昨日とは変わっていないので、昨日からの延長線上に同じ人間として生きているはずだと思っているのですが、どうなのでしょうか?

もしかすると、この自分の意識も常に別のものに置き換わっていて、自分は常に同じだと錯覚しながら生きているのでしょうか?

また、もし将来、テレポーテーション装置ができたとして、実際にテレポーテーションする時には、先に自分の体の原子の位置などの状態をそのまま移動先にデータで送っておいて、移動先にはそのデータ通りに人体が合成されて、その人体は心臓や脳も動いていて普通に人として生きているとします。

そうなった時、自分の意識もその人体に移動したと思いますか?

みなさんはどう考えますか?

A 回答 (8件)

No.1です。



>例えばですが、植物にも「魂」というのは備わっていると考えますか?

魂、、、と云うほどのものでも無いと思いますが、

枯れそうになってるお花に「綺麗に咲いてくれてありがとう」と

言葉を掛けると、あら不思議、その後、精一杯綺麗に咲いてくれますよ。

それが、魂、、と云うのかどうかは私には分かりませんが、

お花であっても、こちらの気持ちに応えてくれますよ。

回答になってなかったらスルーしてくださいね。
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この回答へのお礼

魂は通じ合うのですね。心が穏やかになりますね。
ありがとうございます!

お礼日時:2023/02/19 19:58

自我が変らなければ私は私だと


思います。

自我は脳細胞などが織りなす
ネットシステムの産物です。

だから、このシステムが自我であり
たとえ細胞が他のモノと置き換わっても
システムが変らなければ
それは私そのものだと思います。

日本人が総て入れ替わっても、
日本という国家システムが変らなければ
つまり、千年以上の歴史によって
紡がれた国家システムが変らなければ
それは日本でしょう。



私たち人間は60兆個もの細胞で体ができています。
 ↑
これは、人の体重を60㌔㌘(体積およそ60㍑)として、
細胞の大きさを1辺10?㍍とすると60兆個分になるという、
かなりアバウトなもの。

現代では37兆ぐらい、と言われています。
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この回答へのお礼

なるほど。しかし、その私の脳だけを医者が取り出して家族に見せたところで、それを「私」たらしめるものがなくないですか?

もちろんその取り外された脳の中で「私」は思考ができているかもしれないが、思考ができたところで、それだけでそれが「私」だと自分でいえるのか…?

脳と肉体が合体することで、初めて私らしい表現や、思考もできますが、それでもこれが絶対に「私だ」という決め手が見当たらないですね…

例えばですが、「運命」というベートーヴェンの作曲した有名な音楽がありますが、この音楽は楽譜やデータのような物理的な何かがないと存在できないですよね。
かといって、楽譜が「運命」という音楽そのものとは言えないのかなと思います。

楽譜は、本質的に、どこかの場所に記録されることで存在し続けられる種類の記号であって、でも、楽譜を楽譜たらしめているものは、その記号であって、記録される場所ではないはずです。

このことは人間にも当てはまって、一人一人の人格を作り上げている音符や符号が、思考や記憶や性格であって、それらが一緒になって私を私たらしめていて、この楽譜が書き込まれるのは脳だと思います。でもそれは「私=脳」という意味とは違うのかなと思ったりします。

棲む身体のない「心」は、本当の自分自身の小さな影でしかなく…
しかし「本当の自分自身」て一体何??

とても興味深いですね…

お礼日時:2023/02/20 15:14

四肢欠損したって私は私ですから、仮に脳だけ単独で生きられるなら、それは私でしょう。

コミュニケーションできるかどうかは疑問ですが、それぐらいの技術になれば何らかの方法で意思疎通も出来るようになるかもしれません。

魂という部分に関して、完全に否定するつもりは無いのですが、現状では証明されていないので、具体的な意見表明は避けます。

自意識(+記憶)が私を構成します。ならば、脳細胞にこだわる意味もないでしょう。
もう完全にSFの世界なので、そういう分野のハードSFがよろしいかと。そういった部分を深く突っ込んでいる作品は沢山あります。具体的に挙げろと言われると思い出すのに時間が掛かるので割愛。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
何が「私」を「私」たらしめているのか?と考えても、こういうふうに考えている思考が「私」なのか、それとも、この肉体の形が私なのか、そういうふうに考えていくと、結局何も見当たらないというか、私って何?実は中身のない空なのか?本当に自己が存在しているのかどうかさえわからなくなってきますね…
「我思う故に我あり」という言葉もありますが、それもただ「思考」している私を見ているだけのことじゃないかとおもったりします。

お礼日時:2023/02/20 10:33

福岡伸一さんの著書、動的平衡を読むと分かる。

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この回答へのお礼

ありがとうございます!
一度読ませていただきます。

お礼日時:2023/02/19 21:58

車の場合は車体番号がすべてで、


それ以外の部品が全部交換されても、
私ですね。
それゆえ、車体番号だけ切り取って、
つぎはぎがわからないようにすることも
普通に行われています。
それでも、IDはかわらないです。
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1番は脳ですよね。


そして脳細胞は入れ替わらないはずですよ。
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この回答へのお礼

なるほど。
例えば、同じ脳を、別の肉体に移植できたとしても、その人間は「私」ということでしょうか。

脳死して植物状態になった「私」は、もう「私」ではないということにも考えられますが、そうなると「私」本人の意識はもうこの世にないのだから、「脳=私」とも考えられますね。

しかし、脳だけを取り出して、この脳が「私」だと外科医から家族に伝えられても、脳だけでは「私」らしい仕草もできないし、言葉も話せないから、自分の意思は家族には伝えられず…

結局、脳と肉体が合体して初めて「私」なのかなと思ったりしました。

お礼日時:2023/02/19 19:54

細胞のDNAは変わらんよ。

同じものが作られてるから。がんだらけになったら君の言う通りになる。けど、生きてはいられないだろうな。
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この回答へのお礼

なるほど。
DNAが「私が常に私である」という証拠なのですかね。ちなみにDNAも各細胞に1個ずつ、核膜に包まれて入っていて、それが体内には約60兆個も含まれていますが、そのうちの1つのDNAが「私」だと考えますか?
細胞分裂で新たなDNA(核)ができたらそれは別?

もし同じDNAからクローン人間ができたとしたら、「同一の私」が複数できたと考えますか?

それともそれら全ての複製をまとめて1つの「私」ですか?
「私」とはどこからどこまでをいうのかがわからないです。

お礼日時:2023/02/19 19:27

人体には、「真の変わらないもの」があるのでは?



細胞が日々入れ替わって新しくなろうとも、

それは、「その人の細胞が」変わるだけで、

その人自身が変わるわけでは有りません。

私は、それを『魂』だと思っています。
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この回答へのお礼

例えばですが、植物にも「魂」というのは備わっていると考えますか?

お礼日時:2023/02/19 19:17

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