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例えば、泗川の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D …

以前、シミュレーションウォーゲームにハマっていたとき、欧米で泗川の戦いを再現するシミュレーションゲームがあると知って驚いたことがあるんですけど、数千で十万の敵を蹴散らした戦いだと知れば、どんな国の人でもゲームにもしたくなりますね。

で、
ふと疑問に思いました。
あの島津の信じられない凶暴さって、現代の鹿児島県人の気性にも引き継がれてるんですか?
それとも、
あの強さって、島津家の凶暴無比な武将に率いられていたからで、現代の鹿児島県人はもっと温厚な人たちですか

A 回答 (2件)

薩摩大隈は農作物がほとんど育たない不毛の地。


島津氏の本願地である島津荘は日向国にです。
食い扶持を稼ぐために薩摩人は隣国に行って人攫いを生業としていました。
島津はそれを大々的に行い、占領地で片っ端から人攫いをして奴隷としてバンバン売りまくっています。そのため、日本人奴隷が供給過多となり価格が大暴落し、大量に海外に輸出されていきました。
これに怒った秀吉は奴隷禁止令を出します。しかし、人の性とは変えられないもの。朝鮮出兵で島津軍は合戦ではなく奴隷狩りに血眼となり、島津軍が進軍した後は人っこ一人、犬一匹居なくなるという凄まじい略奪を行い、日本に奴隷を満載した船をピストン輸送していました。この兇状に「鬼島津」と恐れられたのです。
現在の鹿児島県人のほとんどは、朝鮮半島から攫われてきた奴隷の子孫です。
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島津は段の浦の平家の領地を頼朝から拝領して、赴任した坂東の


出身なのですが・・・言葉が違う領地を経営するのは大変だったでしょうね
支配者の島津家と支配された薩摩の庶民をゴッチャで考えてはいけないと
思うのですが。

島津家に限らず豊臣秀吉の頃の武士は世界最強の陸軍でした。
朝鮮出兵では強すぎて予定より早く、あっつと言う間に平壌まで行き
物資の補給が追い付かない状況でした。(朝鮮軍が弱すぎた面も・・・)
何せ国内には鉄砲がざっと数えても20万丁以上はありましたから、
欧州でもこれほどの鉄砲を持った軍隊はなかったのです。

オランダは、この事を解っていて、関ヶ原の合戦の後、浪人していた
武士を傭兵として雇いたいと徳川家康に願い、それが認められました。
その傭兵の働きにより、インドネシアを植民地に出来たと、NHKの
歴史探偵の番組で放送してました。
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