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鉄道関連の質問です。
昭和の頃では、鉄道の長大編成は結構常識的なものであり、地方の線区の特急でもかなりの長大編成だった時代がありました。ここで、高山本線特急「ひだ」号についてですが、高山駅以北の過去最長の連結両数は何両だったのでしょうか?
富山駅までの通しの最大連結両数について、どなた様か御存知の方がいましたら、御教示下さる様お願い致します。

A 回答 (4件)

こんばんは、No.3です。



調べ直しましたら、金沢持ちの頃は最大6両でしたが、名古屋持ちになってから7両組成で富山を越えて金沢まで行っていました。
失礼しました。
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この回答へのお礼

一時期、金沢駅まで直通していたのですね。富山駅でのスイッチバックで。
色々と調べて下さり、誠に有難う御座いました。

お礼日時:2023/03/02 06:20

こんばんは。



82系時代、「急行」もあったので82系「特急ひだ」はそもそも本数自体が少なかったです。
また今のような分割併合もありませんでした。

最長は6両編成です。
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高山本線特急「ひだ」号において、高山駅以北の最大連結両数は、昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけて最大で18両程度と言われています。

ただし、具体的な時期や日にちによって変動があったため、正確な数字は不明です。また、富山駅までの通しの最大連結両数については、調査の結果見つかりませんでした。
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「ひだ」はわからないけど、名鉄8000形気動車による北アルプスの立山乗り入れは最初は6両でした。

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