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大谷翔平さんがグローブをぶん投げたのはやりすぎですよね

小さいですか?
私は?

質問者からの補足コメント

  • イチローが道具を大切にするべき
    と言ったじゃない

    なんかあれ好きなんだ
    彼は道具を大切にしましょう
    と子供たちに言ったわけで

    子供がいる方はどうですか?

      補足日時:2023/03/23 20:15

A 回答 (28件中1~10件)

No.6です。



> まあそこまでは言いませんが そんなことを言う方もいますよね
甲子園で選手がペッパーミルを廻したら注意されましたよ。
グローブや帽子を投げたら、試合没収にもなりかねません。
高野連は、ブラック校則を維持する人達と同じ、
規則の正当性ではなく、規則自体に厳しいので、十分あり得ます。
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この回答へのお礼

高校野球であれをやったらどうなりますかね? グローブ、帽子、ぶん投げ
質問したいのですがこれ以上文句言われるのは悲しい
どーする

お礼日時:2023/04/04 20:54

人によりやらない。



イチローならしない。

比べない。
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この回答へのお礼

めんどくさい。

お礼日時:2023/03/30 18:46

はい、小さいと思いますね。



基本的に私は道具を大事にする方です。
ゴルフのクラブもラウンド後は手入れするし、
スキー板も一日終わればワックスとエッジのチェックはします。

しかし、道具を大事にする、というのは私の解釈では
道具に当たるな!
ということであって、うれしさのあまり放り投げるというのは
別に非難されることでも批判されることでもないと思いますよ。

打てなくてバットを折る、
OB叩いたのでゴルフクラブをたたきつける、
などはまぁ批判の対象になってもいいと思いますが
あの場合はカッコと思いましたけどねぇ。。。
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この回答へのお礼

なるほど
理解できました。

お礼日時:2023/03/30 12:09

大谷選手は観客や選手にも配慮が出来る人で、観客や視聴者に勝利の喜びや感動を伝えるパフォーマンスをしたのだと思います。


敗戦国日本が世界一となり野球でアメリカを破ったことは日本人の多くに感動を与えることとなり、大リーガーでありながら侍ジャパンを率いて世界一になった興奮が大谷選手も抑えられず、パフォーマンスが強くなったのだと思います。
いつも冷静な大谷選手が野球少年のように他の選手と抱き合って互いの栄誉を称える姿に日本中が感動しました。
持ち帰ったグラブはケアしていると思います。
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この回答へのお礼

そうですね
そうあってもらいたい

お礼日時:2023/03/30 12:57

思う事と表現する事は違います。


誰かの振る舞いに対して忠告するならば、指導するという覚悟と責任を担わないと行けませんよね。他の人と同調して批判するのは宜しくないと思いますよ。どんなに正しくとも単なるイチャモンになるからです。

私たちが子供の時に学ぶマナーは、その子が大人になって苦労をしない様に親や先生が心配して教える物なんです。大人に成ったら流石に自分の幸せについて自分で考えて応用していく必要があります。なので大人は何が正しいとか、誰が悪いとか、そういう発想をしません。自分を上手に運転できているのか否か。それだけを心配するものです。

やっても無駄だと思える場合は辞めても良いし、やっても大丈夫だと思う物はやれば良いです。他人がどう評価するかも含めて自己責任であり、自分にとって最大の幸福を得られる様に自分で考えて行いましょう。

殆どの人が彼の行動を批判しないのは、あの瞬間の彼と同じ経験をしたことがないからです。前人未到の領域にある人。その人がその瞬間どういう心情になり、そのときどんな衝動が自分に起きるのか? 分からないんですよ。経験の無い物に対して忠告や助言をしたら(つまりエアプ)恥ずかしいでしょう。黙って教えて貰うしかありません。

私たちに物事の正しさを教えた父や母、教師やその他の大人。これらの人々全部が彼と比較して見劣りするんですから。いったい自分が教えて貰った何を根拠にして彼を批判できるのか。そう思いませんか? うちの父(超凡人)も尻尾蒔いて逃げ出すでしょう。もし私が「父さんにそう教わったんだ」と言って意地になって主張すれば、うちの親父は恥ずかしがって逃げ出すと思いますよ。

つまり、あの瞬間、あの行動についてだけ言えば、

「彼に教えて貰う立場の人しかいない」

となります。自分に出来ないことであっても批判をして良いと自分を甘やかしている人なら別です。(今現在の)私にはそういう甘えは(昔はありましたけどね)ありません。

逆に言えば私たち大人が普通に経験し想像できる物事の中では、他人の宜しくないと思う行動に対して(自信を持って)忠告出来ると思います。

例えば今回のご質問のシーン。

「普段礼儀正しい彼でもあんな風に成るんだ」

とコメントする人もいます。

また質問者さんの様に思う人も多いかもしれません。

しかし、そのコメントを出すか否かも含めて私たち一人一人の自己判断であり、結果についても自己責任なんです。

私は自分に出来ない事を成し遂げる人を何度も見ました。その時に「人としてどうか?」の様なコメントをしたこともあります。すると「人として小さい」と逆に自分が(友人などに)評価され批判されてしまい、悔しい思いをする事も多かったです。この後は自分は間違っていないと言い張って意地になりました。しかし、それにいったい何の利益があったのか。愚かですよねえ。

冷静に考えて見ましょう。

野球に限らずどんな時であっても、

・何かを成し遂げて歓喜に浸る人
・それを称賛する人
・批判をして自分は間違っていないと意地になっている人
・上の人と一緒になって同調し意地になる人
・それら見て見苦しいと批判する人
・全てに対して関わるまいとする人

この様に6つぐらいの選択に分かれますよね。

自分がドレになっているのか。ドレになってしまうのか?
これは自己判断と自己責任の範疇ですよ。

最初の一つが一番望ましいですが、それが出来ない場合が多いとしましょう。しかし次の5つは間違いなく誰もが自由に選べるんです。ここは自己判断であり自己責任です。冷静になって考えれば2番目が一番無難です。6番目も順当に良いでしょう。それ以外は余計な事をしているだけに思えます。

これが怖いのは本人に自覚が無く、常に同じものを選んでいる場合が多いという事です。つまり習慣ですね。

「他人が成功するたびに自動的に意固地モードに突入する定めの
 人がいる。他人の成功に左右されて落ちて行く性質ともいえる。
 つまり真の意味で他者に影響される。か弱さがある。
 これは自滅の因子を持っている証明であり確率的に助からない」

3番目と4番目の確率が高い人はどんどん消耗していくと思います。必ず誰かが何かで成功するからです。気にしなければいいのに、そうできない。余計な事を言って余計な事件になる。生きている長い時間。その人生で徐々に孤独になっていく。気が付けば一人でぶつぶつと不満を垂れている。そういう流れになり易いんじゃないでしょうか。

「誰かが何かで成功したときほどリアクション
 には自由が無い。
 この戒めを軽視してはいけない。
 自分がどう思おうと、どう感じようと、
 賛辞を述べてさっさと寝る事だ。
 そういう習慣を自分に刻み込むことで、
 自滅の因子を無効化できる」

冒頭に自己責任と述べました。世渡り。処世術。ここに隙を作らない事です。自分が持つ正義感や常識やマナー。良い事悪い事の感覚。これらは自分に接した親など大人が教えたモノのはずです。その大人たちすら叶わない人物に私たちは出会うんです。このときに良い事悪い事を持ち出しても意味が無いんです。それを教えた張本人たちが逃げ出す様な存在だからです。

「自分には同じことが出来ない。悔しいが褒めるしかない」

この一択以外は何もかも見苦しく見えます。

自分がまともな大人であるならば。自分に出来ない事を恥じる。これ以上に正しい事はないでしょう。子供のうちは出来ないでも良いとされます。甘やかされているんです。ですが、大人になれば「自分も出来なければ行けない」と前提を変えないと行けません。自分に出来ない事であれば、比較されて劣っていると言われます。自ら「恥ずかしい」と言わなければ傲慢であると思われます。人として許して貰えないんです。そういうキツいゲームになるんですよ。だから子供のうちに出来る限り努力を積み重ねて、自分の力を増すべきなんです。今回の彼も、そういう姿勢でしたよね。

「俺は、子供の頃に努力をしてこなかった。
 その差を目の当たりにした。ここで何か言えば余計に格好悪い」

彼が勝利をもぎ取った瞬間。そういった経験は私にはありません。なのでどうすべきなのか誰かに教えられません。何を言ってもエアプです。

しかし、そういう人を見てリアクションした経験は沢山あります。そういう意味では多くの人に自信をもって助言できます。

「こういう時ほど常識を持ち出して何か上から言おうとしては
 いけない。ただでさえ羨ましいのに、その上に小さい人間だ
 と他人に思われる罰まで自分に課すのはマゾいよ」

よおく考えるとこれしかないです。

しかし、気づくまで時間がかかり、何度も繰り返すうちにイチャモン癖が脳に刻み込まれてしまう人もいるみたいです。辞めようと思っても悔しさがこみあげて自分を抑えきれないそうですよ。TVのニュースで有名人の話が出る度に「コンチキショウ」と無意識に呟いて居るそうです。そういう状態になった知り合いがいます。

他人が成功したとき、賛辞を述べる以外の事をやろうとするのは非常に危険です。脳に癖が付くと助かりません。ここに関しては自由では無いのです。

自分の脳を守るのも自己責任です。
自分じゃない誰かが勝手に成功した。
それによって自分の脳に可笑しな癖がついて狂ってしまった。
こういうのを避けるのが大事ですよ。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

長い
読んでない

お礼日時:2023/03/30 12:09

確かに日本の伝統的な美意識(勝負は時の運なので勝負の過剰な喜びの表現は敗者を鞭打つこつになるから控えめにするなど)からしたら違和感があるかもしれませんね。

ただ
彼の現時点での夢が叶った瞬間な訳だから、若気の到り、ということで個人的には許容範囲ではあると思います。
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この回答へのお礼

そうだね
まだ若いよね
彼は

お礼日時:2023/03/30 12:10

勝負が決まった瞬間に爆発した気持ちの表れだったと思いました。

ある意味、世界一になった瞬間で宙を舞ったキャップとグローブは


【野球に関する道具の中でもっとも理想とされる扱いを受けた】


とも感じました。道具を大切にした最上級の扱い方だった、のではないかと。


私のような小市民の想像を超えるプレッシャーや世界の大舞台で、世界の期待を背負った選手のことはわからないですけど。


ただ、投げたグローブは後できちんと大切に回収したと思います。


大谷選手のすばらしいエピソードもたくさんありますし。優勝直後の球場でのインタビューでも野球界全体のこと、世界の子供たちなどへのメッセージもありましたし、一瞬を取り上げるのも違うような気がします。


決戦の場がアメリカに移るときに、空港に現れた大谷選手はチェコ代表のキャップをかぶっていたのも紹介されましたし。


道具を大切にすることだけでなく、相手チームや選手に対する敬意も世界から絶賛されていますから、優勝を決めた直後のキャップやグローブも大切になさっていると思います。


今回のWBCでは、佐々木朗希選手がデッドボールをあててしまったチェコの選手の宿泊しているホテルに試合後に訪ねて、自ら買ったお菓子とともにお詫びして写真を撮影した話とか、日本人選手の良いエピソードもありましたね。


野球に対する姿勢や、相手チームや選手に対する姿勢は大きな学びになると思います。
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この回答へのお礼

【野球に関する道具の中でもっとも理想とされる扱いを受けた】

なんだそりゃ?

お礼日時:2023/03/30 12:11

優勝の瞬間感極まってやったことが、道具を大切にしないことにはならないよ。

小学生だってわかる。くだらん屁理屈です。

イチロウが好きなのは勝手だけど、あの人、ぶっきらぼうで、変人で、ナルシスストで、人徳はなく、人間的魅力はゼロ。ほんと、野球ができてよかったね。じゃなければ社会不適合者です。

かつてのWBC当時思い出しますね・・・

「韓国などには向こう30年、日本にはちょっと手を出せないな、みたいな、そんな感じで勝ちたいなと思っています」

だと。ガラの悪さがにじみ出た、恥ずかしいコメント。いきがった、不良のようなコメントは世界の笑いものでした。

大谷とは対局。今回も、監督が奥さんの元カレだからTVに出ず、どうみてもダルビッシュは脇役なのに、大谷を素直にほめない。イチローの小ささを、さらにはっきりさせたWBCでした。
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この回答へのお礼

イチロウ

だれ?

お礼日時:2023/03/30 12:11

ぶん投げて良かったと思います



わざわざ言うのは小さいかと思います
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この回答へのお礼

わざわざ言う事ではなかったかな…
まあ批判されるのは解っていた

お礼日時:2023/03/30 12:12

結局はただの価値観の話なので、どちらでもよいとしか言いようがありません。



質問者さんの好みがイチローのように道具を大切にする人だったというだけですね。

海外の大学などの卒業でハットトスという帽子を投げたりする文化があるでしょう。
日本でも防衛大では行われているそうです。
あの様子を見て「頭にかぶるべき帽子を投げるなんて・・・」という感想を持つことがナンセンスなのは質問者さんもわかると思います。

喜びを表すときに物をぶん投げる人たちがいるだなーというぐらいに思っておくのが一番良いのではないでしょうか。

ちなみに大谷はグローブを投げる直前に帽子も投げていますが、そのことについては質問者さんは触れてもいません。
わざわざ質問文にグローブと書いています。
帽子はよくてグローブはだめだと感じてしまうのであれば、そこに今回の疑問が質問者さん自身の価値観から来る主観的なものであって、客観的にされた絶対的なものではないということが表れています。

道具を大事にするべきというのは、グローブだけではなく帽子にも当てはまるはずですから。
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この回答へのお礼

確かに 帽子 も大切にするべき

お礼日時:2023/03/30 12:13

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