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大河ドラマの戦国時代での合戦で頬張っている握り飯は白米なのでしょうか?付け合わせとかあったのでしょうか?

A 回答 (3件)

精米(白米)が一般に普及したのは江戸時代です、その為、江戸患い


と呼ばれた脚気で死亡する人が増えました。

合戦の場では、食事は取りません、携帯用の丸薬を携行してました。
一時休戦になった時は近隣の百姓が粥を売りに来ました、その為、足軽
などの雑兵に金銭を配布してました。
大河ドラマで見られるのは寺など本陣を構えた所ですね、腹に掻き込む
だけなので、付け合わせなどは付けません、運搬する量が増えるますので。
公家被れしていた、大内、朝倉、今川の大名は副食、酒などを用意
していた様です・・・いずれも滅亡しました。
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玄米でしょうね。

もしかすると、麦飯かも。
インスタントの味噌汁は、当時の発明という説あり。戦闘中でなければ、そこそこ普通の食事をしてたみたいです。
戦闘中は、食事スルー。
行進中は、秀吉が農家に炊き出しを頼んでます。握り飯を走りながらほおばる。今のマラソンの給水ポイントみたいな感じ。大量に用意する必要上、精米まではしてなかったでしょう。
信長が桶狭間の戦いに行く途中のお寺で用意されたのが赤飯を携帯用に握り飯にしたもの。縁起担ぎで赤飯の時もあったかも。干し柿なども携帯食だったようです。
関ヶ原の時、毛利軍が昼を食べてから参加と言ったのが、毛利の空弁当という話になってます。今のコンビニ弁当みたいなのを後方で用意して陣地にもっていったようです。
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白米、玄米、麦飯 、ひえ、あわ、きび団子、ほうとう(山梨) いろいろあったようです。


徳川家康は玄米、麦飯を好んだようです。
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