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速度の実在性の疑問に続いて、質量についての疑問が出てきました。
 質量は実在するものなのか?
「実在」をどう定義するかですが、物理学においては直接(直接の定義も問題ではありますが)測定できる量のこと、と定義するなら、質量はその限りではない、と思えます。
思い切り基本に帰るならば、質量は天秤計で測るとなりましょうが、考えてみると天秤で直接計っているのは左右の皿の高低差であって、つまりは、長さの変化である。それを質量という量に換算しているわけです。
物理に基本次元量として「時間」「長さ」「質量」がありますが、本来、長さと質量は異なる量でしょう。それでどうして質量が計れることになるのか?高低差が質量に比例していることは決して自明ではないと思えるのですが…。重量もそうです。重さはバネばかりで測るとすると、しかし直接計っているのはバネの伸びであって、これも長さの変化となります。それを計算で重量に変換しているわけです。結局、物理的状況の変化を計算しやすくするために、質量mや重量wを都合上、いわば勝手に導入しているだけなのではないか?
いっその事、例えば重量なら基準となるバネばかりを決めておいて、それを地球上のこれも基準となる地点で基準と決めた重りを吊るして、その時の伸びの長さを単位重量の次元量とでもする方が、次元量を減らすことができ経済的と思えます。質量は、現在検討中(だと思うのですが)炭素原子の何個分かを単位として採用する計画があるようですが、それなら、炭素原子の個数をgやkgの代わりに単位に用いればよい。ちょうど、molのように。
それでは、世界中の教科書を書き換える手間がかかるし、計算もやり難くなる。今までで上手くいっていたのだから、それでいいではないか、という声が上がりそうですが、ということは、結局、測定データと精度よく一致する計算結果が出せればそれでよい、結果オーライ、ということなのかな。
フ~ム、やはり疑問は尽きませんね。

A 回答 (6件)

ちなみに現代の物理学では直接測定できないものも「測定可能」と解釈しています。

早い話、ブラックホールは文字通りの意味では「観測不可能」と言う事になりますが、ブラックホールの写真のように「直接でなくても観測可能」と言うのが物理学の立場です。そもそも直接測定できるものなんて極々限られているわけですから、そんな事を言っていたら何も分からなくなります。
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>その時の伸びの長さを単位重量の次元量とでもする方が、


>次元量を減らすことができ経済的と思えます。

あるよ。自然単位系とかは単位に長さしか出てこない。
歴史もかなり長いし、一般相対性理論の記述には
普通に使われてます。
日常生活では絶望的に使いにくいけどね。
物理法則の記述はとても単純になるけど、
単位だけ見てもなんの物理量だか
さっぱりわからないのが欠点(^^;
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>質量は実在するものなのか?



物理学は、こう考えると現象がうまく説明できる。その時点でもっとも確からしい仮説群・・・というだけです。

>「実在」をどう定義するかですが、物理学においては直接(直接の定義も問題ではありますが)測定できる量のこと、と定義するなら、質量はその限りではない、と思えます。

ちがいますよ。何を基本的な量として、単位のもととすると、一番現象がうまく記述できるか・・・だけの問題です。絶対ではありません。

>質量は天秤計で測るとなりましょうが、考えてみると天秤で直接計っているのは左右の皿の高低差であって、つまりは、長さの変化である。それを質量という量に換算しているわけです。

その通り。測定はほぼすべて、同じです。

>物理に基本次元量として「時間」「長さ」「質量」がありますが、本来、長さと質量は異なる量でしょう。それでどうして質量が計れることになるのか?

ことなる量の間に、物理法則があるからに他なりません。

>高低差が質量に比例していることは決して自明ではないと思えるのですが…。

これも物理法則です。つまり、今正しいと信じられている仮説群の一つ。それを使います。

>結局、物理的状況の変化を計算しやすくするために、質量mや重量wを都合上、いわば勝手に導入しているだけなのではないか?

勝手ではないです。何度も言いますが、そう考えると、現象がうまく説明できる。シンプルに説明できると信じら、いまの時点ではそうなっている・・・ということです。

>いっその事、例えば重量なら基準となるバネばかりを決めておいて、それを地球上のこれも基準となる地点で基準と決めた重りを吊るして、その時の伸びの長さを単位重量の次元量とでもする方が、次元量を減らすことができ経済的と思えます。

ではやってみてください。それでこの世を説明する物理学を再構築してみてください。
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実際のところ (物理量の) 「次元」なんてものは「勝手にそう考えている」だけの代物でしかない. だからこそ, 「次元」のとりかたの異なる複数の単位系が存在できる.



あと文章におかしいところがあると指摘しておこう. 「物理に基本次元量として「時間」「長さ」「質量」がありますが、本来、長さと質量は異なる量でしょう」のところ, なんで「ありますが」と逆接でつないでいるんだろうか. 本当に「長さ」と「質量」が「本来異なる量」であるというなら, それらを「基本次元量」とするのは自然なはずだ. つまり「物理に基本次元量として「時間」「長さ」「質量」があ」ることと「長さと質量は異なる量」であることとはむしろ順接であるべきではないのか.
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>質量は実在するものなのか?<


●物理は何故かとか何かとかを問うものではなく、単に物理量間の
関係を記述するだけです(物語を付加するのは人間の勝手)。

>天秤計で測る・・・は左右の皿の高低差<
●違う。つり合い。しいて言えば高低差?はバネばかり。

>換算しているわけです<
●測定はほとんど変換された量

>勝手に導入しているだけなのではないか?<
●違う。法則という仮定をたてている。

基準や標準は人間の都合や勝手によって決めただけで執着するもの
ではありません。
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