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どのような極悪人だろうが悪人だろうが善人だろうが、全員同じ神の子なので、悪人も善人も仲良くしましょう、仲良く暮らしていきましょう、という主張をどう思うぜよ。

A 回答 (32件中1~10件)

(1)立正安国論「蘭室の友」



本文(御書全集三一㌻七行目)
 悦(よろこば)しきかな汝蘭室(らんしつ)の友に交(まじわ)りて麻畝(まほ)の性(しょう)と成る

通解
 悦ばしいことに、あなたは蘭室の友に交(まじ)わって感化を受け、蓬(よもぎ)のように曲がりがちな性分が、蓬が麻畑の中で正されたように、真っすぐな性分になることができた。

解説
 本書は、「主人」と「客」との対話形式で展開されています。
 世の中の災難を嘆く客に対し、主人は、その根本原因が正法に背く「謗法(ほうぼう)」であると指摘します。誤った教えへの執着から、はじめは主人の言葉に憤(いきどお)っていた客も、経文を通して堂々と正義を訴える主人の姿に触れて徐々に心が変わりはじめます。
 そして、ついに邪義への執着を断ち切り、正法を求めるにいたります。
 この一節は、客の心の変化を喜んだ主人の言葉です。
 香り高い蘭(フジバカマ、香料)の側にいれば、その香りが自然と移り染(し)みてくる。また、通常であれば曲がって育つ蓬(よもぎ)が、麻畑に生えれば周りの麻に習って真っすぐに伸びることができる。
 同じように、人間も人格の優れた友と交わり、共に前進していくことで、心を正しい方向へと変革し、成長することができます。
 中でも最も大切なのが、仏法という幸福の軌道へと導いてくれる「善知識」の存在です。

キリスト

聖書は、間違った人たちと友情を持つことに対し、私たちに警告している。正しい友は、神や他の人とのあなたの関係においてあなたを助けることができる。だが間違った友は、時間をかけてあなたを枯渇させ、あなたがそうと知らないうちに、あなたを利用することができるのだ。聖書は、間違った人たちと友情を持つことに対し、私たちに警告している。正しい友は、神や他の人とのあなたの関係においてあなたを助けることができる。だが間違った友は、時間をかけてあなたを枯渇させ、あなたがそうと知らないうちに、あなたを利用することができるのだ。
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神の子という表現は、宗教ですよね。

地球が誕生したのは、ものすごい確率で誕生したという天文学から、神が存在したのだという考えです。生物の進化で人間は、高等動物なので、これも神から授かったということから、神様の子供なのでしょう。

仲良くする必要は無いと考えます。ただ、戦争などの争いをしないように、普通に生活することが大切です。ロシアとウクライナのような状態にならなければ良いと思います。

仲が良い状態の定義が、はっきりしない状態では、善人と悪人は関わるべきでは無いと考えます。人間は、ひとりで生まれてきたのだから、、、
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まずは人として認められることが前提でしょう。

人の中に善人や悪人がいるのだと思います。流石に神様だって「私の子じゃないです」という人には仲良くしろと言いませんでしょ。実は人に成ることの方が難しいんです。

「人類種として生まれた事と”人”であることは一意ではない。
 成人した状態で善人や悪人があるのであって、誰もが人として
 一生を終えられるとは限らない」

例えば、

「俺は何の取り柄もない。誰にも認められていない。
 何もかもを持っている奴が羨ましいし許せない。
 俺だって凄いって言われたい。
 だから仕方なく悪を働いたんだ」

こんな人がいたとしましょう。この人は人なんでしょうか? 善人なんでしょうか? 悪人なんでしょうか?

ある時、ある人に「凄いと言われるような才能が欲しい」と言われたことがあります。

よくよく考えて答えたのは、

「何があっても他人を恨むスキル。それはすごいと思う。
 俺なんか自分が悪いんじゃないかと思って躊躇する。
 それが出来てしまうってのは、恨みスキルが高いし、
 その年齢にしてその到達点なら才能があるんでは?
 君は人を恨む才能がある。凄いと思う」

と言った事があります。これに対して彼は嫌だと言いました。他の人も其処は凄いと認めていたのにです。

「そういうのじゃなくてもっと何か・・・」

このあと彼は「何か・・・」の後が何なのか分からず言えませんでした。

その後引き取って私が言葉にしました。

「もっと他人の役に立って褒められる様な内容で?」

つまり、嫉妬や悪意の根源が「他人の役に立ちたい」と言う願いであったという事です。つまりそれを自分の力で成し遂げられなかった。そのため他人へ迷惑を掛ける方向で動いてしまったんです。心根は善です。しかしそれを体現できるほど成長していないという分けです。

「プラスを望んでマイナスを為す。
 これは人間の知性の在り方と反していないか?」

つまり人本来の力を発揮できていないという事です。なので善人でも悪人でもなく、本来ある人の姿に成れていないのです。この後で成長するのかもしれませんが、人間に成れていない状態と言うのがあるのです。

「じゃあ、本来の人間の姿とは?」

「自分が望むことを明確に分かっている事。
 その上でそちらの方向へ無駄なく投資できる人」

「では善人と悪人の違いは?」

「自分が望むことが人間全体の繁栄であれば善人。
 自分が望むことが個人だけの繁栄であれば悪人。
 ただしこれらを独力で為す力が無い場合は人の力を
 身に着けておらず、論議の対象外となる」

「では善人が行う繁栄を為す手段とは?」

「独力で自らの幸せを為し、其れに集中する事である」

「それは先ほどの論旨と矛盾していないか?
 自分個人の繁栄を望む場合は悪人なのでは?」

実は矛盾しておりません。皆で協力して人類全体の幸福を願うとした場合、人類一人当たりの割り当ては一人になります。一人が一人幸せにすれば全員が幸せに成るという計算です。そしてその一人とは勿論自分の事です。

「自分の幸せのみを追求する事が全人類の幸せにつながる
 ため、善人は自らの幸福を追求しなければならない。
 悪人が目的とする事も善人にとっては好都合であり、
 これを妨害してはいけない」

「悪人とは自らの幸福の為に他の人の幸福を阻害する人と
 して考えられるのか?」

「そうではない。他の人の幸福を阻害する人はまず人にな
 りきれていない。自らの心の中に嫉妬や羨望がある以上、
 誰かの役に立たないと幸福を感じる事がない。悪人は人
 であるから理解している。ここでミスをしない」

「では悪人と善人の違いはどこにあるのか?」

「人に成れていない者の存在を忘れている。
 人に成れていない者も助けようとする者が善人だ。
 人に成れていない者を無視しようとする者が悪人だ」

なので、悪人と言うのは自分の幸せを考えつつ独力でそれを為す知力を持っていて、特に悪い事はしないけれども、他の人が困っていても助けようとしない人です。善人は困っている人がいたら助けようとするわけです。

「自分は特に悪い事をしたこともないし考えたこともない。
 誰かを頼って生きるみたいな生き方もしていないよ。
 だけど積極的に誰かを助けようとして頑張った事もない
 なあ・・・。そういう部分で興味が無いのは確か。
 自分が悪い事をしていないか? には興味があるね?」

これが悪人です。かなりレベルが高いでしょ? 俗にいう普通の大人です。

「多くの人は自分を善人だと考えているが、実際は悪人に
 相当している。ただし、その存在とあり方は善人が望む
 方向に則しており、仲良くすべきである」

人に成れていない者は簡単に言えば子供です。また、年齢は成人していても知性は大人のレベルに達していな人も沢山います。自分の望んでいる事を把握できず、闇雲に行動して事態を悪くする人は人に成れていません。大脳を活用できていないからです(チンパンジーも同じ状態で一生を終える)。悪意を持って行動する人は自分を悪人だと思っているかもしれませんが、実は人に達していないというのが本当の話なのです。

つまり、神様が自分の子供と認めているレベルはかなり高いというわけです。

同じ神の子であっても罪を犯さないようにとばかり心掛け、他者がちゃんと助かったのか気にしない人もいます。そういう人とも仲良くすべきであるという話であり、これは一般に実現しています。

「早く人間になりたい」

これは私が子供の頃に父親が私を煽って言った言葉です。TVアニメの名セリフですが、都合が良いと思ったのか、父は何度もこのセリフを使いました。

私にとって人間になるというのは大きな課題でした。そしてその様な概念は大昔からあるらしいです。人として生まれたからと言って人間として完成しているわけではなく、脳を鍛え続けてやっと体現できるものなんです。

「人間になれた後に悪人として生きるか善人として生きるか
 やっと選べる。それまでは自分が望むことを自分の手で成
 し遂げられる様に力をつけるしかない」

という分けです。

例として悪人と善人の違いを述べます。

誰かに道を聞かれたとします。

この時に、

・答えを教えられない。嘘を教える。または拒む。⇒人に成れていない
・嘘をつかないように気を付けて正しい道を教える ⇒悪人
・本人が辿り付けるように心配しあらゆる手を尽くす⇒善人

の様に分かれます。悪人も善人も共に目的地に着くための方法論や手段を知っているわけです。しかし悪人は自分が関わった事柄の成否まで気にしません。善人は自分が関わった以上、蒔いた種を刈り取ろう(つまり成果を確認して収穫を得よう)とします。

「罪を犯していないからと言って、無駄が生じていないわけ
 ではない。助力をした以上は完遂したか否かを確認し、
 新たな助力を与える覚悟が必要である」

善人は無駄を嫌うという事です。悪人は罪を問われるのを嫌うわけです。その上でうまく行かなかったのは自分の責では無いとして何の負い目も感じないんですよ。如何ですか? 考えて見れば悪人でしょ?

「人と成れていない者が悪人の助力を仰げば、自らの失敗は
 自らにあるとして悩む。助力を無駄にしたと悔やむ。
 そうであるならば助力を求めない方が良かったと悪い方向
 に捉えてしまう。結果として全体で悪い事が起きたのだ。
 善人はそれだけでは不足と考えて付き添って助ける。
 勝利が確定したときも元に戻らない様に保険を掛ける。
 善人に助力を求めた人は、助力を仰ぐことに意味を感じて
 勇気を得る」

この違いも分かるでしょうか?

悪い事をしていないので自分が善人だと思っている人は大きな勘違いをしているという事です。自分は善人なのにうまく行かないと思っている人は、本当の善人の思考を理解していないわけです。そして、罪を犯さないようにと気を付けているだけでは、人類全体を衰退させるのだと分かっていないのです。

皆さんは如何でしょうか?

道を聞かれて答えられた。良い事をしたと思っていませんか? だから自分は善人だと思っていませんか? その瞬間に自分に悪人の性質があるということなんです。

「彼にはちゃんと教えた。
 しかし彼は分かったふりをしていないだろうか?
 これで道を間違われたら、俺の苦労はどうなる?
 気になる。仕方ないついて行くか。まったくもう」

こういう人が善人なんですよ。

ではこの「自分は善人だろう?」と勘違いしている実質悪人と本物の善人は仲良くすべきでしょうか?

私は仲良くするべきだと思います。共に道を教えられる力を体現した人類種の成人であり、神の子だからです。仲良くしてうまく行くと思います。では、自らの望みを知らず、頓珍漢な出たとこ勝負ばかりをしたり、他の人に悪意を向けて反省をしない、混乱を招く壊れたAIの様な人とはどうすべきなのでしょうか?

「助けを求められた時は助けるべきである。
 しかし、罪を犯すことに抵抗が無いがない場合は、
 神の子では無いとして扱って良い」

となります。

自分を善人であると思っている人は実は悪人であったり、自分を悪人だと思っている人は人間に成れていなかったりとちょっと残念な結論が真実だと思います。

その様に考え直すと、ご質問の命題が正しいと分かりますでしょ。
それを解釈する人が自分を一段階上で評価しているため、無茶苦茶な指導をされたと思えるわけです。

以上、ご参考になれば。
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頭湧いてますねとしか…。



隣に凶悪犯がいて安心して眠れるなら、殺される覚悟もしてるのかも。
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陰謀厨とは仲良くできないので、まぁ、無理のある主張でしょうね。

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どっかの宗教ですかねー、って思います。

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利用しようとしなければ対立してませんが誰とも。

出来ませんね。利用されたまま仲良くなるって奴隷という事ですか?。
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犯罪に対して厳罰化、見せしめ効果を使う方法よりは、根本原因の解決と全ての人の人権を考える方向を指示はしています。



被害者はガマンしろ、という事とをごっちゃにする人も居るけど、そういうことではない。

どちらかと言えば、日本は厳罰、見せしめの方向性。先進国で死刑も廃止せず、死んで償え論調が強い。
ハラキリで責任取る文化だった上に、空気呼んで同じことを言うのが楽?
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そもそも神がいないので最初から破綻してますね。

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「仲良く」の解釈を「程よく距離をとり」とすると、ようやく神の声を素直に聞けます。


「華麗に無視して」とか「見て見ぬふりして」でもOKです。
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