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論破されると誹謗中傷に終始する人って何なんでしょうか?負けたと認めたくないんでしょうか?
自分でみっともないし無様だと思わないのかな。

A 回答 (5件)

そう言う人は話が通じないタイプですね。


兎に角自分が正しいと思い込んでいるので悪と認めた相手に対して何言っても良いと思ってるんでしょう。
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誹謗中傷は良く無いですよね。



以下は長いので興味があればお読みください。

見苦しいというのもありますが心配ですよ。
昨今、悲惨な事件がりましたけど、ご本人は悪口を言われたと主張しています。しかし肉親の方は「幻聴」だと思うと証言しています。そうだとすると何の意味もないまま他の人と自分の人生を台無しにしたという事です。

しかし(実は)ある程度年配になって気が付くことがあります。「錯覚」「幻聴」は割と多いんです。若い時からですよ。

私も体調が悪い時に「他の人が自分の噂をしている」と思い込んだことがあるんです。その時、泣くような気持ちで職場の同僚に「どういう積りか?」と聞いたんです。勇気を出して。そうしましたら「全く違う話をしていた」と分かりました。どちらかと言うと私はマイペースであり、人生を楽しんでいる面白い人であると思っていたらしいです。なので特に私の心配をしたこともなく、ホオッテおいても大丈夫と安心していたらしいです。ですので相手の方は驚いていました。相手の方の真剣な表情で嘘じゃないと分かり、私は心の底から安心しました。

それから思ったんですが、

「こういう時に泣いて哀しむ自分で良かった」

それが事実であろうと誤解であろうと、泣いて哀しんでいれば誰かが同情してくれますし、勘違いで関係を壊すことは無いです。誤解させて申し訳なかったと言われるんです。

その人とは余計に仲良くなりましたし、何か困った事があると私から相談しています(勿論その逆もあります)。相手の方は私に繊細(神経質)な部分があると分かり、私に対する時は努めて朗らかに大らかに接してくれます。相手の方も私を知ってくれたんです。

「運命の分岐点みたいなモノだった」

私がこのサイトで一生懸命提唱しているのは「徳を積む」という内容です。若い時は全く気にしていませんでしたし、迷信か何かの一つと思っていました。しかし、これ以降は錯覚(や誤解)をしている頻度を気にしはじめました。そして怖く成ったんです。

「昔も今も錯覚や誤解の頻度は変わってないと思う。
 恐らく他の人も同じくらいの頻度なのだと思う。
 それでも狂人と思われなかったのは、ショックを受けた
 時の行動が穏便だったからだ。
 自分を反省する気持ちは持っていなかった。これからも
 そうする気はない。だけど悲しんだり、理由を知りたい
 と思う部分は変わらないと思う。実はこれが正しいエラ
 ーリカバリーであり、他人の思いやりを引き出して自分
 を救う鍵だったんだ。だから助かっていただけなんだ」

と全てを理解しました。始めて地に足が付いた感覚です。自分が何に気を付けたら良いのかはっきりしたからです。闇雲に自らの発狂を怖がる必要が無いと分かったのです。「狂人」と言うのは統合失調症(や体調不良)などにより、現実と幻覚の区別がつかなくなる人の事を指すのでは無いんです。

「狂人とは相手を攻撃しても良いという条件が緩い人を指す」

だったんですよね。

こうして文章にしてしまえば当たり前に見えますので自分は大丈夫と思う人も多いでしょう。しかし、自分が誰かを攻撃する時の条件が甘くなっているかもしれませんよね。それも段々と緩んできているかもしれません。また攻撃する手段も過激になっていき、穏便に済ませられないほど行き過ぎているかもしれません。

「誰かを攻撃しても良いと思う『自分のルール』は持ってい
 ない方が良いのではないだろうか? それは禁忌なのでは?」

こういう気付きを得て「私刑の禁止」という発想について改めて考えました。つまり私たちは怒る権利や報復する権利を捨てるべきであり、これらは政治判断や司法判断に任せるべきなんです。

「狂人とは報復の権利を個人が有すると考えている人を指す」

と言い換えられます。

実際はそんな権利は認められていませんよね。犯罪を犯した人の理由に「かっとなってやった」と言うのが多いですよ。もはや犯罪者を定義する言葉に近いでしょう。つまりこの思想(個人が報復する権利を持っている)を持っている人がいずれは錯覚や幻覚に捉えられて凶行を為すという事です。

そして私も人間です。生物として種の仕組みに従います。老化や体調不良などで錯覚が頻発するのが人間です。ある程度生きられたのなら、いずれは確率的に逃れられないのだと分かったんです。

「怒っちゃいけない。怒りたいと思ったら謝るように条件反射
 を作るんだ。相手を尊敬する気持ちが湧きおこる様に逆の暗
 示をかけるんだ。これを条件反射にするんだ。ボケるまでに
 それを成し遂げないと俺は助からない」

思い返すと母が40歳代で可笑しくなりました。何か気に入らないと「言い返さないと気が済まない」人でした。色んな人を見ていると若い時に「報復に躊躇が無い」と言う人は必ず発狂しているんですよね。それまでどんなに良い奴であってもです。

「幻覚を見て報復をする人は助からない。
 幻覚と現実の区別がつかなくなる事態を想定して、
 現実において報復をしない訓練をしないとだめなんだ」

こんな風に唱えて何十年もやってます。つまり「徳を積む」とは脳のディープ・ラーニングの一つであり、脳を(AIと同じように)学習させることで無意識の部分を開拓するものであったという事です。特に報復と私刑の禁止は深く刻まないといけません。老齢に対抗できないからです。ニュースに成った若者は31だそうです。その年齢でエンドを迎えるなんて、どれだけ報復の夢を弄んだんでしょうか? 自業自得に思えます。

「報復の夢を弄んでいる若者は助からない」

これ(徳を積む)をやってみて手ごたえを得たことは、「カチン」と来ると頭が冷えて頭が良く成るという事です。スイッチが入って礼の気持ちが湧きおこる。すると俯瞰して物事を捉えられるんです。私は(もはや)反射になっていまして自分を止める事が出来ません。そして生まれて初めて道理を理解し、正しく思考するという快感を得ました。

「良い事・悪い事という躾の様な道徳観から、
 どのような展開になり、
 どのような損をして、
 どのようにして破滅をするのか?
 そういった未来の危険やハンデについて気が付くようになった」

これらを説明できる自分を得たんです。

緩やかに壊れる自分を(諦めて)受け入れ、それでも狂人に成らない方法(報復しても良いルールを作らない。手を出さない)だけを考えて実践した。そうしましたら新しい自分が開け、過去の自分をちっぽけでショボいものだと感じたわけです。

「生きてて良かった」

これが示唆する事は「生きてて良かった」と感じられる人生か「苦しみぬいて幻覚を生じさせ、自分のルールに従い報復し、狂人として裁かれて世を去る」人生しか無いという事です。

「いま生きてて良かったと感じられない人は必ず発狂する」

このくらい怖い話だと思います。

お婆さんが縦看板にぶつかって頭を下げるところを見ました。これが徳を積んだ最後の状態という事です。いま皆さんはそうなっていますか?

ご質問の答えになるか分かりませんが。貴方が怒りを抱いている方は「報復して良いという条件」がかなり緩んだ方の様ですね。その上で抑えが効いていませんよね。どのくらい病状(報復して良いという条件が甘くなっていく病気)が進んでいるんでしょう?

質問者さんは大丈夫ですか?
論破をしたくなったのは何故でしょうか?
これも穏便な報復の一つではありませんでしょうか?

もしその様なことがあるのならば、

「コイツはどうせ助からない。俺が思っている以上に
 悲惨な最後になる。そして自力で自分を省みて、自分
 を変えようと思わなければ助かることは無い。
 俺がいま腹を立てているのはコイツが自分を反省する
 事が無いと分かったからだ。
 コイツが自力で反省して自分を変えることが出来ない
 確率が高いならば、その高い確率でこいつは発狂する
 のだ。報復をするまでもない」

と考えて自分を抑え込む練習をしましょう。

貴方が怒るのは「こういう奴でも間違って幸せに成るかもしれない」と思っているからです。絶対にそうはならない(必ず苦しんで死ぬ)のだと確信していないからです。その確信が無いから自分も徳を積めないのでしょ? 徳積損にならないか心配なんですよ。意味のない行為に思えるんです。昔の私と同じです。

「この人は自力では無理。もう助からない。
 分水嶺を超えている」

この様に確信できるからこそ腹が立ちませんし心配になる分けです。そして「俺だけは助かりたい」と思うから徳を積めるわけです。この二つの確信と信の願いが相乗して「自分の在り方がはっきりとし出す」んですよ。

「すまん。他の奴はどうなってもイイ。
 俺だけは発狂したくねえ。
 ちょっと幻覚見て他人の家に火をつけたり、
 ちょっと幻覚見て誰かを撃ち殺したり。
 そういう自分になりたくねえ。
 もっと美味しい思いをして人生を終わりてえ」

これが私の在り方です。そのため道徳に則して行動できるように日々脳を学習させています。集中が欠けて無意識になっても穏便に過ごせるようにです。

さて長くてすみません。
こんな話で慰めになれば良いですが。
天候などで気持ちが荒れる事があります。
そう言う場合は甘いものを食べて横になると良いですよ。

以上、ご参考になれば。
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負けを認めたくないって言うより


自分が正しいって思ってるから
負けるって発想が無いのでしょう

某元大阪知事関連の書籍読んでたら
相手が辟易して「もういいです、好きにして」
って所まで議論して最後には勝つ(と当人は思っているのでしょう)

メディアを騒がす嫌われ者だけど
発言がよく取り上げられる人に多いですね

無様かどうかってのは他者評価なんで
他者の意見を聞かない、見下してるなら
無様とかみっともないって思わない
唯唯、相手が無知無能って思うのみ
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それは議論でもなく、ただの言い争いということなのでは。

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この回答へのお礼

途中までは議論の体をなしてますが、最終的に言い返す事がてぎなくなると人格否定等に終始するって事なんですが。馬鹿丸出しでドン引きですよ。

お礼日時:2023/05/30 23:25

論破したつもりでも、相手は的外れな批判をされただけだと思って


反論してるんです
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この回答へのお礼

反論でなく人格否定とか誹謗中傷ですよ。
馬鹿なくせに反論できなくて悔しいから悪口言うとか小学生並みの精神年齢(笑)

お礼日時:2023/05/30 23:23

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