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【人の怒るギリギリのラインが分かりません】
私は基本的に何かされてもまあいいやという性格です。
なので、友達の愚痴もそんな事でそんな怒る?と思いながら聞いています。

余程のことをされたら、もちろん私も怒ります。
しかし、こんな性格なので"自分がされて嫌なことは人にするな”という言葉がありますが、それがあんまり分かりません。
人の怒るギリギリが分からないため、当たり障りのない会話しか出来ず、心を開いていないと思われ、深い関係の友達がなかなかできないです。
友達とかが先輩にタメ口を混ぜて話したり、少し砕けた感じが出せることを羨ましく思います。

普通に生きていたら身につく物なのでしょうか。

A 回答 (4件)

>友達の愚痴もそんな事でそんな怒る?と思いながら聞いています


相手は逆のこと考えてるよ。
「なんであの人は何を言われても怒らないの?」
人間にはテレパシー能力がないのだから当然のことである。

そして人間関係は双方向である。
相手を受け入れなければ自分も受け入れられない。
自分を受け入れない人を自分も好きになれない。
だから友達ができないのである。
相手は「なろうよ」と思っているのにこちらが拒否する。
そういうケースが多いはずである。

価値観は成育歴によってちがう。
10人いれば10通りの価値観がある。
ふつうは周りに合わせるから10人が10人とも自分の我を通すことはないが、心の中までは別問題である。
そしてそれはつまり「誰かの言い分が通れば誰かが我慢している」ということである。

人間の反応とか、それは目の前の人間を正面から見続けないと分からない。
「こうあるべき」などという思い込みは色眼鏡の最たるもの。
何年付き合っても正面から見たことにならない。
ため口聞けるのは、信頼関係を築けたからである。

とりあえず「自虐」から始めることである。
自分を貶めることではない。
自分のことを面白いネタにすることである。
自分のことだからすべっても傷つくのは自分だけである。
お笑いの世界ではよく行われている。
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人の怒り沸点なんて人それぞれ違いますから


分からなくて当たり前だと思いますよ
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その発想が先ず危険だと思いますよ。



「人を殴ったときどのくらいで死ぬのかギリギリのラインが
 分かりません。友達は先輩相手でもすぐ手が出ているよう
 です。それで大丈夫なようです。そういうのに憧れます」

と言う人がいたら、私なら距離を置きますね。当たり障りのない会話をする人は立派であり、不用意に相手の中に踏み込んで良いはずがありません。漫画の読み過ぎです。

以下は長いので興味があればお読みください。

先輩にため口を混ぜてしまうのは恥ずかしい事です。先輩の忍耐を試してはいけませんし、許してもらえるという算段で甘えてはいけません。人間は怒る前に不快だと感じる気持ちがあります。それに耐えて表面に表さない人は立派です。しかし気持ち良いわけではないんです。どのくらいで怒るのか試すというのは人として如何な物でしょうか?

本来は、

「どうすると相手の方がリラックスして心を開いてくれる
 のか分かりません。相手の方が喜んでくれるには何に気
 を付けたら良いのでしょうか? 自然に身に付く物なの
 でしょうか?」

と悩むのじゃないでしょうか。そういう正攻法のノウハウとして茶道があったり、おもてなしの心があるんでしょ。俺とお前の中じゃないかとじゃれ合いたいというのは分かりますが、やってみると不快ですよ。そういうのは漫画の中でしか成立しないのです。どちらも嫌だなと思いながら気を使って顔だけ笑う。そういう押し付け合いをしたいのでしょうか?

殆どの人は「リラックスして素の自分が出てしまい相手を怒らせてしまった」と悩むものですよ。そういう人が貴方を見て「この人にはそういう所が無いのでリラックスしていないのではないか?」と悩んだんではないですかね。

相手を怒らせない様に自分を制御できている事のどこが悪いんですか? 年配になっても難しい事です。若いうちに出来ているのなら、それでいいじゃないですか。そこにイチャモンを付けられても困るというのは分かります。気にしない事です(むしろ貴方の質問の方が怖いですね)

貴方が堅苦しいと批判する人がいたとしたら、

「少しは油断して良くない態度をしてくれると、自分がう
 まくやれているのだと安心できるんだけど。この人は私
 を信用していないのだろうか?」

と不安になったんでしょう。

単なる八つ当たりです。

ですので貴方が気を付けないと行けないのは「嬉しい」という表現を分かりやすく見せる事。リラックスしているという部分を外に出す事。少しは友人に甘える事です。けっして相手を怒らせるようなダサい姿を見せる事じゃありません。誰かが礼を失っても貴方は失わない様にしましょう。

漫画の読み過ぎで世渡りを考えない様に。

私たちがテレビで見る漫画やアニメ、映画と言うのは作家が描いた架空の話です。その物語に出てくる「やり取り」は不自然であり、生きている人間の心の動きと一致しません。また作家が友人作りのプロであるとは限りません。もしかすると孤独を抱えて悩み「本当の友人とはこうじゃないのか?」と頓珍漢な想像を膨らませただけかもしれませんよ。そして同じように友人がいない人達の心をつかんだという哀しい話かもしれないでしょ?

「想像力すげえなコイツ。いや妄想力か。現実は違うからな」

(親友の在り方を描いた「走れメロス」の作家である太宰治は自分勝手な振る舞いを続けて親友から絶交されてしまったそうです。絶交されても自分を反省できず、元友人への腹いせに自分の理想像を小説にした卑怯な男だったんです。これで元友人が悩んだそうです。つまりあの話は太宰の我儘な理想像と世話になった友人への嫌がらせであり、リアルな友達関係を描いたものでは無いのです。あれを見て友達とはこういう物なのだと思った子供は気の毒でしょうがないです)

「友人が沢山いる本物は一期一会と教えた。
 礼を失わない様にと口を酸っぱくして教えていたはず。
 それと逆の事を言っているのは漫画や映画など創作上の
 ものばかりのはず。歴史上に名を遺した人は自分を制御
 して相手に誠実であれと説明しているはずである」

偉人が伝えた事と作家が捏造したことを一緒に覚えない様にしましょう。私も他人の事は言えませんけど・・・。

リアルな人間関係で気を付けないと行けないのは何か?

相手の人が気にしていないように見えても、実は不快に思っているかもしれません。こちらの方が怖いですよ。気が付くと親しい人と疎遠になってしまうんです。その時に何が原因かと悩むはずです。そのくらいデリケートな物であるはずです。怒らせるところまで行ったら相当まずくないですか?

「相手を怒らせるというのはあってはいけない事である」

もし貴方を批判する人がいるのだとしたら、それは単に「貴方が喜んでいる風に見えない」と思って悩んでおり、その原因が分からず「心を開いてくれていない」と不安になっているのでは無いでしょうか。

例えば、

「君は難しすぎるんだよ。どうすると喜んで、どうすると
 嫌がるのか分かり辛いんだ。自信を無くしてしまう。
 それとも私を信用していないのだろうか?」

こんな風になるものです。

失礼の無い様に「楽しんでいる」「リラックスしている」「またお願いしたいと思っている」という演技くらいするものです。それらが自然に出来るようになって始めて「本当のお礼」と言うのが何か分かるものです。

「小さい事でも喜んでくれる人はサービスのし甲斐がある。
 なのでついつい親切にしたくなるんだよね」

と思いませんか?

では何に気を付けて上達していけばよいのか?

正しい方向で考えましょう。

・自分に期待されている事は何か? 相手の事情から想像する
・単に親切なだけでは駄目である。相手の心に負い目を生じさ
 せない様に(相手に負担が無い内容で)適度に頼ることも考
 えて置く必要がある

「漫画のようなツーカーの関係」に何時か成るのかもしれない・・・と荒唐無稽な事を考えない様にしましょう。常に今現在に集中する事です。相手の事情を知り、自分が期待される事は何かを考え続ける。そういう習慣が大事です。一度習慣として身につくと無意識に「○○かなあ?」と心の中で誰かが教えてくれるようになります。突然予想外の事を言われてパニックになる
のは未熟であるという事です。

また、

「人間は自分の弱さに負けて必ず卑怯な事をする。そうであっ
 ても『良い自分でありたい』と泣くほど真剣に思っている。
 なので相手の人が弱さに負ける前に勇気づける事が大事であ
 って、それが友人の役割なのだ」

ここも大事ですね。

友達を少し勇気づけたことで、ご友人は卑怯な振る舞いをしないで済むかもしれませんよ。そういう事態(そういう事をしてしまったという記憶が相手の人生の中に残る)を作り出さない様に目を光らせていてあげるべきです。

ネットでも「言わなきゃいい事」を口に出して周囲の人を不快にさせ、叩かれている人がいます。つまり弱さに負けて卑怯な事をしてしまったわけです。そうなる前に友人に愚痴や不満を言う。友人が諭す。こういうものがないといけませんよ。

「本来は友人が助けるべきなのに、友人がいないためネット
 の人を友人扱いして、暴言を吐いてしまう。それは哀しい
 成り行きだろう。ネットで知り合う人は友人ではない。
 だからネットでフレンドリーに振舞っても全く意味が無い
 のだ。友人は公の場で醜態を晒さない様にプライベートな
 空間の中で自分を叱ってくれる人なのだから。ネットと言
 う公の場を友人と勘違いして友人に話す様な内容を話す人
 は公の場で叱られるのだ。それは本末転倒だろう」

貴方は友人が怒っているのを良く見ているわけです。それが友人にとっては卑怯な事をしでかす前の助けとなっています。充分に友人として頼られているという事です。その恩返しをするチャンスを貴方は友人に与えておらず、それが心の負い目になっているかもしれません。何か小さな我儘を言って助けて貰うのも良いと思いますよ。

「聖人を目指して努力して、気のいいオッサン程度が関の山。
 まっとうに聖人を目指していない人は嫌われ者に成ったり、
 変人扱いされるというのが相場である。漫画の様な関係に
 なるためには登場人物の全てが釈迦やキリストを目指して
 いる必要がある。その結果があの程度なのだと考える方が
 無難。劣化バージョンをそのまま真似をしてしまえば単な
 る失礼で嫌な奴に見えるだけなのだと気が付かないと行け
 ない」

ご友人をみて「え? 心の中はマリア様を目指してたの? 全然ダメじゃん。敬語・・・間違ってるよ・・・?」と思う方が正常だという事です。

「自分は自然体で普通の在り方を目指しています」

「え? そうだったの。なんか冷めてて何に対してもやる気
 が無い人に見えたよ。不満があるなら言って欲しいってい
 つも思ってたんだけど?」

「まじか~」

となります。自分が思っている以上に他人の評価は「嫌な奴の方向」にズレているものですよ。なので心の中では聖人を目指さないとマズいんです。そういう相場観が安全だと思ってください。

貴方は正の方向に対してアピールが足りないのでしょう。そして負の方向で「どこが限界なのか」と考える意義は全くないという事です。何故かというと、それを活用するシーンが自分の人生に存在してはいけないからです。もっと安全マージンの高い部分で関係を維持するべきです。

「何か失礼があって不快な思いをさせていないだろうか?
 私への気遣いで疲れていないだろうか?」

以上、ご参考になれば。
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逆に、それを話してみる。


それにより、新しい会話が生まれる。
で、ついでに「そこら辺を教えて欲しい」とお願いしておく。
あなたが、そういう状態だと知れば、周りの人間が教えてくれると思います。
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