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先日とても悔しいことがありました。自分はデザイン学生でして、卒業制作のプレゼンがありました。生徒と先生の週間で発表をする形で、プレゼン後に先生方から一言ずつ好評がありました。
自分の作品はとても自信があり挑んだのですが、圧倒的に自分だけが悪い評価で、私情が入りすぎて話になりませんでした。普段の学校生活がダラけてしまってるので、先生方全員から普段嫌われてしまってるのが現状です。
私情入れず作品だけの感想を欲しかったものの、ビジュアルには一切触れず、作業量が足りないだの、これ作ったから何になるの?などの一言でした。
友人や、デザイナーの他の学校の友人、OBや、父の友人のデザイナーの方などに一切前置き入れず、作品を見せたところ、全員問答無用で、高評価をもらっていました。
納得いってないのが、好評が平等ではなく、感情が入った話にならないコメントであったこと。それがとても悔しくて、全否定されたような気持ちで、なんだかデザイン力の自信もなくなったし、嫌いになりかけました。
音楽業界でもあるじゃないですか?例えば、King Gnuの常田大希は若い頃、周りに万人ウケるする楽曲ではなく自分だちがやりたい音楽性で活動しており、あるレコーディング会社に今日を見せた所、この音楽性では日本で売れないよと言われたそうです。しかし、常田は曲げることなく貫き、その音楽性が好きな層に受け、売れることができたそうなんです。
これからデザイン業界で働いていく自分ですが、納得いく作品が自分では出来たと思っていたのに、全否定されたり、感情のみで否定されたりする事もあると思います。
しかし、自信を失う事なく、自分を信じ貫く事も良いのでしょうか。

A 回答 (7件)

デザインはアートではないので、あなたが作った作品の価値はあなたが決められません


デザインに金を出すクライアントが、あなたの作品の価値を決めます

で、卒業制作の場合、クライアントは学校の先生なので、先生の評価があなたの作品の評価になります
そーゆー世界です

>普段の学校生活がダラけてしまってるので、先生方全員から普段嫌われてしまってるのが現状です。

努力ゼロで高評価もらおうって虫が良すぎね?

>友人や、デザイナーの他の学校の友人、OBや、父の友人のデザイナーの方などに一切前置き入れず、作品を見せたところ、全員問答無用で、高評価をもらっていました。

友達や知り合いが低評価つけるわけないじゃん
質問者も友達の作品をこき下ろしたりできる?

>デザイン業界で働いていく自分ですが、

絶対向いてないから、別の道に進んだほーがいいよ
他人の評価を潔く受け入れられないデザイナーに、未来はありません
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デザイン関係で生き残りたい場合、コミュニケーション力はとても重要。


特に「嫌われない力」は、めちゃくちゃ必要です。

嫌われる要因を作ってしまったら、採用されないし、干されますガチで。

実力とは無関係なところで未来が閉ざされることになります。
まあ苦労しますよ。

常田大希さんの件は、嫌われていたせいで「売れないよ」なんて言われてないですよね?
今回の件と一緒にしてはいけないです。

常田さんは嫌われてなかった。
音楽性の問題だけが合わなかった。

それと「嫌われた」は別問題です。

今回の件で「誰かが何かの理由で嫌った結果、不当に落とす」ことがわかったのは僥倖です。

対人スキルを磨けばいいってことがわかったわけです。

その学校の先生は
あなたを食わせたり
就職先を紹介したり
仕事を斡旋したり

........はしないのですから、そこで落ち込んでも意味がないです。

仕事を始めても同じ流れは発生する危険性があるので
どうすれば関係を壊さずに済むかだけを考えればいい。

信じ貫いてもいいですけれど、対人スキルは磨くにこしたことはない、ということで次に進めばいいんじゃないでしょうか。

悔しいとか言ってると、成長できないです。
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それはデザインではなく、ただのアートではないでしょうか。


その学校の評価の仕方に関しては、作品の評価に作者の私生活を挟むのはアートとしてはどうかとは思いますが、デザイナーとしてなら理解できます。
デザイナーの世界では、たとえ作品が良くても人として信用されなければ作品自体も評価が落ちる世界です。
そもそもデザイナーとは、人の問題を解決するための役割で、自分が好き勝手出来る世界ではありません。それがしたければ、自分発信のアートの世界に行けばいい。ただ、人として評価されなければ作品が評価されても仕事にならないのはどの世界でも同じです。たまたま評価されたから売れた人たちも中にはいますし、人として駄目でもそれをカバーできるほどの作品で、結果、その作品を使って売れなければお金は入って来ません。
なんにしても作品だけ良ければ住む世界ではないのはどこも同じかとは思いますが、自分の考えがあって、やりたければそのようにしたら良いとは思います。ただ、すでに有名人もこうしてたからといって、それを鵜呑みにするのはどうかとは思います。その人と自分は明らかに条件が違いますので、もっと自分や作品を評価して貰える人や世間に飛び込んでいったら良いかとは思います。
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あなただけの一方的な話ですから


あなたがどういう学生であるのかが
わかりませんが
これから将来大事なことは
なんでも人柄です

素晴らしい技術を持っていようと
音楽の世界でも
いい曲を作ろうとも
人柄が悪ければ
誰も近づこうとは思いません
お付き合いをしようとは思いません
面倒見ようとは思いません

どうやら
あなたは
そいう意味では
作品は良くても
人物として評判が悪そうだ

まずは
そこからですね
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読んでわかるのは、


あなたが「自分は講師たちに嫌われている、だから作品を批評されず、ひたすらいじめを受けた」と信じている、
ということです。

もしかしたら一部は事実かもしれません。
しかし同時に、その考えに固執しないほうが良いです。あなたの今後のデザイナー人生のためには。

なぜなら、講師の批評は当たっている部分もあるだろうからです。
>作業量が足りないだの、
>これ作ったから何になるの?

あなたの作品は、あなたの自己評価に反して、「卒業制作としては」作業量が足りていない、少なくともそう見える作品だったということはありませんか?
取り組んだ時間が卒業制作としては不十分だったのかもしれません。
それから、テーマに合ったものでしたか?
テーマとは、具体的に与えられたテーマではありません。卒業制作なら2年間の集大成としてほぼ自由制作だったでしょうからね。
しかし、具体的に言葉で指定されなかったとしても、「その学校で学んだことが反映された」作品が求められていたのです。
たとえば、仮にですが、あなたの通った学校が機械工学デザインの学校だったとしましょう。学生たちは2年間みっちり、ユーザーに使いやすく、しかし美しく機能的で先進的なプロダクトデザインを学んだとしましょう。
ところが卒業制作である学生が「服飾デザイン」を提出したとしましょう。
これはその学校で学んだことを反映せよというテーマに反していることはおわかりですよね?
その服のデザインを好きになる人がいるかもしれません。
道を同じくする友人や、親の友人である服飾デザイナー、OBに見せたら、「良い出来だね!」と褒めることでしょう。(そりゃそうでしょう、何も言わずに見せたら知り合いなら褒めるのに決まっています、否定的な意見を言うはずがありません。それが処世術というものです。それを、心からの高評価しかない、否定的な感想はないと思い込むのはこの世に不慣れすぎます。)
しかし、その機械工作デザインを教える学校で「服の」デザインを提出されたら、「これ何になるの?」という感想になるだけです。

また、卒業制作にふさわしい機械工学のデザインを提出したとしましょう。
ですが、それがどのように使われるのかまったく見当もつかないとしたら、それも学校のテーマに合っていないことになります。
そこはおわかりですよね?


>自信を失う事なく、自分を信じ貫く事も良いのでしょうか。

デザイン力について磨いたスキルは信じていいと思いますよ。

ただ、あなたには完全に抜け落ちている要素があります。
そこに気づかないと、今後も同じような思いをすることになります。それも多くの顧客から同じような反応をもらうことになるでしょう。それはつまりあなたがデザイナーとして活躍できないことを意味します。

デザインとは、「自分が」納得のいく作品を作り上げることではありません。
まず第一に、「客が」納得のいく作品を作り上げ提出するものです。
あなたはそこの視点がないです。
あなたの中で他人というものが希薄だからでしょうね。自覚がないようですが。

King Gnuの常田大希に憧れるのはいいですよ。
ですが、二つのことを忘れるべきではありません。
彼が自分流を貫いて成功した背景には、無数の「成功しないまま、独りよがりと見なされて誰からも支持されずに消えていった”自分はこれでいいんだ”人間」がいるということ、
もう一点は、常田大希だって、実をいうと、長い間には自分流が変わっていったり、周りと歩み寄ることを覚えた結果、芽を出したのかもしれないということです。

常田大希以外にも、「こんなん売れるわけないでしょ」と言われたけれども頑張って自分が思う「これが良い」を貫き、成功した人たちはたくさんいます。
しかし重要なのは、彼らは「大事な点、死んでも譲れない点は守ったが、その武器を磨きあげつつ、それ以外の部分では客に合わせることも覚えたから成功した」という点です。

あなたに欠けているのは後者の視点です。
言ったら悪いけれども、きつい言葉で申し訳ないけれども、あなたは独りよがりな部分がたくさんあるんだと思います。特に対人関係で。

大脳が平均より他人を意識しない作りなのかもしれないですね。ざっくり言うと社会性が低いと言います。
あなたのこのサイトへの参加態度を見ていればわかります。
短期間にいくつもアカウントを取り換え、毎日々々マルチポストを連投しまくり、何百件も同じ投稿を繰り返す。
こういう行為をする人は漏れなく社会性が欠如しているという問題があります。
社会性が低いと、他人の発言の文脈を掴みづらい、他人がどういう機微でいるか適切に反応するのが下手な人になります。
あなたも自分に照らしてお心当たりはあるでしょう?

しかも禁じられているマルチポストを千件は繰り返したあげく、「このサイト本当に使えない回答しかもらえない」と愚痴る。あなたに親切から長時間時間を割いた回答者たちに見えるところで。
(それにしても、まともな回答がもらえないと思っているのに年単位で同じ質問を何百件繰り返すあたりも、あなたのちょっと普通じゃないところが出ていますよね。というか、答えがもらえない場所に質問を投げ続けるのはバカだけです)

こういうあなたの社会性の不足が、おそらくデザインにも表れているんだと思います。
講師たちは、確かにあなたのことを好きではないかもしれませんが、彼らは大人ですよね?仕事として講評したんですよね?

であれば、その講評を「私情だけ、感情だけで話にならない」とは思わないほうが良いです。
あなたは、自分に何が求められているのかわかっていない可能性が高いんですから。

というわけで、デザインスキルについては今のまま自信を持ってもいいけれども、「他人(特に顧客)が何を求めているか」をもっと精度高くつかめるようになるためもっと謙虚になったほうがいいと私は思います。
デザインの道を続けるためにも。

それと、常田大希は別に遅咲きの人じゃないということは忘れないほうがいいと思います。
2016年からレーベルで活動しているんですから、20代前半でもう芽が出ているんですよ。今だってまだ31歳ですしね。
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作品が、デザイン的に美的に芸術的に優れているかどうかと、売れるかどうかは全く別です。



いくら作品が優れていても、時代が求めていなければ売れません。

絶対的な評価の基準はありませんから、どこまで自分を信じるか、しかないのです。

あなたは学生ですから、「普段の学校生活がダラけてしまってる」ということであれば、「その程度の作品」としか見なされません。

また、「友人や、デザイナーの他の学校の友人、OBや、父の友人のデザイナーの方など」と言いますが、何人の人の評価でしょうか。

「評価」ということにおいては、まだ社会でどうかというレベルではないのです。

今の時点での評価で一喜一憂している場合ではないのです。

勝負はこれからですよ。
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うまくやるしかないです。

結局、現場に出たって仕事は人間関係なので。
制作過程は逐一相談するといいです。
自分の見てないところで勝手に作ってきて、プレゼンで初めて見るという状況がダメなのかもしれない。
講評後に、教授に会いに行きましたか。
何がダメだったか、どうしたらいいか、アドバイスをくださいと頼むのです。
そのための大学、高い授業料です。

私も卒制で教授に「僕だって人間だから、嫌いなものは嫌いなんだよね」とバッサリ切られたことがあります。
その前にちょっとした事件を起こしており、私は嫌われてました。
だからもう挽回できないと思い込み、私はアクロバティックなことをしようとしました。
町おこしに乗っかったプロジェクトにし、その過程で知り合った地元の有力者と仲良くなり、新聞数紙に取り上げてもらい、やっと認めてもらった感じです。
結果的に何とかなったものの、そんなことやるよりもっと簡単なのは、素直に教えを乞うことだったと思う。
どんな人間がかわいいって、素直に勝るものはないです。

あと、作品と自分を切り分けるのは大事です。
講評でズタボロにされても、批判されたのは作品であって、人格ではありません。
若いうちはみんなそれで苦しむ。
でも、それがいつまでも分けられないと、プロになってからもずっと苦しいですよ。
もうちょっとだ。がんばれ。
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