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死の恐怖にとりつかれたこと、ありますか?

また、どうして、恐怖を乗り越えましたか?

教えて下さい。

A 回答 (3件)

私は今75歳です、後一か月すると76歳になるところです。

私が14歳になった時ふとお釈迦様でも,キリスト様でも今生きていないという事に気が付きました。という事は自分も何時か死ぬのだと気が付きました。

それから急に恐ろしくなってしまって、死というものが頭から離れなくなりました、毎日死にたくないと考えていましたが、死を意識するたびに恐ろしくなってしまって、毎日死刑囚の気持ちになって暮らしていました。

縁あって、26歳に結婚する事になって、一年後に長男が生れました。死に対する恐怖感から逃れる事が出来ないままでした。

生き難い想いは続いていましたが、結婚した事と長男が出来た事によって、生き難い想いは強くなっていました。困ってしまって或る日、本屋に入って不安の解決だと思いますが、鈴木知準先生の書いた本に出会いました。

それから急いで、東京に行って鈴木先生に会って診察を受けました。何を話したのかは今となっては覚えていませんが、私の心境としては『死ぬのが恐い、という話はしなかったように思います。誰であっても死が恐くない人などいる筈はない。』と思っていたからです。

もう一つ考えていた事があります。死が恐くなくなる、という事も実現不可能とも思っていましたので、先生に何とかしてもらえるとも思っていなかった事も事実でした。

先生は会った時、いいかね『何々』君、人間は見ようとすると見えなくなるんだよ!と云って一本の鉛筆を目の前に差し出しました。

意味不明でしたが、とにかく生き難い想いが強くなっていた為に、少しでも和らぐ事が出来るなら有り難いという一心で、お願いして入院森田療法の治療を受ける事になりました。

初めから治る事は無いと覚悟をして、入院したのが良かったのかも知れませんが、途中で私と同じ県から来た人と会いましたが、3日くらいでこの治療を受けても何にもならないという判断をして、帰って行きました。

入院中に、講話と云う時間が在って先生は沢山の本を読んで下さいました。本を読む前に『今は未だ分からないかも知れませんが、とにかく聞いておくように、と前置きをして』話が始まりました。この前置きが良かったのか、今でも記憶に残っています。

弓道の話とか、禅の話が多かったと記憶しています。ドイツ人のオイゲンヘーゲルと云う人が書いた『弓と禅』が面白かったですので、かいつまんでストーリーを再現してみます。

ドイツの人が『禅』を学びに来た時の話です。いきなり禅の話をした処で分かる筈が無いと云う事で、弓道の師匠を紹介したようです。そうしたら、夜に来てくれと言われたようです。

真っ暗になったところで、弓の師匠は的場の処に一本の線香(ローソクだったかも)を立てて、矢を二本射たという事でした。ほとんど見えない距離から見えない明かりの㊥のようです。的場に行って見たところ、一本目の矢がど真ん中に当たっていて、二本目の矢が一本目の矢を割ってその中に入っていたという事です。

弓の仕様は『これは私が射たものではない、それが射たものだ』と云ったという事です。是が禅だと云う話です。

剣道の免許皆伝の話とか、沢山の話を聞かせて頂きました。そうして時々『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』とも語っていました。

こう云った話等は,全くと言ってちんぷんかんぷんです。全く歯が立たなかったと感じていました。

2カ月が立とうとする頃、妻から手紙が送られてきてその中に息子の写真が入っていました、その写真を見て急に里心が付いてしまって、退院の許可をお願いした次第です。

退院して、5年位した或る日、玄関で靴を揃いていた時に、自分の自我意識が無意識の自分の意識と出会うと云った体験がありました。その日の日記に『無意識にも意識があった。』と書きました。

日記などは書く事が無かったのですが、この日だけは書きました。死の対する恐怖感とか、死刑囚の気持ちで暮らしていた事から、離人症といった症状にも悩まされていました。

生きている実感が全く無くなった状態です。辛くて生き難い想いがづーっと続く症状です。処がこの体験時に『一瞬にして、身体中の力が抜けて行く体験をしました。』死にたくないと云う思いから、身体中に力が入っていたという事でした。
 
入院中に鈴木先生の所の廊下に本棚が在って鈴木大拙全集というものが収納されていましたので、買っては読んでいました。又道元の書いたものも読んでいました。

道元が悟りを開いた瞬間の言葉、『身心脱落 脱落心身』の言葉の意味もこう云った事かなと思いました。

この日を境に『ノイローゼがぴたりと治って。おまけに、人生とは何ぞ?やとか、人間は何処から来て何処に行くのか?』と云った事も分かりました。

仏教や禅には、人間の苦しみは何処からやって来るのか?と云ったものが在る様ですが、その原因は、『無明の故』となっているようです。

特に禅の言葉は面白いと思います。疑問や苦しみに付いて師匠に質問をする時、師匠は『お前は何故にそう思うのか?』と逆に聞き返すようです。

その理由は『疑問とか苦しみの原因』の答えは、その疑問や苦しみの中に既に隠されている。と云われています。

『お前は何故にそう思うのか?』が答えになっているようです。

聞きたい事があるなら聞いて下さい。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2024/01/31 20:08

あなたはきっとそんなことばかり考えているのでは。


みんな一度は考えたことあるでしょう。
でも、いくら考えてもどうしようもないこと。
それよりも目の前のしないといけないことがたくさんあるはず。
その現実に目を向けて生きていくのです。
すると、次第にそんなことを考えておれなくなります。
大事なことは、目の前の現実に触れて生きていくことです。
しないといけないことを優先してやっているうちに、不安感というのは
減少していきます。
頭の中で空想しているより、目の前のことを見つめていくことが大事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/30 21:58

宗教に救いを求めましょう

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/30 19:41

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