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 一時、巨人の80年代に王と藤本で一人が監督で、もうひとりが助監督という時代ってありませんでしたっけ?。

 どうしてそうなったんでしょうか?。
 何かにつけて王の発言が有利とされると思うのですが・・・

A 回答 (4件)

何かで読んだ記憶ですが、王さんは長嶋さんの事実上の解任に激しく憤りを感じていたそうです。


現役を引退し、巨人からも去るつもりだったと。

しかし、ON同時にチームを去ることは、球団首脳としても一大事。
そこで、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチというトロイカ体制が考案されたと。
王さんとしても巨人入団に際して、いろいろお世話になっていたので(讀賣関係者に義理を欠かせないという王さんの人柄)チームに残ることを了承した、と。

とにかく王さんは、義理・人情、筋道・手順には厳格な人のようです。
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先のお二人の方のご指摘の通りですが、最大の理由は、長島氏を現役引退後すぐに監督にして失敗したからではないでしょうか。

たしか、長島監督の1年目は最下位だったと思います。その長島監督のすぐ後に、王氏を現役引退後即監督にしてまた失敗するわけにはいかなかったんだと思います。
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王助監督は1981年に就任、3年間に渡って役職を務めています。


選手時代、あまりにもチームに対する功績が大きかっため、チームとしてはどうにかしてチーム役員の座を与えたかったのでしょうね。
さりとて、監督にするにはまだ指導経験が足りないし、コーチというのも目立ちにくい。
そこで、助監督という名誉職を与えたのではないかと思います。
ただのお飾り的な役職と見る向きもあるでしょうが、3年後には監督になっていますから、それを見越しての準備段階であったと見ても良いのではないでしょうか。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%B2%9E% …
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この回答へのお礼

日本野球の悪いところのようにも思いますね。
しかし、その後巨人でいまいちの成績からダイエーで名監督になったわけで、それには拍手を送りたいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/06 19:03

 長嶋さんがやめたあと、藤田監督時代に王さんが助監督をしていましたね。

これはスタッフ経験のない王さんをいずれ監督として迎えるために経験を積ませるための措置ではなかったかと思います。
 実際、藤田さんの後がまが王さんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すごい優遇ですね。
監督としては名勝の藤田氏の下では勉強になる事はたくさんあったでしょうね。

お礼日時:2005/07/06 19:05

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