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いわゆるクラシック音楽としてカテゴライズされる曲の場合、ハ長調の曲、変ホ長調の曲・・・と、曲によって調性が決まってますよね。(もちろん決まってない曲もありますが。)

平均律以外の音律(たとえばキルンベルガー律とか)が使われていた時代に作られた曲であれば、調性にこだわるのもうなずけます。また、弦楽器の曲の場合、開放弦に関連する調性にこだわるのもわかります。楽器がよく響きますから。

でも、ピアノの曲で、かつ比較的新しい曲、例えばフランス近代の曲で、シャープやフラットがたくさんついている曲がありますが、調性にこだわる意味があるのでしょうか?

私の推測としては、ピアノを演奏する人たちの間で、ハ長調やイ短調を基本とする音感が身についているから、意味を持つ、ということなのかなと思っております。

教えていただければと思います。

A 回答 (5件)

やはり、絶対的な音の高さが違いますから、


絶対音感が無い人でも大きく違えば印象は変わると思います。
それに、調が変わっても楽器の音域は変化しませんし。


また、ピアノも決して全ての音が一様な楽器ではありません。
弦の種類が低音とそうでないものとは違います。
低い方は巻き線使ってますが、高いほうは単純な線です。
また、一つの鍵盤に対して複数の弦を使ってますが、これも音域で本数が異なっていたように記憶してます。
また、ダンパーは高い音の弦にはありません。

更に、ピアノは平均律と言われてますが、厳密には違います。
ピアノという楽器の特有の事情で調律カーブと言われるちょっと変わった調律がされていて、低い音はより低く、高い音はより高く調律されてます。

>多かれ少なかれ絶対音感のようなものが、私たちには身についているということなのでしょうか??
時報の音、プッシュホンの音なんかは覚えていたりしませんか?
微妙な音程ならともかく、1音もずれればかなりはっきりとわかるような気がします。
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この回答へのお礼

確かに、たとえ絶対音感がなくても、聞きなれている音の高さが大きくかわれば、違った感じを持つような気がします。
ピアノの構造については確かにそうですね。また、調律のことは知りませんでした。へーそうなのか、と思いました。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/21 00:08

回答にはなっていないかもしれませんが・・・



当方もご質問の点についてかねてより疑問に思っておりました。
ドビュッシーなどのピアノ曲でも、半音移調すればハ長調(イ短調)で弾けてしまう曲があります。
読譜や技術的にはずいぶん簡単にんなる様な気がします。

たとえばピアノの調律を半音ずらしたうえで、白鍵盤ばかりで弾いたものと、オリジナルのものを聴き比べたら結果に違いは出るのでしょうか?

黒鍵での微妙なタッチの使い方、そんなところに秘密が有るような気もします。
平均律の楽器で半音の差にこだわる理由としてはそのくらいしか思いつきません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

私がこのようなことを疑問に思うようになったのも、ドビュッシーのピアノ曲の譜面を見てからです。同じようなことを考える方がおられるのだと、安心(?)しました。

>黒鍵での微妙なタッチの使い方、そんなところに秘密が有るような気もします。

なるほど、それもあるかもしれませんね。

きっと、理由は一つではなく、さまざまなものが考えられるのでしょうね。

>たとえばピアノの調律を半音ずらしたうえで、白鍵盤ばかりで弾いたものと、オリジナルのものを聴き比べたら結果に違いは出るのでしょうか?

ここまでのみなさんの回答を通して、(平均律で調律された)ピアノの曲が、調性にこだわって作られる主な理由として以下のようなことがあるのではと考えました。


普段耳にすることの多い音(白鍵の音やシャープやフラットの少ない調)は、いわゆる絶対音感がなくても身についており、そこから外れる調(音)については違和感を感じるようになっている。


作曲家にとっては、なおさらそうで、基本となる調(音)が、感覚の中に染みついている。


ピアノの調律は、実は、厳密には平均律ではない。

もし、これらの仮説が正しければ、
1の理由から、ピアノの調律を半音ずらすと、感じ方に違いが出るということになります。
もちろん個人差は出ると思いますが。

お礼日時:2005/08/22 10:54

平均律だから,どの調でも同じということではなく,和声上,それぞれの調の特性があると思います。

ピアノではできませんが,オーケストラではドミソの和音のミは少し低い目で,ソは少し高い目に取って平均律では濁る響きを調整することもあります。これは平均律だから起こってくる問題で,こういった微妙な音程のズレ,和音の濁りは調によって違ってきます。楽器の特性もありますので作曲家は調性を意識しているだろうと思います。しかし,調の特性といっても,はっきり決まっているものではありませんし,調性によって曲全体が支配されてしまうわけでもないので,どの音で始めたい,どの音域を使いたい,どの音で終わりたいといった感覚的なものもあるだろうと思います。

演奏する立場の者としては♯や♭が多い曲は弾きにくいですね。そこにまだ次々と臨時記号が出てきて,ダブル♯が出てきたりすると何の音か戸惑ってしまいます。これなら全体に半音上げて○○調にしてくれれば弾き易いのに…と思うことがあります。でも,聴き慣れている曲に,そんなことをするときっとおかしくなるのでしょうね。オーケストラに所属していた頃,チューニングをする時に普段は443Hzを使っているのに,ピアノ協奏曲では会場のピアノにあわせて440Hzで合わせることもありました。微妙な違いなのに,443Hzでは張りつめた活力のある感じ,440Hzでは落ち着いた感じといったものを感じました。
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この回答へのお礼

私は、オーケストラの曲の場合、長調だったら、フラット系の調よりも、シャープ系の調の方が明るく派手に響くように感じるのですが、それなどは、弦楽器の特性からくるのだろうなと思います。
ピッチの違いによる雰囲気の違いというのも、確かにありますね。このことについても同じく不思議です。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/21 01:20

前奏曲のような初めから全ての調で作曲するもの以外、普通は意図が無ければ自分の思いついた旋律の調がその曲の全てだと思います。

感性から生み出された曲をあえて移調してまで作曲するとは思えません。
よく名曲をハ長調で弾くピアノの楽譜がありますが、実際の調性を知っている人が聴くと味気なく感じるものもあります。それと同じです。
結果的にシャープやフラットが多くなっただけでそれが作曲家の感性であるといえるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど。その作曲家の感性にとって、ある調性がその人なりの意味を持つという点は大切ですね。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/21 00:31

こんにちは。



市民吹奏楽団に所属している者です。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」の最終曲「花のワルツ」を、オケの原調がDmaj(ニ長調)のところ、吹奏楽用にD♭maj(嬰二長調)に編曲(「半音下げ」ってことです)してある譜で演奏したことがあるのですが、やはり曲調に違和感がありましたよ。
元々は華やいだ雰囲気のある曲ですが、「半音下げ」によって、多少暗くなった感じがしました。
この様に転調したりしますと、曲の雰囲気が変わって来るので、作曲者の意図が正確には伝わらなくなる面があるのだと思います。
つまり、元々は作曲者が、「このフレーズはこの調性がで演奏されるのに適している」と判断して、調が決まっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。私もよく似た体験があります。

>この様に転調したりしますと、曲の雰囲気が変わって来るので、

そうそう、この点なんですね。よくわからないのが・・・。
平均律だと、全部の音が均等に下がる(or上がる)わけですから、絶対音感がなければ、気にならないはずなのに、なんだか気になってしまうことがあります。
これは、完全ではなくても、多かれ少なかれ絶対音感のようなものが、私たちには身についているということなのでしょうか??

お礼日時:2005/08/20 13:50

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