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江戸幕府の諸大名の監察はどういう形で行われていたのでしょうか。
御庭番が諸国に潜入したりしていましたか?

御使番や書院番・小性組の番士が国目付として派遣されるケースにはどういった場合があるのでしょうか?

A 回答 (1件)

徳川幕府の諸藩の監察役としては本来大目付がその担当でしたが、中期以降はどちらかというと式部官となりました。


また臨時職としては諸国巡検使や国目付がありましたが、綱吉以降は諸国巡検使は一代一回となり、国目付も家宣遺構はまり派遣されなくなりました。

国目付が派遣されるのは大藩を幼少のものが跡目相続したときでした。そして派遣されるのは幼少の藩主が元服して初入国するまで毎年1回続けられました。
この国目付はもちろん幕府から藩への監察という面もありましたが、藩主に代わってその藩を管理すると言う意味もあったようで、国目付の派遣は派遣してもらう藩から幕府に願い出て、派遣された国目付には合力米も支給しました。

これらの公式の監察官に代わって吉宗以降は隠密活動が重視されるようになりました。
もちろん隠密活動は江戸時代の初めからあり、その頃は伊賀者、甲賀者などが隠密をしていましたがだんだんとその機能もなくなり、目付配下の徒目付や小人目付が隠密活動に従事するようになり、これらの者が諸藩の城郭修理などの調査にあたりました。
お庭番は吉宗が創設した将軍直属の隠密で、江戸周辺の調査や遠国の調査にも従事しました。当然ながら諸藩や天領代官の事情も調査し報告していました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
国目付は藩主が幼少の場合なのですね。
譜代の姫路城主も藩主が幼少になると国替えになったようですし、幕府は幼少の藩主を嫌っていたのでしょうか。

お礼日時:2005/08/22 22:01

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